メディアグランプリ

「自作自演」について考えてみた。


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記事:舟橋壮真(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
昨年の暮れのことだった。下宿先から実家に帰り、久しぶりの家族と酒を飲み交わしていた僕は、ふと思い立って、以前から気になっていたモノを始めることにした。
 
「質問箱」というサービスである。
 
これは、Twitterユーザーが自身のアカウントを用いて「質問箱」をweb上に設置することで、それを見た他人が匿名の質問をすることができ、ユーザーは寄せられた質問を取捨選択して回答をツイートできる、というサービスだ。
 
その一ヶ月ほど前より、友人の質問への回答ツイートが僕のTwitterのタイムラインをじわじわと埋め始めていて、なんだか気になっていたのだ。ミーハーな僕は、夜更けのほろ酔い気分に任せて自分の「質問箱」を設置し、そのまま眠りについた。
 
目覚めてみると、数通のメッセージが届いていた。少し嬉しくなった僕は、真面目な返信やギャグを織り交ぜた返信をツイートし、適度に友人からのいいねを稼いだ。しかし数日それを繰り返すと飽きてしまい、僕が質問箱のURLをTwitterのプロフィール上から消すと、当然のごとく質問は来なくなって僕の中での質問箱ブームは終わった。
 
しかしその後1週間ほどして、僕は興味深いニュースを見ることになる。
 
ちょうどその頃、質問箱を運営する企業が質問箱の公式Twitterを始めたのだが、そのアカウントがこんな投稿をしたのである。
 
「【お知らせ】……(中略)ちなみに累計で質問数は1400万件ありましたので、皆さんが質問に飢えていることがわかりました。なお、自作自演の質問が30万件ありました。相当飢えているようです」
 
このツイートによって、このアカウント、もとい質問箱という段ボール箱は炎上した。自作自演の数を晒したことへの反発の意見や、自演そのものへのバッシング、同情の意見がこのツイートのリプライ欄を埋め尽くしていった。
 
このツイートの是非はさておき、僕の心はモヤモヤしていた。恥ずかしながら僕自身、その1週間前に「自作自演」をしようとして思いとどまった瞬間があったのだ。僕はこのモヤモヤ感の正体を探るため、質問箱と自作自演について考えてみた。
 
このサービスは、ネット上の有名人にとっては不特定多数のフォロワーとのコミュニケーションツールであるが、一般の人にとっては自己承認欲求を満たすものとしての役割が大きいように思える。質問が来るということは、自分が興味関心の的であるということだからだ。当たり前だが誰しも他人に関心を持ってもらいたいので、質問に「飢えている」というのは自然な感情だろう。
 
ではその中で自作自演をするということはどういうことか。匿名というシステム上、自分で自分に質問したことはフォロワーには伝わらない。従って自作自演をすることで、自分の質問数そのものを他人にバレずに増やすことができ、「自分はこんな関心が向けられている存在だ」というアピールができる、というわけだ。僕がふと自作自演をしようとしたのは、単に承認欲求からのものだったのだ。
 
そして自分が自作自演を思いとどまった理由も明らかだった。この行為はとにかくズルいのだ。自分で作った質問を他人から来たように見せかけることで、人気な自分を繕い、何かをアピールしたい自分を守っているからだ。僕はこの悪い行為に引け目を強く感じたので、結局思いとどまったのだろう。
 
しかし、この「守られるズルさ」は、すごく馴染み深いものであることに気づいた。お酒だ。
 
アルコールを適量摂取した僕たちは饒舌になり、親に、友人に、恋人に本音をぶつけ、自慢をし、承認欲求を満たす。お酒は便利なコミュニケーションツールであろうが、これは「酒のせい」をセーフティネットにするズルい行為だ。いざとなれば「いやあ酔ってたんで」と発言を撤回することは容易い。
 
しかし、お酒の場では、我慢していた本音や、思ってもいなかった自分の気持ちがこぼれ出てくることが往々にしてある。お酒なしでは表現できない、時には自分で認識すらできない「自分の本心」が出てくるのである。
 
お酒は、「酔った自分」という盾を僕たちに与えて、自分がアピールしたいことを言葉にして引き出させるツールなのだ。
 
そう考えると、質問箱の自作自演は単なるズルではない。お酒と同じで、ちゃんと役に立つことなのだ。
 
僕たちは、自作の質問を自分に投げかけるのなら、その内容をじっくりと自問自答することになるだろう。質問箱の自作自演は、言いたいことから逆算して質問を作り出す行為であり、自分の最もアピールしたいところを効果的に表現できる場だからだ。この過程を経ると、お酒と同じで、自分が普段言えないような、それでも誰かに伝えたい本心が自ずと出てくるのではなかろうか。
 
つまり自作自演は、「他者」という盾を僕たちに与えて、自分がアピールしたいことを言葉にして引き出させるツールなのだ。
 
自分が本当に言いたいこと、認められたいことをアピールするにはこの世界は厳しすぎるように思える。人は何かをアピールしても、無視されたり叩かれたりし、その結果自信を失い、当たり障りのないことしか言えなくなるか、無言という安全地帯から動けなくなってしまう。そして自分の意見を失ったまま、流されるまま生きる。
 
僕は、「ズル」によって出てきた本心は、いくら些細なことでも自分の核であり、これから流されずに生きるための自分の糧になるのではないか、と思う。普段は言えない壮大な夢が出てくるなら、胸を張ってそれを追求すればよい。恋人の自慢が出てくるのなら、恋人を褒めたり、お手本にして自分磨きをすればよい。自分の自慢が出てくるのなら、そこをもっと伸ばして自分のアイデンティティに昇華させればよい。
 
だから、こんな「ズル」をしてでも自分の真ん中にあるものを探す、ということは、とかく押しつぶされて流されがちな現代人には必要なことなのかもしれない。ことさらに僕のような臆病な人間にとっては。ふとそう思って、僕は少しだけ前向きになった。
 
もし、自作自演をしようとした時に戻るとしたら、僕はお気に入りの水曜日のネコを片手に、あの時考えていたこの質問を自分の質問箱に投稿したい。
 
「自分の一番好きなところは何ですか?」
 
そして、イキってこう答えるのだ。
 
「自分の弱みと向き合えることです」
 
 
***

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2018-02-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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