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メディアグランプリ

30年越しの母との絆をつなぐもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:フミ姐(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「お母さん、出て行ってもいいかな。ごめんね」
 
そう言って母が家を出て行ってからもう30年が経つ。
もう少しで16になる歳だった私は、意外と冷静だった。母が出て行くということを、ちゃんと実感できていなかったのかもしれない。捨てられるとは感じなかった。子供ながらに、母には母の事情があることを察知していたから「うん、わかった」とだけ答えた。あの場面でいやだとゴネても、無駄な気がした。
 
母がいなくなってからの生活は、よくテレビドラマに出てくる父子家庭そのものだった。まったく温か味がなくなった家はひっそりして、必要最低限の生活が行われる空間に変わった。姉も私も多少は家事ができる年齢だったからいくらかマシだったが、ただ寝に帰るだけだった。
母が出て行って1~2年ほど経ったころ、大学生の姉は進路のことで父と大喧嘩して家出した。家には父と私の2人だけになった。姉が家出することは事前に知っていたが、止める権利もなかったし、止めようとも思わなかった。父には悪いが、母も、姉も、出て行く方が幸せならそれでいいじゃないか。もう、なるようにしかならない。そう思っていた。
 
もともと毎日帰りが遅かった父とは、話すどころか顔を合わせることもほとんどなかった。何日も、何週間も、それで全く支障がなかった。当時はスマホもLINEもなかったが、用事があればチラシの裏面に必要最低限のメッセージを走り書きしておけば事足りた。親子というより、姿の見えない同居人と暮らしているようだった。
そんな状況だったが、幸い虐待もなかったし、親が子供に注ぐであろう普通の愛情を、父は父、母は母でそれぞれ個別に、静かに、少し離れたところから注いでくれていた。両親が一つ屋根の下に揃っていない、ただそれだけだった。
だが当時はまだ離婚そのものが珍しかったから、狭い田舎町では噂はすぐに広まる。隣近所の好奇の目に晒されたこともあった。毎日が白黒で、味も音もない世界だった。こういうのを家庭崩壊って言うんだな、なんてぼんやり思っていた。
 
「お前がグレたら全部お母さんのせいになっちゃうんだからね。しっかりしなさいよ」
 
家を出て行く姉からピシャリと言われた。今思えば、これから家出する人に言われる筋合いはないが(笑)でもこの姉の一言のおかげで、私は高校での成績を辛うじて保ち、進学して大卒の肩書きで就職できたようなものだった。
 
再婚した母は関東近県へ引っ越して田舎暮らしを楽しんでいたが、70歳を過ぎてめっきり身体が弱ってきた。東京駅から片道2時間ちょっとかかる母の小さな家は、日帰りできなくないが決して近くはない。車がなくてはとても暮らせない片田舎だ。
 
「少し出すから、2世帯住宅を買って同居しない?」
 
母が東京を離れる前に聞かれた。かなり迷ったが、夫の性格と夫の仕事の都合もあって断った。実家の父への気兼ねも、なかったと言えばウソになる。
もちろん、母を恨んでいるわけではない。だけど、父とも母とも、ほどよい距離感があったからこそ家族のままでいられたのだ。今から一緒に住むことは難しいけど、細くても何かで繋がっていればいい。そう思っていた。
 
70歳にもなれば、誰だって一つや二つ、身体の具合の悪いところが出て来る。だんだん身体が思うように動かなくなり、母もいろんなことが不安になっているのだろう。電話やメールで様子を聞くが、断片的でどうにも埒が明かない。医師に相談するように言っても「白衣恐怖症」の母はうまく説明できないらしい。そもそも病院は大嫌いで行きたがらないし、周りに頼れる知人や親戚もいない。そんなにしょっちゅう顔を見に行くこともできない。
母に何かしてあげられることはないのか……。
母にとっての老後が、もうすでに始まっていることを感じた。
 
そんな状況になってみて初めて、母の生活習慣や症状、母が今どんなことを考えているのか、全く分からなくなっていることに気が付いた。娘なのに。母の食べ物の好みすらよく思い出せない。一緒にスーパーに買い物に行った記憶もほとんどない。30年という時間が、私の記憶を風化させていた。
 
考えた挙句、食材から日用品、ちょっとした家具まで購入できるカタログ通販サービスに母を入会させた。足腰が弱って買い物が困難になっても玄関先まで商品を届けてくれるし、見守りにもなる。同じカタログを見ながら、「今週は特売だよ、見た? 」「見た見た。あのお惣菜気になるよね、食べてみようか」なんて会話もできる。たかがカタログ通販だけど、あのころ行けなかったスーパーへの買い物に、いま母と一緒に行っている気になれた。母もすっかり気に入って、買い物を楽しんでいるようだ。そういえば昔、実家でも生協やってたなぁ。
 
これからも、私と母の物理的な距離が近くなることはないかもしれない。
でも30年越しの母との見えない絆は、カタログ通販サービスがつないでくれている。
 
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2018-03-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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