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メディアグランプリ

京都≒中国


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:村藤将(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
 昨年の8月、私はずっと育ってきた東京を離れ、京都へ転勤してきた。
 別に栄転というわけでもなかったが、古い町並みが好きで京都には何度も観光に来ていたこともあり、それなりにワクワクしていた。古い町並み! 旧い建築物! 厳かな喫茶店! 仕事は忙しいだろうけど、毎週末は観光できるかも! 面白そうだな! 、と。
 それからはや半年、転勤当初あったワクワク感はさすがに薄れてきているが、代わりに、出てきた感情がある。それは、懐かしさである。
 約6年前、私はある学生団体を経由して、中国のとある代理店でインターンシップをしていた。インターンは中国の上海と天津で行い、日本人以外の同僚と仕事をしつつ、日々、水餃子やロバ、チャーハンを喰らい、週末にはクラブや観光に行くなど、それなりに充実した毎日を送っていた。
 私はその時、生活している時に感じた事と現在京都での生活での同じことを感じている。すなわち、京都での生活は中国での生活と非常に似通っている。京都に数多くの中国人観光客がおり、道路を歩くと中国語が聞こえる、からではない。京都で暮らし、そのこまごまに中国の匂いを感じるのだ。
 わかりやすく、3つ、例を挙げたいと思う。
 一つ目は、人々の生活における「道」の位置である。例えば、私が育ってきた東京では「道」に対して、あまり強い意識を持っていない。もちろん、環状七号線や環状八号線など、「環七」や「環八」のような愛称で呼ばれるくらい人々の暮らしに浸透している「道」はある。しかし、それは、本当に大きな道路だけであり、そこまで大きくない道路についてはあまり浸透していない。ましてや、それはあくまで道路の名前を知っているだけであり、それで住所がわかるというような使い方はしない。「?」と思う方もいるかもしれないので、例を挙げる。東京にある、首都高3号渋谷線×自由通りや京都にある三条通×烏丸通。これらは2つとも、ある駅の所在地を指しているが、どこかわかるだろうか。おそらく、京都の方は分かるだろうが、東京の方はわからないだろう。前者は東急田園都市線の駒沢大学駅、後者は地下鉄烏丸線の烏丸御池駅を指す。地元民だった私でさえ、首都高3号渋谷線×自由通り、と言われても何処かわからない。東京医療センターと駒沢公園駐車場の間を突っ切れ、と言われたほうがまだ分かる。閑話休題。中国も京都と同じだ。例えば、天津で伊勢丹に行きたいときに、日航ホテル近くの伊勢丹に行ってくれ、ではまず通じない。営口路×南京路まで行ってくれ、という必要がある。このように、中国と京都では、道×道で住所を特定できるほど、「道」が生活の中で重要な位置を占めている。
 二つ目は、マナーである。中国は言わずもがなだと思うので、割愛するが、京都人はとかくマナーが悪い。特に交通マナーが悪い。京都で暮らしているとよく分かるが、車が歩道を走ったり、信号を無視したり、逆走したり、と京都外に住んでいたことのある人間から考えると神経を疑うような運転をよく見かける。これは中国でもよく見かけるものである。おそらくは、京都は日本の、中国はアジアの中心だった時代があったため、その傲慢な意識がいまだ意識の根底に存在するためではないだろうか。
 最後は、古いものへの意識だ。東京で育っていた時は、京都や中国の人に、歴史のあるものが近くにあって羨ましい。住民らはさぞや誇らしいだろうと考えていたが、どうやら違うようだ。酒場にて、京都で育った人と話すとき、この話をすればあまり良い反応が返ってきにくいし、中国人の友人と話すときもあまり良い反応が返ってこないことが多い。どうにも2つとも、近場にある歴史的なものに対して良い感情を持っていないように感じる。何故だろうか、良い機会なので、考えてみた。それで思いついたことがある。これはおそらく、二次元作品でよくある、「主人公と幼馴染との関係(異性同士)」みたいなものなのだ。すなわち、側にいるのが当然なのでいなくなると寂しいが、周りに個性豊かな新キャラ(新しいもの)が出続ける。それらが皆、主人公に向かって手を伸ばす。主人公はそれに応えたいけど、幼馴染は側にいるから、深い関係にはなれない。幼馴染がウザったい。でも、離れるのは嫌だ。そんな関係である。
 京都も中国も歴史があって馴染みのあるものが近くにあるからこそ、新しいもの全てに手を伸ばすことが出来ない。完全に最先端の文明にはなれない。だからこそ、いとましさを感じるのだろうと思う。
 暮らしてみると、他にも色々と、京都と中国は似ているな、と感じることが多い。私にとってそれは非常に嬉しいことだ。私にとって中国は住みやすい地域だったし、環境が近いということはそれだけ居心地がよいからだ。
 京都≒中国。この符号は、他の暮らしている人達にとってはありがたくない認識かもしれないが、私にとっては、住み慣れていない地域を馴染みのある地域に認識を変える良い符号だった。

 
 
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2018-04-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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