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プロフェッショナル・ゼミ

兄という王様、僕という奴隷《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:永井聖司(プロフェッショナル・ゼミ)

言われるがままに目を閉じた僕の耳に、講師の声が、飛び込んでくる。
「今までで一番恐ろしかったことは、なんですか?」
スルリと頭の中に侵入してきたその言葉は、一瞬の内に僕の記憶の中を飛び回り、1つの扉を探り当てた。古ぼけていて長年開けられた形跡のない、それでいて大した特徴のない扉だった。
それなのにその言葉には、どうしてもその扉が気になったらしい。ノックもせずに、扉をぶち破られた。そんな感じを、僕は覚えた。
「ツライことを、思い出している方もいるでしょう」
講師の、参加者60名へ向けた言葉が、ボンヤリと聞こえる。言葉に導かれ、ぶち破られた扉の中に浮かび上がる光景を眺めている僕には、先ほどよりも、講師の言葉が入ってこない。それでも僕は、頭の中を通り過ぎていく講師の言葉と、目の前に浮かび上がる光景のギャップに、少し焦った。
どうして僕は、この光景を思い出しているのだろう。思い出すべきは、『今までで一番恐ろしいこと』なのに。
どうして、実家の茶の間でのひと時を、思い出しているのだろう。人から見れば、一般家庭の、平凡なひと時のはずなのに。
しかし焦っている内に、どんどんどんどん講師の言葉が遠くなって、記憶の中にいる僕と、僕自身が、同化していく。
すると、よくわかった。
息が、詰まる。戦場にいるような緊張感に包まれて、身体が重い。テレビを見ているようで、見ていない。
幼い僕がその時気にしていたのは、同じ空間に存在していたその人1人のことだけだった。
180センチ以上ある身体を横にして、畳の上に肘をつき、ボンヤリとテレビを眺めている。部屋着として使っていた中学時代のハーフパンツから飛び出る脚は太く、筋肉質で締まっている。
我が家の王様、兄だった。
「聖司、新聞」
気だるげで、いつも眠そうなその声で指示を出されると、僕の身体は勝手に動く。リモコンと言われればテレビのリモコンを、箸と言われれば箸を、おかわりと言われれば茶碗にご飯をよそっておかわりを、何の疑問もなく、持っていく。
それが、うまく生き抜いていくための術なのだ、という考えが、まさに骨の髄まで染み付いていた。
兄に暴力を振るわれたとか、そういうことではまったくない。むしろ、ケンカらしいケンカすらしたことはない。僕の兄は7歳も年上で、スポーツマンで、高校時代はボクシングもやっていた。ケンカ相手にすらならないわけである。だからこそ、兄のすべてが怖かった。兄の機嫌を損ねることが、恐ろしくてたまらなかった。
そんな風に思っていたことを思い出した所まで来て、別の扉が開くのを、僕は感じた。
見てみるとそれは、兄の記憶よりもずっと新しく、そして生々しい扉だった。

その中には、職場の椅子に腰掛ける、スーツ姿の僕がいた。パソコン画面に目を向けて作業をしてはいるけれど、どこか落ち着きがない。よく見れば、目はことあるごとにチラチラキョロキョロ周囲を見渡し、耳も精一杯使って、周囲の様子を掴もうとしている。
先輩の表情が曇ったのを発見して、不安になる。何か自分にとばっちりが来るんじゃないだろうか、変な仕事を押し付けられるんじゃないだろうか。そんなことを、考える。後輩の声のトーンが下がったのに気づけば、自分の言い方が悪かっただろうかとやっぱり不安になる。普段なら顔文字や絵文字を入れて連絡してくれる先輩からの連絡に記号も何も入っていなくて不安になる。ふと横を見れば別の同僚の表情を見てこんなことを考えているんじゃないかと考え、パソコン画面に目を戻せば、メールの内容や文体、言い回しから、お客様や上司はきっとこういう風に思っているに違いないと考え……。
そうして疲れ切っている自分のことが、よく見えた。
人と一緒にいるのは、疲れることだ。職場は我慢するしかないにしても、それ以上は限界だ。そう思っているので、休日は家で一人だ……。という所まで来て、僕の記憶は、引き戻される。

「ただいまー」
玄関の扉が開く音と共に聞こえてくる兄の声のトーンから、機嫌を探る。
いつもと変わらず不機嫌そうだ、と思う。
足音が近づいて、茶の間の戸が開いて兄の顔が見えれば、その顔を見て、やっぱり機嫌を探る。
いつも通り、やっぱり不機嫌そうだ。
365日仏頂面が通常運転の兄であるので、機嫌が良さそうだと思ったことなんて皆無に近かったのだけれど、僕は毎日、そうしていた。
兄の声のトーンから、表情から、仕草から、兄は今どんな気分なのか、想像し続けていた。

そこで僕はようやく、自分の目元に、違和感を感じた。何かゴミでもついているのだろうか。そう思って目をギュッとつぶってみれば、熱いものが流れるのを感じて、自分自身でビックリしてしまう。
あの、兄との日々が間違いなく、僕にとっての『一番恐ろしかったこと』だったんだと、気付かされる。そしてその日々がどれだけ、今までの自分に影響を与えていたのかを、思い知らされた。辛くて泣いているのか悔しくて泣いているのか、それすらも僕にはわからない。

ああ、そうか。

そこまで考えが至ると同時に僕は、とてつもない大きな、新しい惑星を発見をしたかのような気分になった。

兄が本当に不機嫌だったかどうかなんて、僕は知らない。「今日の機嫌はどう?」なんて、聞いたことはないのだから。
先輩の表情が曇った時に何を考えていたかなんて知りようはないし、後輩の声のトーンが下がったことが僕の指導の仕方が原因かどうかなんて、わかりっこない。絵文字やスタンプのないメールやLINEを送ってくる相手がどんな気持ちでいるかなんて、推測して一体何の意味があるのだろう。

その発見に対する喜びはとても少なく、自分への呆れが、ほとんどだった。どうしてこんなことに気づけなかったのだろう。そんなこと、絶対にどこかで聞いたことがあっただろうに。兄との記憶が、そういった言葉を、阻んでいたに違いない。

「それでは皆さん目を開けてー。では、後ろの席の人と向かい合って」
男性講師の声が響き渡り、目を開ける。泣いていたことがバレないように、慌てて目元を服の袖で拭う。
「それでは、後ろの席の人と向かい合って、何も言わずに、ただ相手の目を見てください」
言われたとおりに振り返ってみれば、後ろにいたのは、初対面の女性だった。同じ研修に参加している、見た目からして年齢は25歳前後、といったところだろうか。それだけしか、わからない。
「何も話してはいけません。ただ、相手の目を、しっかりと見てください」
講師の言葉をきっかけに、60名いるはずの研修会場に、沈黙が訪れる。僕は、初対面の女性と、何も言わずに、見つめあう。
そして内心、やっぱりね、と思う。
先ほどの大発見は間違っていなかったのだ、と確信した。
相手の、女性の目が、キョロキョロと動いているのは見える。それでも、何を考えているかなんて、わかりはしない。
人が何を考えているかなんてわかりはしないのだから、勝手に想像して怯えるなんて、なんて馬鹿なことなんだろう。29歳にもなってそんな当たり前のことに気づけたことに、僕はとても満ち足りた気持ちになっていた。
何分、女性と見つめ合っていたかはわからない。それでもやはり、女性の感情なんて読み取ることは、僕には全くできなかった。
そして後半は女性と見つめ合いつつ、兄と交わした正月の会話、そしてその時の雰囲気を思い出していた。未だに過去を引きずって、上辺だけの、ぎこちない会話しかできなかった自分が、情けなくなった。

「それでは、今日の研修で得た気づきを伝えたい人向けに、手紙を書いてきてください。実際に、出すものではないので、安心してください」
その夜、翌日までにやってくる課題として出されたお題に対して、僕はもちろん、兄を思い浮かべた。
今まで兄と本音で話せていなかったことに気づけたことを書き、そして、『これからはしっかり話しましょう』と、手紙にしたためることが出来れば、僕は、今まで背負っていた、とてもとても重い荷物から解放されたような気がして、書き終えたときには、自然と笑顔になっていた。
本当に、この研修に参加できてよかった。もう1日あるけれど、大きすぎる成果を、僕はもう得ることが出来たぞ、と、満足感でいっぱいの気持ちで、僕は最終日の研修会場に向かった。
それなのに。

「では、今まで連絡できなかった人などに、連絡をしてみましょうー!」
「マジか……」
喜びでいっぱいだった朝からわずか3時間後、講師から飛び出した休憩中の課題に、僕は思わず呟いた。
兄しかいない。
課題に見合う人、そして手紙を書いた今だからこそ連絡できる相手は兄しかいない。課題を聞いて瞬時にそう浮かんだけれど、同時に、その行為を引き留めようとするありとあらゆる気持ちが、身体中から湧き出してくる。
「では、皆さん、がんばってきてくださーい!」
よく通る男性講師の声に苛立ちつつもその声に背中を押され、僕と同様、誰に電話しようか悩んでいる人たちの群れの一員と化し、僕は建物の外に出た。

すぐにスマホは取り出せた。
何故なら、やらなければいけないことはわかっているからだ。
兄に電話をする。ただそれだけのことだ。
頭からの指示通り、電話帳を開き、スクロールする。そして目に入った兄の名前を、タップする。
電話番号とアドレスと、兄の情報が表示される。
次にやるべきことは、電話番号を押すこと。それだけだ。
でも僕はただ、数十秒電話番号を見つめることしか出来ず、顔を上げた。
電話でまともに真面目な話をしたことなんて、ないような気さえする。しかも自分にとっての王様だと、昨日まで思っていた相手に電話する。しかもしかも、兄は仕事中かもしれない。いきなり電話なんかしたらキレられるかもしれない……。
そんなことばかりが浮かんできて、僕は近くにいた受講生と、苦笑いを交わす。
そしてすぐにまた、スマホ画面に視線を落とす。
ジッとしていられなくなって、自然と足が、動き出す。
「電話するだけ、電話するだけ、話すだけ、話すだけ……」
ブツブツブツブツ呟いて、自分に暗示を掛ける。兄の顔がよぎる。キレられる想像が浮かぶ。ブツブツ呟く。兄の顔が浮かぶ。
『ええい!』
心の中で呟いて、画面を押す。
発信中の画面が表示され、耳にスマホを持ってくれば、間違いなくコール音が鳴っている。しかしそこまで来ても僕が、出るな出るな出るな……! と、激しく願っていれば、3回、4回と、コール音が鳴り続け、6回目のコール音が鳴り終わった所で、発信を切った。
「ふぅーー……」
出なくて良かったと、心から思った。出なかったのだから仕方ない。ならば、他の人に掛けるとしよう。
そう思った瞬間に、兄の名前が、画面に表示される。
「ええ!」
焦りと戸惑いと恐れと嬉しさと、多すぎる感情が混ざり合って震える指で、画面をスライドし、スマホを耳にやる。
「もしもし?」
平静を装って、声のトーンをあげるように努める。
「なに?」
返ってきたのは聞き慣れた、気だるげでいつも眠そうな、兄の声だった。
「あ、あの……さ」
言うべきことは決まっている。それでも、口が回らない。たどたどしく、研修の概要を説明することしか出来ない。ああ、ああ、と兄は言うばかりで、声のトーンもまるで変わらない。やっぱりいきなりの電話で、怒っているんだろうか。そんな暗い妄想が、頭を覆いそうになる。それでも僕は、過去に捕まらないように、言葉を続ける。
「だから、さ。今まで兄貴ともしっかり話をしたことなかったからさ」
「ああ」
「今度、お盆になると思うけど帰ったらさ、話をしましょう」
その時の沈黙がとてつもなく長く感じたのは、僕の妄想なのだろう。
「いきなり何、気持ち悪い」
戸惑いつつも、怒っていない。いや、怒っていないに違いない、としか言えないけれど。ずっとずーーっと、兄の声を気にしていた僕だからこそ、そう思えた。
大きすぎる一歩に、電話を切った僕は、思わずガッツポーズを取った。

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