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メディアグランプリ

介護する、介護される役割を越えると、今やる意味がわかってくる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:筒井洋一【ライティング・ゼミ日曜コース】

 
 
「銀行には預金があるけど、当座必要な現金が工面できない。大変申し訳ないのですが、****円貸してもらえないでしょうか?」
「滅多に来ないのに、やって来たら金の催促か? よくそんなことが言えるな!」
 
この当時の事は今でも思い出す。組織内の不祥事があり、その責任をなすりつけようとする動きに耐えられなくなって、以前の職場に自ら辞職を申し出たのだった。
 
今から思うと、当時は、退職する事で正義感を示せたと思っていた。一応、家族には事前に了承を得たが、本人が辞める、というのだから、家族は何も言えない。
 
退職にあたっては、職場で契約していたローンなどの支払いを済ませないといけない。銀行には預金があったが、解約するとかなり不利になるのでそのままにしたい。どこかから借りる必要があった。そこで親に貸し付けを頼みに行ったのだった。
父とは長年の葛藤があり、実家の門をまたいだのは実に10年振りだった。父と目をあわせても厳しいままであり、世間話をする雰囲気でもない。そこで端的に借金を申し出た。
 
父は、これまで私が会いに来なかったものだから、あらゆる事が怒りにつながった。
 
「洋一が書いているあの本はなんだ。あんなつまらない本は誰も読まない」
「挨拶も満足にできないのに、大学教員なんて失格だ」
「全然ビジネスの厳しさがわかってない」
 
数えれば切りがないが、一方的に私に責任があると延々とまくし立てられた。反論したかったが、反論すると火に油を注ぐ事になるので、ただただ父の気持ちが収まるのを待っていた。30分以上黙って聞いていたら、我慢した報償なのだろう。最終的には借金を承諾してくれた。丁重にお礼を言って実家を後にした。
 
私の次の職が見つかり、当座の資金問題も解決して、再び父とは疎遠になっていった。私の子供(孫)だけが私の父(祖父)に会いに行けるように、実家から車で10分ほど離れた場所にアパートを借りた。実家に行くのは子供だけで、私は行かず、私の母(祖母)が時々アパートにやって来て、しばし歓談するだけであった。
 
数年経って、父の認知症が進行しているらしいといううわさを聞いた。実家の前を車で通ると、近くを歩いている父を見かける事があった。買ってきたはずの商品が入っていないビニール袋を引きずっていたり、近所の人に挨拶されてもまったく反応しない様子を見ると、かなり進行していることがわかった。ただ、仮に進行していても、私に対する理不尽な態度を父が謝罪しなければ何もするかと思っていた。要は、父親の介護なんてしたくなかったのだ。
 
こういう冷たい態度を取っていた私に対して、妻から父親の状態もだいぶ悪いようだし、そろそろ介護認定を申請したらと勧められた。母に尋ねても、母は介護の実態をほとんど言わない。
 
「最近、父親の状態はどう?」
「よかったり、悪かったりで、その時々で違う」
「だんだん悪くなっているよね?」
「今日は悪くても、きっと明日にはよくなってくる、と思うようにしている」
「じゃ一度、家がどうなっているか見に行く」
 
別件のついでに実家の門を再びくぐった。父の部屋は集めた資料や本で足の踏む場もなく、かつて毎日何時間も父が手入れしていた庭は雑草が生え放題であった。好きだった風呂も入りたがらない。かつては整理されていた家の中が見る影もない。
 
さすがにこれはまずいと思い、ケアマネージャーや主治医に相談して、なんとか介護認定を受ける事ができた。しかし、介護認定を受けても、父はデイケアに行こうとはしなかった。そこで、ある時、親族が父と散歩に行った。そのついでにデイケアを見学しようという魂胆だった。
 
孫娘が
「おじーちゃん、一緒に見に行こう」
と言ってくれたのでデイケア施設に入った。
「おじいちゃんの好きな本もあるよ。花も飾ってある」
孫娘はいろいろと気を利かして、誘ってくれたのだが、父は途中からいやがり怒り出しはじめた。施設の説明を聞こうにもこんな状態ではとても聞けない。やはり、母に任せるしかなかった。いや、正直言うと、私は父の介護から逃げようとしていたのだった。
 
ところが、デイケアには強く抵抗するが、それ以外の場面ではまったく父の態度が変わった。認知症が進行した父は、それまでは怒りの対象であった息子に一方的に頼るようになっていた。私が言うときだけ耳を傾けてくれるのだった。あれだけ怒りをぶつけていた息子に対して、認知症になったからといってなぜ頼ってくるのか。頼るよりも先に、まずわれわれに謝って欲しいと思ったが、もはやそうした話ができる状態ではない。私にとって心の中のわだかまりを残しながらも、親だからといって一方的に介護する事がつらかった。
 
こうしてしばらくは、母一人で老々介護していたが、やがて母は介護疲れで入院する事になった。介護者なしでは生活できない父を緊急入院させたが、病院への不適応を起こし、病院からはいつも苦情を言われた。
 
「介護は嫌なもんですねえ」
「介護大変でしょう。お疲れ様です」
 
親の介護をしていると、誰からもそういって気づかわれる。しかし、私の場合は、父の介護の時には苦しかったが、現在の母の時にはそうでもない。
 
この違いは一体何だろうか?
 
子供が親を介護するのが当たり前と言われると苦しくなる。介護するのが私で、介護されるのが親であれば、私が常に親を介護しないといけない。そう思うと気が滅入りそうになる。
 
一方で、母の介護の場合、私は母を介護しているとは思っていない。失礼な言い方かも知れないが、血縁かどうかよりも、私の側にたまたま介護が必要な人がいるのでやっていると思っている。私は素人ヘルパーさんのつもりである。
 
しかも、もっと極端な事を言うと、私は母のために介護をしていない。じゃあ、誰のためか。それは自分のためである。今の自分ではなく、10年後、20年後、30年後の自分のためである。将来、介護されている自分を考えながら、今の母を介護するとすべてを受け入れやすくなる。
 
今、介護していてもやがては介護される立場になる。人生はこういう循環の中に生きている。父の介護の時には固定した関係でしか考えていなかったので、常に奉仕させられていると思って苦しかった。
 
介護する、介護されるという、一見すると役割が固定していて、介護する側が常にストレスを感じているとすれば、介護はうまくいかない。自分が誰かを介護し、そして今後自分も介護される。また、たとえ介護されていたとしても、介護する人に生きる喜びを与え続ける事ができれば本望だろう。
 
介護する、介護されるという役割よりも、将来の自分を想像できれば、今やる意味がわかってくるのである。
 
 

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2018-04-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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