プロフェッショナル・ゼミ

誰かとつながりたいから美術を見るのだ、寂しい僕は《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:永井聖司(プロフェッショナル・ゼミ)

僕はもしかしたら、異常なのかもしれない。
初めてお葬式に出た時のこと。
僕は、そんなことを考えていた。

高校2年生の春。同居もしていた、祖父のお葬式だった。
父に母に兄に姉、そして参列者の多くが涙を流し、葬儀場の中にすすり泣く音が響く中、僕は、一滴の涙も流すことができなかった。
どうして皆が泣いているかはよく分かる。祖父が死んだことが、悲しいからだ。寂しいからだ。
そんなことを冷静に考えている自分自身にゾッとしながら、僕は必死に泣こうとした。
こんな状況で泣かないなんておかしいんだ、泣かなきゃ。
しかしそう思えば思うほど僕の頭は冷静になっていき、まるで葬儀場の中にいる人たちの中で僕だけが別の次元に切り離れてしまったような錯覚に陥る。
泣くことも出来ない僕は、祖父の死から何を感じ取れば良いと言うのだろうか。祖父の死、そして祖父の葬儀と僕の間に、どんな関係があるのだろうか。祖父の死がこの先、僕にどんな影響をあたえるというのだろうか。
ひとり、葬儀場の中にあって葬儀場とは別の空間を漂う僕は、そんなことを考えている自分を恐ろしく感じながらも、確かにそんなことを考えていた。
全てが僕とは無関係な、つながりがないことかのように、感じていた。
そして思った。
ああやっぱり僕は、おかしいのだ、と。
同居もしていた。小さい頃は将棋をして遊んでもらったり、かわいがってもらった祖父の死に対してまで、こんな風に冷静に考えてしまうなんて、僕はやっぱり、変なのだ。

「永井くんって、変わってるよね」
その言葉は、小さい頃からずっと、まるで影のように僕について回った。
意識して変わったことをしようとしたことなんてないし、『変わってると思われよう』と望んだこともない。それなのに何故か、気付けばいつもそう言われていた。
女の子とばかり遊んでいた小学生時代。バスケ部を辞めて演劇部に移った中学校時代。関東の大学ではなく、函館の大学を選択した高校生時代。僕がする決断や行動のほとんど全てを変わっていると言われれば、徐々にその言葉は薬のように意識や身体に浸透していき、そして副作用を発揮し始めていく。
『自分は変わっているのだ』という意識が、僕と他人との間に、見えない壁を作っていくのだ。
友達と笑って話していても家族と話していても、話している自分とは別の俯瞰した位置から、話している自分と、その話し相手を見ている自分がいるような、そんな気分だった。
嘘をついているわけではないけれどいつもいつでも、本音で人と話せていないような気持ち悪い感覚が、僕の中には、いつもあった。それは同時に、他人と仲良くつながっているように見えて実は誰ともつながっていないような、孤独な、とても寂しい感覚でもあった。
その感覚が嘘ではなく本当なのだと確信した瞬間、そしてやはり僕は誰ともつながっていないのだという思いが頂点に達したのが丁度、祖父の葬式だったのだ。
そんな僕に、『つながり』を思い出させてくれ、そして教えてくれたのが、『美術』だった。

「さあ、ちょっとしゃがんでみて」
大学2年生の春。僕は、実家のある栃木でもなく大学のある函館でもなく、京都にいた。そして疲れ切っていた。
先輩とゼミ仲間の同級生2人と教授との6人旅。古美術研究なる名前の、フィールドワークの授業だった。
『京都で寺社仏閣・美術館を巡る』と言えば聞こえは良いものの、朝から晩まで仏像や絵画、書などを見ては移動し、また見てインプットしては歩いて移動し、また見てを繰り返せば僕の足は棒のようになり、加えて5月の京都の暑さにみるみる体力を奪われれば、当時二十歳直前の僕と言えど、身体中から悲鳴が上がっていた。
そんな中で訪れたのが、京都駅からほど近くにある、東寺だった。
教授の案内で入ったお堂の中は少しだけ薄暗く、そして涼しかった。その涼しさに癒やされながら、立っているのやっとの状態だった僕は、本来の目的である仏像鑑賞はそこそこに、たまらず壁際に腰掛けていたのだが、教授に容赦なく指示を出されたわけだ。
僕は半ばキレ気味に腰を上げ、教授に言われたとおり、仏像の正面の位置で、しゃがんでみる。
そして顔を上げてみたら思わず、
「あっ」
と声を上げたくなるほどの驚きが、僕の中に走った。
『仏像に、見られている』という感覚を、確かに感じた。しかも、疲れ切っていたとは言え、数分前、立った状態で全く同じ仏像を見た時には感じなかった感覚を味わえていることに、僕は静かに興奮していた。
「仏像って言うのは、鑑賞者の見る位置がちゃんと計算されて、作られているの」
教授が、僕達の背後から、解説をしてくれる。
「昔の人も、みんなと同じように、見ていたのね」
教授の言葉が、とても深く、僕の頭のなかに染み込んでいくのを、僕は感じた。
立った時としゃがんだ時、たった数十センチの差の中に、何百年もの差を飛び越えるタイムトンネルがあるようにさえ、僕は感じた。
つながった。
当時、この仏像を見ていた人たちと『つながった』と感じた僕は、それまでに感じたことのないような満足感に、自然と口角が上がるのを感じた。

ただしその一件以後、毎年春は京都へ、秋は東京へとフィールドワークへ出かけたけれど、同じような感覚に出会うことはなかった。良いな、だったり、美しいな、だったり思える作品はあっても、『つながる』という感覚を味わえることはなかった。ゼミで様々勉強もし、知識も増えた。そのおかげで、何も知らなかった頃よりも、フィールドワークを楽しむことが出来るようになっていた。それでもフィールドワークから帰ってくれば、フィールドワークに行った面白さよりも、疲労感の方が勝る。そんなことが続けば、東寺で感じたあの感覚は幻だったのかもしれないと、そんなことさえ、思うようになっていた。
そうしてゼミでの美術史の研究にそれほど面白みも感じられなくなった頃、僕は就職活動を迎え、実家の栃木に戻った。そして、実家から東京に通って説明会やら選考を受け、その合間の気晴らしにと美術館へ行くという生活を続けている中で訪れたのが、『長谷川等伯』展だった。研究や美術へのモチベーションが著しく低下していた僕からすればそれほど行きたいわけでもなかったけれど、長谷川等伯といえば安土桃山時代を代表する絵師。見に行かない、という選択肢はなかった。
その日は小雨が降っていて、慣れないジャケットを着ていると蒸し暑いぐらいだったことを、よく覚えている。
受付を済ませ、中へと入る。片手でパタパタと顔を仰ぎながら、集中力も極端に低い状態で、絵画を眺めていく。本来なら1枚1枚じっくりと見なければいけないものであるはずなのに、そういった気力もまるで起きず、スタスタスタスタと、他の鑑賞者を追い抜きながら、進んでいく。毛の描き方がキレイだな、サルが可愛いなとか、浮かんでくる感想はボンヤリとしか浅いものばかり。
そして最後の角を曲がり、出口を感じたそこに、その作品はあった。
『松林図屏風』
国宝であり、長谷川等伯の最高傑作。
何度も何度も、ゼミの研究の中でその写真を見ていた作品だった。
これはさすがに、いくらなんでもしっかり見ないとね。そう思って、屏風の前に立ち、全体を眺める。
すると突然、足が床にくっついてしまったような、そんな感覚に襲われた。作品から、目が離せなくなる。
そして、描かれている、雨に濡れた松林を眺めていると、屏風の世界が作品の外に溶け出して、見ている僕が作品の世界に取り込まれてしまうような、そんな感覚を覚えた。松林図屏風の前に来るまでは感じなかった湿気を、確かに感じた。温度も湿度もきちんと管理されている美術館の中で、そんなことを感じるはずなんてないのに。霧雨の中を傘もささずに歩くように、重く、しっかりとした湿気が、身体にまとわりつくようだった。
つながった。
と、僕はまた思った。
東寺で仏像を見た時とはまた違う、『つながった』感覚。今度は、作品自体と僕自身が共鳴し、同化してしまったような、そんな感覚だった。僕がその場に何分いたのか、まるで覚えていない。
こうして僕は、美術にハマった。

社会人になり、広島に異動になった後、ゴールデンウイークや夏季休暇など、長い休みの時は毎日を、東京や関西に行っては美術館に費やすようになった。1つの展覧会に掛ける時間がおよそ2時間を、平均して1日に3〜4件はしごする。フィールドワークに行っていた時のように、足は棒のようになる。インプット量の多さに、頭も疲れ切る。全く好みに合わなかったり疲労のせいで、ほとんど内容が頭に入ってこないことがある。それでも、休みの前には展覧会情報をチェックし、できるだけ効率的に美術館を巡れるよう計画立てをしている僕がいる。
それは、『つながった』感覚を味わいたいと、切に願う僕がいるからに他ならない。
そして数を回っていけば自然と、その願いが叶う回数も、確実に増えていっているのだ。
モネの絵を見て、その世界に取り込まれ、つながる感覚を、何度も味わった。安土桃山時代の屏風を見ては、どんな所にこの屏風が置かれ、誰が見たのかを想像し、つながる感覚を得ることが出来た。
更に様々な展覧会で見たり覚えた知識、もっと知りたくて本を読んだことから得られた知識が加えられていけば、『つながった』感覚を味わえる頻度は上がり、回数が多くなっていけば、もっと大きくて大切なことを、美術は僕に教えてくれた。
僕と作品が繋がることだけではない、作品同士や作品を作る人と守る人など、ありとあらゆるものが『つながって』いるのだ、ということだ。
ゴッホが日本の浮世絵の影響を受けて自分の作品に取り入れていたり。鎌倉時代の絵巻に描かれていた炎の表現が連綿と受け継がれ、現代のアニメやマンガでも似たような表現が見られたり。または過去の仏像や建築などを守るために仏師や宮大工などの人々が活躍されていたり。
たった1つの作品を取り上げてみても、様々なつながりがあって生まれ、残った作品なのだと、気づかせてくれた。
その『奇跡』を、美術作品を見れば感じることが出来、思い出すことが出来る。そのことが、僕を元気にしてくれる。

そんなことを続けていたら自然と、何も変わっていないはずの祖父の遺影が、実家に帰る度、変わってきているようにさえ思えてきた。
葬式で、祖父の死に対して何も感じられなかった僕を、美術が治癒してくれたのだと、今は思う。
祖父とのつながりを、強く感じることが出来る。
そして祖父のことを、とても愛おしく思う。

これからもこの感覚を味わうために僕は、美術と関わり続けていきます。

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