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プロフェッショナル・ゼミ

人はなぜ自らの幸福よりも不幸について語りたがるのか《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:河原千恵子(ライティングゼミ・プロフェッショナルコース)

初めてギックリ腰になったのは、8年ほど前のことだ。
床に落としたものを拾うとき、横着して膝を曲げずに手を伸ばして取ろうとしたら、腰にブチっと衝撃が走った。
その後、ちゃんと養生せずに動き回ったのがアダとなり、腰と背中にずっと違和感が残った。痛みで30分以上座れない、股関節回りが痛くて長く歩けない、重いものが持てなくてスーパーで水が買えない、などの不調が続いた。

日常生活にも困った私は、腰痛と背中痛、股関節痛を少しでも緩和すべく、あちこちの治療施設を渡り歩いた。
整形外科はもちろん、大学病院、整骨院、整体、マッサージ。鍼灸、カイロプラクティック、体操、ヨガ、ストレッチ……。ほかにも自分でやる体操やリンパマッサージなど、ずいぶんいろいろなことを試した。
あんまり痛みが強くて、起きたら歩けなくなっているのではないかと思い、朝目覚めるのが怖かった。

そうやってドクターショッピングを何年続けただろうか。ある日私は気がついた。
主に初診のときだが、自分が医師あるいは治療家の前で、自分の症状についてまるで物語を語るように生き生きと語っていることに。

何がキッカケだったか。
いつ、どこでそれが起こったか。
その後の経過はどうだったか。
今までどこでどんな治療をしてきたか。
どうすると痛むか。
どんな姿勢をすると痛むか。
どれくらい痛むか。
 
腰を痛めた最初のころは、こんなにとうとうとは語っていなかった、はずだ。
何度も同じ話を繰り返しているうちに、たぶん自分のなかで整理されて、説明することに慣れてしまったのだ。
それにしても、病気の症状なんて不快なことのはずなのに、なぜ自分はこんなにおしゃべりになっているのだろう、と私は不思議に思った。

よく考えてみると、腰のことだけではない。
重症の花粉症で、一年のほぼ半分をマスクとメガネで武装しているが、目のかゆみやくしゃみのつらさについて尋ねられればいくらでもしゃべれる。
足の形が独特で、合わない靴を無理して履いていたら外反母趾になったのだが、靴選びの苦労について語り始めたら30分くらいは続けられる。
人見知りで、初対面の人と話すことができず、どんなに挙動不審になってしまうかについては……、いや、もう十分だろう。

とにかく痛みや弱点について語ろうとするとどうにも冗舌になってしまうのだ。
だがこれは何も、私に限ったことではないようだ。
医者に対する不満の上位にランキングされるのが「3分治療」とか「話を聞いてくれない」であることを思えば、多くの人は自分の悩ましい症状についてじっくり聞いてもらいたいと願っているのがわかる。
またカウンセラー系の仕事をしている友人の話を聞いても、人は楽しいことよりも、つらいことのほうが語りやすい傾向があるようだ。

そうなってしまう理由のひとつは、たぶん日本人に独特の、謙虚であることを美徳とする価値観にあるのだろう。
また、自慢話のように受け取られて、嫉妬されたり攻撃を受けたりするのではないか、という自己防衛本能がそうさせるのかもしれない。
「テスト勉強やった?」と聞かれて、必死でやったにもかかわらずつい「私も全然やってなーい」と答えてしまったりする、あれだ。
だが、一番の理由はたぶん、つらいことや悩みについて語ったほうが、より共感してもらえ、関心を持ってもらえるという漠然とした前提なのではないかという気がする。
それがまったく根拠のない思い込みであることは、自分が聞く立場になればすぐわかるのだが。

いつも否定的なことしか言わない人、不幸そうな顔をしている人には誰も近寄らない。
医者やカウンセラーのように仕事ならば仕方ないけれど、そうでもなければ、愚痴っぽい人はむしろ他人を遠ざけてしまう。

その対極にいるのが、自分の好きなこと、楽しいことについて語る人たちだ。
天狼院書店には、そういう人たちばかりがたくさんいる。店主の三浦さんをはじめ、スタッフの人たちも、受講生の人たちも、みな楽しげに書いたり、語ったりしている。まだ愚痴っぽい人を見かけたことがない。
何かで壁にぶつかって解決法を質問するにしても、「悩んでいる」というよりは「どうしたらもっと成長できるか」「この壁を突破できるか」という、前向きな姿勢だ。

天狼院の講師の三浦さんの講義には、ちょくちょくカメラが登場する。たとえ話に使うこともあれば、単純に新しいカメラのすごさが語られることもある。
カメラについて語る三浦さんは、ひたすら生き生きしている。
情熱にあふれている。
子供のように純粋で、好奇心いっぱいだ。
そしてカメラ愛がひしひしと伝わってくる。
カメラに縁のない私でも、思わず話に引き込まれ、そんなに楽しいなら、自分もカメラをやろうかな、という気にさせられる。
ワクワクしてくる。
それはたぶん、情熱をもって語る人の姿は、たとえ直接会話をしていなくても、聞く者の内側に眠っていた情熱を、呼び覚ます力があるからだと思う。
そしておそらく、人は誰でも、自分の内側にある情熱を喚起されることを心の底で望んでいるのではないだろうか。

それでもまだ、私にとっては、楽しいこと、好きなことについて語るのは難しい。
「最近、楽しかったことは何ですか?」と聞かれるより、「最近、つらかったことは」と聞かれるほうが答えやすい。
好きなものを聞かれるより、嫌いなもののほうが答えやすい。
それはたぶん後者のほうがより具体的だからだと思う。
体の痛い部分を聞かれたら、「ここです」と指差せるけれど、痛くないところはどこといわれても、特定するのはむずかしい。
好きなもの、楽しいことは、本当はたくさんあるのだけれど、ふだん注意を向けることが少ないのだ。
だからもっと、目を向けることが大切なんだと思う。
自分は何が楽しいのか、好きなのか、興味を持っているのか。
その部分にちゃんと意識を向けてあげるということが。

私の参加している天狼院書店の小説家養成ゼミの講義にショートショート作家の田丸雅智先生がゲスト講師として来てくださった。
先生はご自身がショートショートを書かれるようになった経緯について「自分の脳が何に快楽を見出すのかについて徹底的に掘り下げ、そのうえで、自分に最も適した表現方法を探したら、ショートショートに行きついた」という内容のことを話されていた。

それを聞いたとき、私に必要なのはこれだ! と思った。
私は自分について、知らなすぎる。
今からでも、遅くない。
自分の脳が何に快楽を見出すか、見つけたい。
そしてそれについて語り、表現したい。

だから、不幸について語るのはもうそろそろやめよう。
謙遜なんてしている場合か。
楽しいこと、好きなことについて語っても、誰も攻撃なんかしてこない。

不幸について生き生き語れる人は、本当は楽しいことについてだって、同じくらい情熱をこめて語れるはずなのだ。

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この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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