プロフェッショナル・ゼミ

人生を変えた1曲《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:山田あゆみ(プロフェッショナル・ゼミ)

まだ13歳だったその日、私は、父から1枚のCDをもらった。
それは、オムニバス盤と呼ばれるアルバムで、アメリカでその年に流行った何人かの違うアーティストの曲が、20曲ほど収録されていた。

その中の1曲に、衝撃を受けた。
R&Bと、ラップとポップスを1つの曲に取り入れていた。
その当時は、R&Bなんて言葉も知らなかった私だったけれど、ただ単純に、こんな音楽は聞いたことがない! と興奮したのを今でも覚えている。
一目惚れならぬ、一聞き惚れだった。
美しいメロディ。
流れるように淀みないラップ。
高音と低音が綺麗に溶け合ったコーラス。
一度聞いただけで、その曲が頭から離れなくなった。
そんな経験は初めてだった。
歌っているグループのことは、全く知らないし、歌詞は英語だから何一つ聞き取れなかった。
ただただ、私は夢中になって、ひたすらリピートボタンを押し続けた。
何度聴いても聞き足りなかった。

CDの裏面に書かれたグループ名を頼りに、CDショップへ行った。
そこで、彼らのライブを収録したビデオが発売されていることを知った。
観たい気持ちを抑えられなかった。
当時、中学生だった私にとって、ビデオは高い買い物だった。
お小遣い2ヶ月半分が必要だった。
それでも買わずにはいられなかった。
初めて家のテレビで観たライブは、最高を超えて超絶、素晴らしかった。
ダンスはキレキレで、ステージは色鮮やかで、まるでサーカスみたいに華やかで、衣装は斬新で、それを着こなしている彼らは、背も高くて肉体は鍛えられていて、もうとてつもなくかっこいい。
バラードは、上手すぎて、美しくて、音楽が身に染みるような感じがした。
アップテンポで、軽快な曲には、その場で一緒に踊り出したくなった。
笑顔が爽やかで、見ているだけで、胸がドキドキした。
パフォーマンスの後に、息切れしている姿が、リアルでまた良かった。頑張りが心に真っ直ぐに伝わってくる。
なんて、かっこよくて、努力家で、お茶目で、素敵なグループなんだろう。
完全に心を持って行かれた。

お金はなかったけれど、なんとか全てのアルバムを手に入れたいと思った。
そこで初めて、アルバムには日本盤と輸入盤という外国で売られているCDを輸入してきたものがあることを知った。そしてさらに、中古CDという物が存在することも知った。
欲しいものを手にするために、いろいろな手段があると知ったのは、それが初めてだったかもしれない。
輸入盤には日本語の対訳や解説がないことも買ってみて初めてわかった。
安いものには、安い理由が、高いものには高い理由があるのだとそこで初めて学んだ。

お金を貯めて、比較的綺麗な中古のアルバムや、日本盤よりも安い輸入盤のCDを買った。
とにかく、音楽が好きなのだから、音楽を聞けたらいい。
でも、一方で解説や和訳は魅力的だった。
輸入盤を買った時は、自分で何とか歌詞を訳そうと試みていたけれど、なかなか難しくてわからない部分も多かった。
誕生日プレゼントには、両親に日本盤のCDをリクエストした。
どのCDを日本盤で買ってもらうか、悩むのも楽しかった。

アルバムの歌詞は一曲残らず全部、ノートに写した。
そして、歌えるように一人で何度も練習した。

その頃、仲の良かった友達は、私がいつもその歌を口ずさんでいたせいで、聞いたこともないのにその曲を歌えるようになってしまっていた。

インターネットは今ほど発達していなかった。
海の向こうのグループの情報を知るのは、難しい事だった。

洋楽を専門に取り扱っている日本の雑誌を見つけて、そこから情報を得るようになった。
CDショップのポップに書かれた情報でさえ、大きな情報源だった。

やがて、アメリカやイギリスの音楽雑誌が売ってあるお店を見つけた。
そこで見つけた雑誌には私が好きなアーティストの色鮮やかなオフショットがたくさん載せられていた。
英語で書かれた記事は、辞書を引きながら読んでも、なかなか難しくて理解出来ない。
写真で内容を補いながら、半ば想像で読んでいた。
それでも、何度も同じページを見て、写真を眺めては喜んでいた。

ファンレターも書いた。
英語で手紙を書くのは、思った以上に難しい事だった。
でも、どうしてもこの好きという気持ちを伝えたいと思った。
彼らは日本でライブをした事がなかった。
来て欲しいと思った。
わからないなりに一生懸命辞書を引いて、書いた。
親にも英語を見てもらって、何度も書き直しながら書いた。
それを、レコード会社に送った。
ファンレターを、彼らに届けてください。
そしてサインも下さい。

サインはもらえなかったし、彼らから返事が来るわけもなかった。
でも、きっと熱意が届いたのだろう。
レコード会社の担当の方から手紙と限定のポストカードが届いた。
気持ちを受け止めてくれる人がいる事が、とても嬉しかった。
手紙には応援への感謝と共に、彼らの最新情報が書かれていた。
しばらく、その方と文通をした。
それは、初めての親類以外の大人との手紙のやり取りで、ポストに届く手紙にいつもワクワクした。
レコード会社の方は、子ども相手にいつもとても丁寧に返事を書いてくださった。
なんだか自分が大人の仲間入りをしたような気になったのを覚えている。
同じレーベルの他のアーティストのことも彼女は教えてくれた。

それもあって、そして雑誌の影響もあって、他のアーティストについてもどんどん興味を持つようになった。

好きな洋楽アーティストが増えていった。
洋楽ばかりをかけるラジオを聞き、雑誌を読み、CDショップでも、試聴機のあるCDは殆ど全部と言っていいくらい聞いた。

洋楽全般の虜になっていた。

洋楽に夢中になりすぎていた私は、学校で完全に浮いていたと思う。
クラスメイトが見ているような流行りのテレビ番組は、全く見ずに、大好きなアーティストのビデオを見て、洋楽雑誌や外国の雑誌を読んで、ラジオを聞いてばかりだった。
ドラマは、主にアメリカが舞台のものしか見ていなかった。
それを見れば大ファンのグループのみんながどんな生活を送っているかわかると思って見始めたのだが、結局は、外国のドラマそのものが面白くてはまっていった。
だから、絶賛売り出し中の日本の歌手も大人気の芸能人も、全くわからなかった。
友達は、私に芸能人の話題を振るのを諦めた。
漫画の話もしなくなった。
何を言っても、それって誰? 何? という反応しか返って来ないことを知ったからだ。
代わりに、私はいつも自分のお気に入りのグループがどれだけかっこいいかを話してばかりだった。いくら理解されなくても、魅力を語りまくった。
思い返せば返すほど、迷惑極まりない中学生だった。
みんな呆れ果てていた。
呆れながらも、私が情報を得るために、協力をしてくれるようになった。
日本のファッション雑誌に、時々小さく海外アーティストの記事が載ることがあったのだが、それをわざわざ切り抜いて持って来てくれるようになった。
大喜びでそれを受け取った。

そんな状態だったから、当然のように私は英語が好きだった。
好きというか、好きを超えて英語に大きな憧れを持っていた。

大好きな曲を英語で、英語のまま理解したかった。
日本盤のCDについている和訳では、意味がよく掴めない部分がたくさんあった。
ドラマだって、英語がわからないから吹き替え版を見ていた。吹き替えじゃない、リアルな言葉を自分で聞くことが出来たなら、どれだけ面白いかといつも思っていた。
この女優さんの本当の声で、本物のドラマが観たい、感じたい、知りたい。
溜まっていく英語の雑誌の写真を楽しむだけじゃなくて、インタビューをちゃんと全部理解したい。
単語の意味がわかっても文法がわからないため、文意が全く取れない事も多かった。
それに、スラングも多く使われていたから、辞書に載っていないような単語がどんどん出て来て、どうしようもなかった。
わかりたい、知りたい。
その度に思った。
それは、もう本当に強烈な欲求だった。
だから、英語の勉強だけは、喜んでやった。
NHKのラジオ講座を一生懸命にやった。英語の授業でも、誰より大声で教科書を読んだ。
英語ができるようになりたくて仕方がなかった。
いつか聞けるようになって、話せるようになって、アメリカに彼らのライブを観に行くのが夢だった。

心が焼けそうなくらいの強い気持ちだった。
そしてその気持ちは、年を重ねても衰えることなく心に留まり続けた。

高校で、受験英語には苦戦し続けたけど、やっぱり一番好きな科目は英語だった。
劣等生だったけれど、英語だけは他の科目より自信があった。

大学でも英語への興味は衰えなかった。
自分で英語の勉強法を確立した。卒業に全く関係のない単位を取ってまで、英語を勉強していた。
英語が話したくて、国際交流をするようになった。
外国人の友人がたくさんできた。
大ファンになったアーティストの出身地であるアメリカやイギリスだけでなく、世界に目が向くようになった。

大学院に進んで、社会学を学ぶことにした。
その時に大きな助けになったのは、英語だった。
専攻を変えて違う大学を受験したので、入試の際、専攻科目の知識がなくて苦労した。
でも、試験の英語には自信があった。
そのお陰もあって何とか合格して、素晴らしい指導教官の元で勉強する事が出来た。

職がなくて、困っていた時も、助けになったのは英語だった。
英語が多少できたことで、今の職に就くことが出来たのだった。
それが無ければ、どうしていただろうと思う。
今も業務で英語を使い続けている。
英語でメールを打ち、電話をする。
それが楽しいし、嬉しい。

英語が使えなくては巡り合えなかったであろう友人がたくさんいる。
彼らと過ごした濃密な時間は、間違いなく今の自分を形作っている。
考え方に、感じ方に、強烈な影響をもたらしてくれた彼らと、もしも出会う事がなかったら、私は今の私とはだいぶん違う人間だっただろう。

文化の違いから沢山のことを学んだ。
でも、結局はどこの国の出身かということは、その人の単なる一つの属性でしかないことも知った。
何人だからこうとか、どこ出身だからこんな性格だとかそんなに簡単に定義されるほど人間は簡単でも単純でもない。
どの国の出身であれ、皆違う人間であり、でも、同じ人間だ。
みんな同じで、みんな違う。
違うから面白いし、それでも共有できるものがあるから、楽しい。
そんなことも、英語が使えなかったなら考えもしなかっただろうと思う。

もしも13歳の時に、あの曲を聴かなかったなら、中学生の時に英語に対しての強烈な憧れを抱かなかったなら、今の私は存在しなかった。

少なくとも、4年以上続けているこの仕事は絶対していないし、あの大好きな彼女にも、あの個性的な彼にも出会っていなかった。
大学院には進めなかったかもしれない。
今みたいに海外旅行好きでもないだろう。
もっとずっと違う人生になったと思う。

それほどまでに、たったあの一曲に恋したことで、私の人生は変えられたのだ。

何かを猛烈に「好き」になることは、人生を変えてしまう。

大人になればなるほどに、「好き」という感情は、どこか「迷惑なもの」として扱われがちな気がする。
「好き」を追いかけることは、ある意味平凡で人並みであることを捨て去る行為だ。

「普通」に生きていくためには、偏った異常な憧れや、人や物に対する強すぎる愛は邪魔になってしまうのかもしれない。

でも、その「好き」という気持ち、憧れは、私たちをどんどんと、新しい世界へ誘ってくれる。多くの学びや気づきを与えてくれる。
たくさんの出会いを運んで来てくれる。
強くて純粋な気持ちは、周りの人をも巻き込む。
壁にぶつかった時に好きな物は、大きな支えになり、人生を切り開く強力な武器になる。

だから、「好き」という感情をこれからも大切にしていこうと思う。
そして好きなものによって、変化していく人生を楽しもうと思う。
その方が、平凡で危険のない普通の道を選ぶよりも、きっと何百倍も、面白い。

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