メディアグランプリ

普通って、置く場所によって全てが個性的になるんだと思う


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:北古賀昌子(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
よく人に言われることがある。
「大変ね」「頑張ってるね」「すごいね」
何が? 何が大変で、何を頑張ってて、何がすごいんだろう。
これらは、障害を持った息子の話しになるとよく掛けられる言葉だ。でも、我が家にとっては何も大変じゃないし、何も頑張っていないし、何もすごいことなんてない。
言ってしまえば、我が家の毎日は我が家なりの、普通の暮らしそのものでしかない。
 
確かに障害者との暮らしは、他人に言わせると極端に日常とはかけ離れたこともあるかもしれない。
例えば、我が家の家の中には5個のダイヤル錠が常に掛かっている。家の外ではなく、家の中にだ。
玄関のドアの内側にひとつ。勝手口の内側にひとつ。外につながる部屋という部屋のドアの内側にひとつづつ。
キャッシュカードの暗証番号すらよく覚えられない私が、鍵の番号は5つとも全て完璧に覚えている。
自閉症の息子は脱走魔だ。2秒目を離すとどこかに飛んで行ってしまう。足も速いので私では猛ダッシュしても追いつけない。そのため何度も警察にお世話になったし、交通事故にもあった。
でも、その鍵を駆使するようになってからは、鍵が足止めしてくれている間に追いつくことが出来るようになった。してやったりだ。
さて、息子も考えたようだ。知能は測定不能と言われている。25年間言葉すら話せずにいる最重度だ。しかし25年間の経験の積み重ねは伊達じゃない。親達のスキを狙うようになったが、その観察力たるや大いに感服するほどだ。
ある日2階の部屋のドアの鍵を掛け忘れていたが、彼はちゃんとチェックしていた。その時が来た! とばかりにわずかな時間のスキを狙って2階に駆け込むと、窓を開けて屋根を伝い、飛び降りる……はずが弾みがついて、とっさに掴んだ雨樋が外れてそのまま下にズドン! と落ちてしまった。
垣根がクッションになったが、大きな音で見つかってしまい、バツ悪そうに息子は笑った。
私は彼がすり傷だけで済んだことにホッとしつつ「バカもの!」と頭をポンと叩いた。屋根からぶら下がった雨樋を指さして「お主、やりおったな!」と言って、私と息子は顔を見合わせてフフフと笑った。隣では旦那もちょっと苦笑いしていた。
 
「え? それって笑えるの?」
この話しをするとよく聞かれる。きっと、普通じゃないと思われているんだろう。我が家はこんなエピソードはしょっちゅうだし、珍しいことでもない。けれど、ここでもやってくるのだ。「大変ね」「頑張ってるね」「すごいね」が。
 
きっと多くの人は、極端に日常からかけ離れたことは負のオーラをまとったもので、避けて通りたいことだと思っているのだろう。
しかし、この極端に日常からかけ離れたことはピアノの楽譜上の音符に似ていて、それは実は大事なことなのだ。
ピアノの楽譜にザッと目を通すと、奇麗な模様のように配置された音符から、たまにひとつ極端に飛び出した音符がある。演奏する時は、その飛び出した音をどう扱って演奏するかでフレージングの表現が変わって来るので、それは大事な音として必ずチェックしておく必要がある。たった一音ではあるが、その飛び出した一音が豊かな表現につながるのだ。
 
だけど、奇麗に並んだ音符からかけ離れた音符が我が家の日常とすると、その扱い方次第で面白くも素晴らしくもなるということだろうか。
前にも述べたように、我が家の毎日は我が家なりの普通の暮らしであるから、そんなに毎日を面白くしようとか、素晴らしいものにしようなんて思いながら暮らしているわけじゃない。
つまり、障害者のいる家庭だろうがなかろうが、全ての家庭においてたまに日常からかけ離れた事が起きると、きっと今の暮らしに何らかの影響を与えるのだ。そしてそれは、扱い方次第で良くも悪くも、豊かにも貧弱にもなる。
だから、かけ離れた音符が我が家の日常なのではなく、やはり奇麗な模様のように配置された音符が我が家でも日常であり、それはどこの家庭とも変わらないのだ。
 
「普通」という言葉は本当に曖昧だ。今日の料理は美味しかったかと聞いて、普通だと答えられるとどう理解したらいいのか悩んでしまう。たぶん、日常に食べる料理の味が基本にあっての答えだろうが、それでもピンとは来ない。
これほどに「普通」の位置づけが難しいのは、様々な事象に基準を決めて、そこに「普通」を置くということを無意識にやっていて、その置いた場所が人それぞれで違うからではないだろうか。置く場所さえ決まれば「普通」の定義は明確なものになる。
そう考えると「普通」を置く場所は各々の日常であって、我が家も決して「普通」からは外れていないことになる。だから、何も大変じゃないし、何も頑張っていないし、何もすごいことなんてない、「普通」に暮らしているだけということだ。そこには負のオーラなんてあるはずもない。
 
それにしても、普通を置く場所はそれぞれ皆が違うのだから、結果的に「普通」=「個性」になるのではないか。
障害は個性だ! なんて言われるけど、障害は普通だ! と言ってるのと変わらない。
大変じゃない、頑張ってもない、すごくもない、ましてや可哀想なんてこともない。
 
それに、金子みすゞだって言っていたではないか。
みんなちがって、みんないい。
普通を置く場所だって、みんなちがって、みんないい。
 
 
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2018-02-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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