メディアグランプリ

SNSで広がる「お隣さん」から、正しさの決めつけという暴力について考える


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中村 英里(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「あっ!!!」
 
東京で、みぞれまじりの雪が降ったあの日。
横断歩道で、一人の老人が足を滑らせて転んだ。
 
数歩駆け寄れば老人のもとに辿りつける距離に、私を含め、数人がいた。
 
どうしよう、助けに行こうか、でも……とためらっていたとき、
 
「大丈夫ですか?」
 
と、ひらりと傘をたたんで真っ先に駆け寄ったのは、若い男性。
 
手を貸した男性は、自身も水っぽい雪で濡れながら、びしょびしょになった老人に手を貸して、体を起こすのを手伝っていた。
 
目が離せなくて、二人が横断歩道を渡りきるのを、数歩離れた場所から眺めていた。
 
渡りきったころ、隣にいた子供を連れた女性が
「両手が荷物でふさがってなかったら、私だって助けに行ったのに」
と、何度も言うのが聞こえた。
 
私は横でそれを聞いていて、「あぁ、この女性はうしろめたいんだ」と感じた。
 
老人が転んだ瞬間、その女性がはっと息をのんだ姿を、私は見ていた。
 
気づいていたのに、駆け寄れなかった自分。
それを恥じて、私だって助けに行こうとしていた、と口にしたのだろう。
 
なぜそう思ったのか。
私も、同じく駆け寄ることができなかった自分を恥じていたからだ。
 
もう何年も前の話だが、雪の日に信号待ちをしていると、その出来事を思い出す。
 
でも、ふと考える。
なぜ駆け寄るのをためらったのか?
 
転んだ老人に手を貸して起こそうとしたら、自分も濡れてしまう。もしかしたら、服が汚れてしまうかも。
 
そんなことを、無意識に考えていたように思う。
 
でも、もし転んだのが自分の父親だったら?
服が汚れるなんて考えないで、真っ先に駆け寄るだろう。
 
あの時、転んだ老人を助けた若い男性は、老人とはなんの関係もない赤の他人だっただろう。でも反射的に駆け寄って、助けていた。
 
では、この違いは?
なぜ私は父親だったら真っ先に駆け寄っただろうに、見ず知らずの老人を助けるのは躊躇してしまったのか。
 
その出来事を思い出すたび、考えていたが、しっくりくる答えが見つけられずにいた。
 
しかし、先日家でゴロゴロしながらツイッターを見ていた時に見つけた、あるブロガーの炎上騒動で、その答えが見えた気がした。
 
先日、あるブロガーが、海外に行く際に、自身のミスで行きの飛行機の時間に間に合わなかった。そして数万円追加で支払い、別便を取った。
 
現地には無事着いたが、到着後に旅行会社より「行きの便に乗れないと、帰りの便も自動キャンセルになる」と連絡があったそうだ。
 
そのため、別便を改めて取る必要が生じたが、それには6万円ほどかかることが判明。
 
そこで彼は、「助けてください」とツイッター上でフォロワーに呼びかけた。
 
「polca(ポルカ)」という、アプリ上でお金をつのることができるサービスで「帰りの飛行機代をサポートしてほしい」というプロジェクトを立ち上げ、そこで資金をつのった。
 
そうしたら、彼のブログをいつも楽しみに見ているフォロワーからの寄付で、ものの30分で希望金額を上回る金額が集まったのだ。
 
彼は、「無事帰国できました。みなさんのおかげです、本当にありがとうございます」と笑顔で帰国した写真を、ツイッターにアップしていた。
 
この一連の流れに対して、一部の人から
「自分で払える金額なのに、何でフォロワーから金巻き上げてるんだよ」
「その神経が信じられない、意地汚い」
などといった、批判の声があがった。
 
批判する人々に対しての反論の声もあがった。
 
その中に、
「もし自分の友人が同じように困ってお金を募っていたら、支援するでしょ? 普段彼のブログを見て楽しんでいる人たちが、彼を助けたいと思ってプロジェクトに支援しただけ。批判するのはおかしいんじゃない」
という意見があった。
 
「polca」は、友人間での送金・集金を目的とした「フレンドファンディグ」と呼ばれるサービスだ。
 
インターネット上で「プロジェクト」を立ち上げ、不特定多数の「クラウド(群衆)」に対して資金をつのる、「クラウドファンディング」と、仕組みとしては似ている。
 
違うのは、資金をつのる相手だ。
 
「polca」内で作成されたプロジェクトは、URLを知っている人しかアクセスできないようになっている。
 
つまり、SNSなどでURLを知らせ、それを見た知り合いしか、基本的にはそのプロジェクトの存在を知ることはない。
 
だから「クラウド(群衆)」ではなく、「フレンド(友人)」ファンディング、なのである。
 
今回の流れを見ていくと、まずツイッターやブログで、そのブロガーの人となりを知っていて、「役立つ情報をいつもシェアしてくれる」「考え方に共感する」という気持ちになっている、フォロワーがたくさんいた。
 
そして、その人が「困っています!」と言っていたので、アプリで簡単に送金できるサービスを使って、サポートした。
 
この一連の流れは、SNSやWebサービスがまだ多くの人にとって一般的ではなかった10年ほど前には、起こり得なかったことだ。
 
日本に昔からあったような「お隣さん」との付き合いという文化は随分前になくなったが、2007年にiPhoneが登場したのをきっかけに、SNSやWebサービスは急速に進化を遂げてきた。
 
そして、身近な家族や友人以外の、遠くの人とも「お隣さん」として繋がることができるようになった。
 
つまり、同情したり共感したりして、手を差し伸べることができる範囲が広くなり、アプリなどを使って直接サポートをすることも、すぐにできるようになったということだ。
 
どこまでが「お隣さん」なのか? という範囲は、人によって異なる。
 
ブロガーに対して「フォロワーからお金を巻き上げるなんて!」と批判した人にとっては、そのブロガーの一連の流れは、手を差し伸べる範囲外のことだったのだろう。
 
そして、雪の日に信号で転んだ老人のエピソード。
老人に駆け寄った男性と、すぐに動くことができなかった私。
 
私よりも男性の方が、「手を差し伸べる対象」の範囲が広く、そこに対して行動を起こすスピードが速かった。そこが違いだったのではないかと思う。
 
雪が降ったあの日、私は信号で倒れた老人を助けなかった。
一方、すぐに駆け寄ってその老人に手を差し伸べた男性がいた。
 
 
インターネット上で、飛行機のチケット代をつのったブロガー。
助ける人もいれば、批判する人もいた。
 
いずれについても、どちらが正しいとか、そういうことを言いたいわけじゃない。
 
自分以外のすべての存在に、常に深い愛情を持って接し、手を差し伸べて続けて生きていくことなんて、できない。
 
少なくとも、私には。
 
自分の目に止まったものに心を尽くして接すればいいし、助ければいい。
 
助けなかった人を批判する必要もないし、助けなかった自分を恥じる必要もない。
 
そう思うのだ。
 
「正しいこと」を決めてしまうと、それに対するものは「間違い」になる。
 
絶対的に正しいことなんて、この世に存在するのだろうか。
 
自分は常に正しい行いをしていると、胸を張って言える人は、どれだけいるのだろうか。
 
自分は、正しさを振りかざして、誰かを傷つけたりしていないだろうか?
 
SNS上だけでなく、家族や友人との普段のコミュニケーションの中でも。
 
時々振り返って、考えるようにしたい。
 
 
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2018-04-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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