メディアグランプリ

「自己表現」しなくてはいけないという強迫観念の時代に生まれて


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:kiku(ライティング・ゼミ特講)

 
 
「なんか前から自分の世界に浸っている人っていう印象があったよ」
久しぶりに中学の同級生に会ったとき、ふと自分に向かってこんなことを言われた。
 
自分がフェイスブックに上げている記事とか写真を見て、彼は私に対してこんな印象を持っていたようだ。
 
「なんか自分の世界を大切にしている人っていうか……」
普段、あまり人と話すのが苦手な私は、周りが自分にこんな印象を持っているのかと思い、驚いてしまった。
 
自分の世界を大切にしている人……
自分の世界観に浸っている人……
 
確かに自分は昔から、自分の世界に浸っているところがあった気がする。
友達作りが大の苦手でいつも家に閉じこもってばかりいた。
家では映画ばかり見て、大学時代になると自主映画ばかり作って、自分が表現したい世界を、あたかも一介の文化人のように気取って、模索していた気がする。
 
たぶん、いまでもその性格は変わっていない。
最近だとカメラにハマるにハマりすぎて、会社に出社するときも帰宅するときもいつも写真を撮りながら歩いている。
 
いつも絵になる風景を見つけることに必死になっている。
自分でも不思議だ。
なんでこうも自分は写真が好きなのか?
 
自分を表現する術を探しているのか?
 
写真を取りながら会社に出社して、写真を取りながら家に帰る毎日である。
時々、フェイスブックなどに上げている写真とか記事を見て、友人はそう思ったという。
決して、悪気があったわけではないと思う。
だけど、普通に感じたことをありのままに伝えてくれたのだと思う。
「自分の世界に酔い浸っている人……」
 
確かにその通りだと思ってしまった。
人と関わることが大の苦手で、ファインダー越しに見える世界に浸っているだけなのかもしれない。
 
自分の世界を大切にしていて、あまり人とのつながりとかを考えない……
そんな印象を持っていたと素直に彼は話してくれた。
 
自分はその言葉を聞いて、どしんと心に突き刺さった。
 
まさにその通りなのだ。
自分の世界を大切にしていて、あまり周囲と関わろうとしない。
それが自分なのだ。
 
周囲からすると、だいぶ痛いやつである。
 
ずっと、何かになれると思い込んでいるところがあった。
自分は人とちょっと違っている感性がある。
自分は人と違っているはずだ。
 
きっと自分なら何かになれる。
そう信じて疑わなかった。
 
自分は今、25歳である。
社会に出て3年近くの年月がたった。
もうこのくらいの時期になってくると、自分が何になれて、何になれないのかがだいぶわかってくる。
 
さすがに今からプロ野球選手になるのは不可能だろう。
 
普通のサラリーマンをやりながら、写真を撮る毎日である。
たぶん、心の奥底では「自分にしかできない表現があるはずだ」
そう思っているのかもしれない。
 
なんか世の中全体に、この「自己表現しなきゃ」という思いに雁字搦めになっている気がする。
SNSの台頭で、簡単に他者と比べられる時代である。
 
ある人は毎日楽しそうに仕事をし、毎日私生活を堪能している写真をツイッターやインスタグラムにアップしていたりする。
 
そんなリア充な人をみて、嫉妬からか自分も負けないように私生活が充実していることをアピールしていく人が増えてくる。
 
「自己表現しなきゃ」
「自分しかできないことを探さなきゃ」
 
そんな思いに自分もどこか違和感を抱えていた。
なんだろう、この気持ち……
 
どうしてこうも息苦しいんだろう。
 
何かにならなきゃいけない。
その思いが邪魔をして、目の前に霧がかかっている感じが常にあった。
 
「あるがままに生きよう」
「自分らしく働ける環境を探そう」
最近、話題の働き方改革によって、そんな主張が世の中に蔓延している気がする。
 
「自分らしさって何?」
「あるがままって何?」
 
自己を探して、自己PRできる要素をぐるぐる考えてみても、何も持っていない自分を知るだけで、辛く、心がカラカラに乾いてくる。
 
なんだろう、この気持……
 
そんな時に、この写真家の作品を見た。
この写真は……
それはとある写真家が撮った一枚の絵だった。
 
初めて見たのは中学生の頃だったと思う。
鳥取砂丘に漂う、四人の少女たち。
どの少女も見ている方向がそれぞれ違っている。
山陰地方の暗くて、どんよりとした空気感が独特なタッチで写真に溢れてきている。
 
この写真は一体何なのか?
中学生だった当時の自分はとにかく衝撃だった。
その頃は写真になんて興味を持っていなかった。
だけど、その写真だけは忘れられなかった。
ずっと、脳裏の片隅にあって、10年以上私の心に深く刻まれていた。
 
写真家、植田正治。
鳥取砂丘を題材にして、生涯に渡って抽象的な独特の世界観を表現し続けてきた写真家である。
その写真は国内というよりも海外で評価されているらしく、ueda調と呼ばれる独特の世界観が外国の芸術家には評判らしいのだ。
 
私が植田正治の写真と始めて出会ったのは中学生くらいのときだったが、
とにかくその写真が好きで、ずっと眺めていた。
 
なんでこんなに自分の世界を表現できるのか?
ずっと、気になって仕方がなかった。
 
なんでこんな写真が撮れるのか?
 
「この写真家なくして、今の僕は語れないと思います」
誰もが知る日本を代表するミュージシャンはそう語っている。
デビューして間もないころ、初のミリオンヒットを記録したCDジャケットの写真を撮ってもらったという。
 
「80歳になってもエネルギーがすごかった」
 
撮りたいと思うものを、撮りたいだけ撮る。
 
そのエネルギーに圧倒されて、そのミュージシャンも今でも亡くなった植田正治のことを先生と仰いで、鳥取砂丘を訪れているという。
 
そのミュージシャンは福山雅治という。
日本人なら、誰でも知っているだろう。
 
自分が撮りたいと思うものを撮りたいだけ撮る。
そのアマチュア精神に影響を受けて、今での日本の音楽シーンのトップを走っている。
 
自分が撮りたいと思うものを撮りたいだけ撮る。
 
久々に植田正治と福山雅治が出演しているドキュメンタリー番組を見て、考えさせられてしまった。
 
「何かにならなきゃいけない」
そう思って、自分はずっと何かになれる術をずっと探していたような気がする。
もしかしたらカメラを手にしたのも、何かになれる術を探す一環だったのかもしれない。
 
だけど、今は自分が撮りたいと思うものを、無我夢中に撮りたいと思うようになった。
なぜか無性にカメラを持っていないと落ち着かないのだ。
自分の周りにある光景を見つけて、切り取りたいのだ。
 
世の中は残酷で、薄暗いかもしれないけど、その中に差し込んでくる淡い光を捉えたい。
そう思うようになった。
 
「何かになろうとしても、無理にやって大成した人はいないのだと思います。
どうしても好きで続けていたものがいつしか実を結んで、結果的に今のその人を成しているんだと思いますよ」
 
以前に天狼院のとあるスタッフさんから、そう言われた言葉が今でも脳裏をかすめる。
きっと、植田正治もそうだし、好きで続けていたものがいつしか実を結んで、その人を成していたんだと思う。
 
私がその言葉の意味を理解できるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
だけど、どうしても好きで続けているものがあったなら、自分でも見えてくるものがあるのだと思う。
 
 
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2018-04-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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