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「心まで奪う美女」と「目だけ奪う美女」の“たった一つ”の違いとは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:本木あさ美(ライティング・ゼミライトコース)

 
 
「……えっ? この場所でこんな光景ってあり得るの?」
 
私は一瞬、言葉を失った。
 
そこは何度も訪れていた場所であったが、時間の経過とともに膨れ上がっていく、あんな人だかりを見たのは初めてだった。
 
その輪の中心には、「ひとから身動きを奪ってしまう」ほどの美女がいたのだ。
 
2012年6月10日、私は渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムに向かった。「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」という展覧会の最終日だった。
 
その展覧会には、ダ・ヴィンチの作品はもちろん、弟子やレオナルド派と呼ばれる画家たちによって描かれた、80点ほどの作品が一堂に会していた。
 
展覧会の名前通り、作品はどれも美しいものばかりだった。
 
ある作品の女性は、《モナ・リザ》のように透き通るような白い肌と、心を見透かすような印象的な目をしていた。
 
聖母が描かれていれば、慈愛に満ちた瞳が印象的で、うっすらと微笑んだ顔の陰影にまで優しさが滲み出ているようだった。
 
光と影が印象的な絵もあれば、深海のような青と、燃え盛るような赤いドレスが印象的な、生命力にあふれた絵もあった。
 
どの作品も目を奪われるポイントがあって、見入ってしまうものばかりだった。
 
「やっぱりこの展覧会に来てよかった」
 
そう思って順路を進んでいると、我が目を疑ってしまうような光景が目に飛び込んできた。
 
ある絵の前にだけ、明らかに桁外れの規模の人の群れができていたのだ。
 
確かに、この日は最終日だから全体的にひとが多かったし、絵の前に人が集まっていることなんて、美術館なら当たり前のことだ。
 
でも、明らかに、その絵の前の人たちは様子がおかしかった。
 
「食い入るように」絵を鑑賞しているのだ。何か衝撃的な事実を目の当たりにしたかのように、絵に見入っているひとばかりだった。
 
普通、一つの絵を味わう時、10数秒くらいの時間は誰でもかけると思う。でも、その絵の前にいる人たちは、その何倍も何十倍もの時間を使って、その絵を鑑賞していた。いや、「動けない」といったほうが近いかもしれない。
 
その絵の美しさに心を奪われて、足が止まってしまうのだ。
 
ひとから身動きを奪ってしまうほどの美しい絵……
 
その正体は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《ほつれ髪の女》という絵だった。
 
24.7cm×21cmの小さなセピア色の絵である。
 
斜め下に首を傾け、口角をわずかに上げ、伏し目がちな女性の頭部が描かれていた。
 
その表情は、愛しい我が子を見つめる母親のようにも見えた。何気ない日常生活の中に、小さな幸せを見つけた瞬間のようにも見えれば、「もしかしたら」と期待に胸を膨らませた次の瞬間、「まさかね」と肩を落とした一瞬を切り取ったようにも見えた。
 
いずれにしても、この女性が、身体が崩れ落ちそうなほどの悲しみも、心の底から打ち震えるような喜びも、いろんな感情を全身全霊で味わい尽くしてきたことは間違いないように思えた。
 
そうやって懐の深さや人としての器に、磨きをかけてきたのではないか……そんな想像をせずにはいられない「精神的な奥行き」を感じさせる女性だった。
 
展覧会の作品の中の女性たちは、どれもみんな美しかった。でも、《ほつれ髪の女》に出会ってから、心まで奪う美女と目だけ奪う美女がいることに気づいてしまった。
 
その違いは一体なんなのか。
 
答えに迫るきっかけとして頭に浮かんだのは、鑑賞者の表情と動きだった。
 
普通、美しい絵に10数秒間見入る時、私たちの表情はほとんど変わらない。
 
そして、自分の前にいたひとが動いたり、絵と自分の間に誰か入ってきたタイミングで、次の絵の前に移動することもある。
 
でも、《ほつれ髪の女》に見入っている人たちは違った。まるで、いつも通る道でパトカーが何台も停まっていて、「何があったの?」と様子を伺うような表情をしていたのだ。
 
しかも、前に立っているひとが動けば、なんとか隙間から先を見ようと、自分も立ち位置を変えていた……まるで、野次馬のようだった。
 
鑑賞者にこんな差があるということは……
 
「心まで奪う美女」と「目だけ奪う美女」の違いは……
 
そうか!
 
「ドラマ」があるかだ。
 
ドラマ、つまり、感情を揺さぶられるほどの出来事や、壮絶な経験を乗り越えてきたのではないか、と想像させる気配があるのが心まで奪う美女なのだ。
 
目だけ奪う美女、例えば、デコルテが大きく開いた豪華絢爛なドレスを着た、透き通るような白い肌の貴婦人に、ドラマの気配はない。
 
裕福な家に嫁ぎ、なに不自由ない暮らしの中で、当時の最先端の美容術を駆使していたのではないかと思わせる女性には、ドラマではなく平和を感じる。
 
もちろん、これは悪いことではないし、美しいことに違いはない。
 
でも、両者の「引力」には歴然とした差があることを認めざるを得ない。
 
レオナルド・ダ・ヴィンチは、かつてこう言った。
 
「人間の様々な美しさのうち、道行くひとをも引きとめるのは、たくさんの装飾品ではなく、美しい容貌だということを君は知らないのであろうか?」
 
「このひとに何があったのだろう?」と想像してしまうドラマの気配は、美しい容貌につながる。でも、美しくなるために磨き上げた美は、装飾品に過ぎないのかもしれない。
 
 
***

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2018-02-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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