メディアグランプリ

娘の素晴らしい覚悟とは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大國義弘(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
思い切りのよさ、決断力は、もしかしたら男より女の方が上なのかも知れない。
いざとなったら、女の方が動じない、とはよく聞く話である。
そのような素質が無いと妊娠、出産、子育ては出来ないのかも知れない。
今までで一番見事な家族と思ったのは、今のように携帯電話が普及するより以前、肺気腫で入院した長年の重喫煙者だった男性のご長女だ。
ある日の朝、いつも通り回診に行ったら、患者さんは言った。
「先生、もうダメだよ。あれ、やってくれよ」
あれ、とは眠り薬のことだ。
夜中からずっと苦しかったに違いないが、遠慮深い彼はナースコールを押さずに、私が来るのを待ってくれていたのだ。
まだがんばれるでしょう、とは言えない。
約束だ。
以前、病室で、こんな会話を交わしていた。
「先生、肺気腫ってのは苦しいね。何でこんなに苦しいんだか」
あなたが吸っていたタバコのせいです、とは言えなかった。
問いかけた彼自身が、一番よく分かっている。
肺気腫となった喫煙者の肺は、煙で肺胞が溶けて、ヘチマのように穴だらけ、スカスカとなる。
その結果、患者さんは酸素不足となり、呼吸は苦しくなる。
水の中に潜って時間が経てば苦しくなるのと同じだ。
入院された男性も酸素マスクの酸素流量を目一杯増やしても、堪え難い日々が増えてきた。
「先生、肺気腫の患者がどんだけ苦しいか、わかんないでしょ。食べて苦しい、しゃべって苦しい、生きてるだけで苦しいよ」
笑うところではないにもかかわらず、私は思わず笑ってしまい、それにつられるかのように、患者さんも苦笑い。
「分かりました。どうしても辛くて耐えられないときは、我慢しないで言って下さい。最後の手段があります」
「……?」
「眠り薬です。眠れば苦痛は取れます。取れますが、点滴を止めると目が覚めてしまい、覚めるとまた苦しくなるので、苦しいのを取るためには点滴を続けなければなりません。なのでお迎えが来るまで、眠ったままです。安楽死は出来ませんが、眠り薬は使えます。お迎えが来るまでずっと点滴を続ければ苦しまずに済みます」
「ずっとってどれくらい?」
「数時間の人もいれば、何日もの人も。でも何ヶ月という人はいません」
「それ、いいね」
「でも眠ったままですから、ご家族とは一生、この世では口が利けません」
「分かった。じゃあ、いよいよダメになったら頼むよ」
「はい。その時に備えて、今のうちに、沢山ご家族とお話をして下さい。思い残すことなく、というのは無理と思いますが、それでも沢山、お話し下さい。実はあそこに1億円、隠してあったんだ、とか」
つまらない冗談にも患者さんは笑ってくれ、分かった、と言ってくれた。
家族には、本人にこの話をする許可は得てあり、話したことも伝えてあった。
本来なら家族同席でする話であったが、遠方のため事後報告となった。
いよいよ、あの時の約束を果たす時が来たのだ。
人の命を助けるのが医者の本来である。
しかし助けられないことも日常だ。
三才で亡くなる子供もいれば、長生きの人もいるが、みんな、いつかは終わりが来る。
人生の最期の場面で、苦しむ人がいる。
アフリカの奥地で医療が無い、という状況なら知らず、今の日本では命を助けられないなら、次善の策として苦痛を和らげる方法がある。
眠り薬の点滴だ。
これを選ばないのは、最後まで苦しみなさい、というに等しく、人道に、もとる。
「では薬の準備をして、娘さんに連絡しましょう。娘さんが来るのをお待ちになりますか?」
「いやあ、待てそうにないよ」
「分かりました。では電話だけさせて下さい」
私は看護師詰め所に走り、長女に電話をかけた。
「いよいよ苦しいから点滴をしてくれ、とおっしゃっています。おいでになれますか?」
「はい、行きます。三時間かかりますが」
「おいでになるまで、待つように言いましょうか?」
「いいえ、本人が苦しがっているなら、待たせるのはかわいそうです。この間の日曜日に行ったとき、十分話しましたから……」
十分はあり得ない。
私は娘さんの冷静な語り口の中に、いいよその日が来たか、という嘆息を聞いた気がした。
でもあえて、待たせますよ、とは言わなかった。
覚悟を決めた娘さんの、親を苦しめたくないという気持ちに異を唱えることはできない。
私は病室に戻り、娘さんに薬を始めると伝えたこと、そして今から娘さんが来ることを患者さんに話した。
苦しいと言っていた患者さんは、これで楽になれる、という安心感を得たせいか、安堵の表情を見せた。
「先生、世話になったね」
「いいえ、こちらこそ。娘さんにお伝えすることはありますか?」
「世話になったな、と」
伝えますから、もうちょっと待って下さい、と言い残し、私は再度、看護師詰め所に走り、娘さんに電話した。
「お父さんは、世話になったな、と言われてました。お伝えすることはありますか?」
「ありがとう、と」
私はまた病室に戻り、
「娘さん、ありがとうって言ってました」
「うん。先生もありがとうね」
「こちらこそ、診させて頂いて、ありがとうございました。またあちらでお会いしましょう」
「うん」
あちらで通じるか、この言い方を患者さんが受け容れてくれるか、私は自信が無かったが、彼は受け容れてくれたようだった。
父親である彼は、二日後、眠りについた後に到着した娘に看取られながら、旅だった。

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2018-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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