プロフェッショナル・ゼミ

怖がりの母親であっても、ちゃんと自分で決められるように《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)

右折しようとしてウィンカーを出すと、対向車線の車がものすごいスピードを出してきた。車は赤、運転手は女性、わき目もふらない表情が、「行かせないわよ」と言っているようだった。
「あの車、怖い」
思わず声に出して言う。すると、後部座席に座っていた当時5歳の次男がこう言った。
「怖いことがあったら、すぐに忘れちゃえばいいんだよ」
なかなか面白いことを言う。次男は続けた。
「ねえ、ママ。なんで僕がママのところに来たか分かる?」
私は対向車線の車が途切れないので、信号が黄色になるまで待つことにして、バックミラー越しに次男の顔を見た。ずっと黙っていた秘密を明かすときのような、嬉しそうな顔をしている。
「なんでママのところに生まれてきたかってこと?」
私は少し期待をしながらそう尋ねる。もしかして、生まれる前のことを覚えていて、今から話してくれるのだろうか。
「うん、そうだよ」
「ママがかわいかったから?」
そういう子どもが結構いるという話を聞くし、次男はいつも私のことをかわいいと言ってくれるので、そう聞いてみた。
「違うよ、ママが怖いことがないようにだよ」

どきっとした。ひょっとして本当に彼は覚えているのだろうか。

今から7年前、私は2人目の子どもを妊娠していた。普通なら、二人目ができたことが嬉しくてたまらないのかもしれない。でも私は、不安を抱えていた。
それは一人目の子がダウン症だったからだ。
ダウン症は、遺伝学的には23番目の染色体が3本ある。それによって、知的に障がいがあったり、身体が大きくならなかったり、内臓疾患を持っていたりする。丸顔で釣り目で少し背中が丸いのが特徴だ。
すぐ頭に思い浮かんだのが、二人目もダウン症だったらどうしよう、ということだった。

長男がダウン症であることを受け入れられていないのとは違うと思う。彼は本当に毎日一生懸命生きているし、うまく言えないのだけれど、まだ1歳になるかならないかだったけれど、命の存在としての尊厳みたいなものを教えてくれた気がした。おそらく彼がダウン症だったことで、今まで知らなかった世界を知ったり。いろいろ考えたりしたからなのだと思う。そして、もし彼に出会わなかったら、何も深く考えずに生きてしまっていたかもしれないと考えると、ぞっとするくらいだった。
でも、まだこれからどんな風になっていくか分からないけれど、二人ダウン症というのはちょっと大変かなと思った。
そして、「一人目がダウン症だったのに調べなかったの?」と訊かれるんじゃないかと思った。別に私のことを指してではなくても、ネットで、「税金を使うような子を調べずに二人も産んだの?」なんて発言をしたりする人がいるんじゃないか。そういう世界の中で私は生きていかなければいけない。

ダウン症は染色体の病気なので、胎児の時から診断することができる。母親のおなかから針を刺して羊水をとり、その中に浮遊している細胞を調べる「羊水検査」で分かる。
でも母親の血液から調べるクワトロテストや、12週あたりの胎児の首のむくみの厚みを測るNT検査で、ダウン症の可能性について統計学的に調べることが可能だ。当時はまだなかったのだけれど、今では出生前診断といい、より確率の高い診断を母親の血液を採取することでできるものもある。
確率が高いということになったら、確定診断の羊水検査に進むことになる。

でも分かってどうするんだろう。

たいていは、安心したいから受けたいと思う。胎児が健康に生まれてくることが分かれば、その後の妊婦生活も安心して楽しい思い出になる。でももし安心できない結果だったらどうするのだろう。

出産前から準備をすることで、万全の体制を整える覚悟を決めるのか?
それとも?

もし産まない決意をした時には、22週くらいまでに薬で陣痛を起こし、子宮口を広げて無理やり産む。もしそのままでいられたら、この世に出てからも生きていることができるはずなのに、まだ生きられないくらいにしか機能が発達していないのが分かっていて、産まなければいけないのだ。普通の出産と同じくらいの痛みに耐えながら。
体験談を読むと怖くてたまらなくなった。みんな心に傷を負っていた。

安心はしたかった。でも、もし安心できない場合はどうするのか。その先を考えようとすると、私は検査を受けることはできないと思った。
長男を連れてダウン症の親の会に行った時に、友人たちに訊いてみた。兄弟がいる人はたいてい受けていた。親に言われて、とか、夫に言われて、という人もいた。でもやはり、安心したくて受けたという人が多かった。

私は遺伝カウンセラーのいる病院にかかることにした。普通の病院で、上の子がダウン症だからと、検査を勧められたりするのかもしれないと思うと、耐えられなかった。一人で考えたかった。親になるのは私だけではなく、夫ももちろんそうなのだけれど、でも最終的には私一人で決めたかった。
夫も検査を受けなくてもいいと言っていたし、私の両親も同じ考えだった。夫が自分の両親に相談したかどうかは分からなかったけれど、特に何も言われなかった。

私は検査をしないことに決めた。

でも通常のエコー検査の時に、首の後ろのむくみがあるかどうかだけは見てもらおうと思った。専門的な機関でのNT検査ではなくても、何かわかるかもしれないと思った。
いつもは両親に長男を預けて通院するのだけれど、その日は夫にも仕事を遅刻してもらって二人で受診した。待合室で待っていると吐き気がしたけれど、つわりのせいではなく、緊張のせいだったと思う。
先生がエコーを見ている時間がいつもよりもとても長く感じた。でも先生は「特にむくみはないようですよ」と言ってくれた。私はほっとした。

それから、長男を朝と夕方公園に連れて行ったり、療育やダウン症児の親の会に連れて行ったり、友達と子連れで会ったり、楽しい妊婦生活を送ることができた。不安が全くなくなったわけではなかったけれど、たまに思い出しても、なるようにしかならないな、と割り切ることができた。土日には夫と一緒に公園に出かけ、はいはいをし始めた長男を大きなレジャーシートの上で遊ばせたりした。

9カ月を過ぎた頃、検診で、赤ちゃんの頭が下がってきていて、子宮口もかなり開いていて、陣痛さえ始まればいつ生まれてもおかしくないから、あと1カ月半はなるべく安静に過ごすようにと言われた。
私は長男の出産も、初産だったのに4時間程度だった。陣痛が始まればすぐに病院に行かなければならない。ちょうど夫は長期出張が多く、家を空けることが多かった。病院が実家に近ければよかったのだけれど、実家からは1時間以上かかる。両親は慣れない家で生活するよりは、自宅に長男を引き取りたいと言ったので、私はやむを得ず長男を預けることにした。両親は平日は週に1、2回だけ長男を連れてきた。夫がいる土日は長男と一緒に過ごすことができた。

平日で両親が来ていない時は、久しぶりの長い長い一人の時間となった。好きなところに出かけられればよかったけれど、少し歩いただけですぐにおなかが張る。安静にというのはどれくらいなのかよく分からないまま、仕方なく家の中で過ごすようになった。
一人きりでいると、色んなことを考えてしまい、いつの間にか鬱々とした気持ちが広がっていった。暑い夏だった。冷房をしていると手足が冷え、足がむくんで痛かった。おなかが大きくなり過ぎて、胃が押しつぶされて気持ち悪かった。体調が悪いと気が滅入り、おなかの中の子はダウン症なのではないかという想像が膨らんでいった。怖かった。そしてこんな風に怖いのは、きっと本当にダウン症だからなんだ、と思った。
口に出して言った。
「お兄ちゃんはいいけれど、あなたはダウン症だったら許さないから」
自分で言ってみると、長男にもこれから生まれてくる子にもひどいことを言っているなと思って、悲しくなり、涙が出た。長男のことだって、受け入れているつもりだったけれど、それは本当なのだろうか。自分がどうしようもなくダメな母親だと思った。
それなのに、一度だけではなかった。何度も声に出して言ってしまった。

私は怖いことをすぐに忘れられなかった。次男が生まれた後も、どきどきふとこの時のことを思い出して、長男にも次男にも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だから次男が「ママが怖いことがないように生まれてきた」と言った時も、すぐにこの時のことを思い出した。彼は私の声を聞いていたのだろうか。それよりももっと前、おなかに2番目がいると気づいた時に感じた恐怖に気付いていたのだろうか。

どんな子どもでも、お父さんとお母さんの二人の子どものはずだ。どんな子どもでも、安心して産めて、楽しく育てられる社会になればいいと思う。
制度は少しずつ整ってきている。長男が生まれた時、私の両親は「仕事をやめなければならない」と言ったけれど、かなり両親に頼っているものの、続けられている。仮に両親に手伝ってもらえなかったとしても、放課後デイサービスを使ったりすれば問題ない。まだまだ不十分だけれど、医療行為が必要な子だって、保育所に預けて、働けるように徐々に変わっていくだろう。
ダウン症の子育ての体験談などを読むと、昔は差別や偏見でとてもつらい思いをしたことが多かったようだ。でも私は、特につらい思いも悲しい思いもしていない。私だけではない。親の会で知り合った人たちも、フェイスブックで繋がっている人たちも、みんな楽しくダウン症の子を育てている。
ダウン症だけではない。色んな障がいがある。障がいという分類にされなくても、色んな気質の人がいるし、いろんな考えの人がいる。自分だけ違ったりすると、自分はおかしいのではないかと思ったり不安になる。私もよく自分自身のことで、周りとの感覚の違いに気付いて驚いて、悩んだりすることもある。
でも色んな人がいるんだということをみんなが心から理解したら、安心してもっと自分を出せるようになったら、もっと過ごしやすくて楽しい社会になるのではないかと思う。そうしたら私のような怖がりでも悩むことはなくなるのかもしれない。
そして、どんな選択をした人に対しても、その選択を尊重し、応援するような社会になったとしたら、本当に嬉しい。それぞれが、自分が一番どうしたいのか、自分の心の声を聞いて決められるのが一番いい。
私は、いろいろあったけれど、今は本当に良かったと思っている。

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