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メディアグランプリ

常識のフルコースを召し上がれ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:布村さわ子(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
ひらり。炎とともに舞うレシピ。一瞬、時間が止まる。目の前で起こっている事がよく理解できないまま、体だけが何とかしようと動く。なぜ、こんな事が起こったんだろう?
 
 年に数回、私の職場では、戦いの火ぶたが切って落とされる。戦闘服は、白衣。参加者は、エプロンと三角巾を身にまとう。これから繰り広げられる特別な時間に、参加者達の期待は高まる。レシピを見ながら、楽しそうだ。
 
 そんなはしゃいだ様子とは裏腹に、私の緊張は増していく。今日は一体何が起こるのだろう? 何事もなく、この時間、乗り越える事が出来るのか? そう、戦いの相手は、自分自身。自分の常識と指導力。少し前までは、すべての食材と調理器具の準備が揃い、ホワイトボードには献立も注意事項も書かれ、私一人。完璧な静寂だった。ここは、調理室。家庭科講師をしている私の職場である。
 
 チャイムがなり、クラス全体への説明が終わると調理開始。さっそく、弾丸が飛び交う。「これ、どう切ったらいいんですか?」「これ、どういう意味ですか?」「必要な食材がありません!」実習の説明は、1週間前の授業でしたはず。覚えてないと言われれば、それも仕方がないが、各調理台に詳しい作り方や注意事項を書いたレシピは配っている。それでも、生徒達からの弾丸のような質問は途絶える事がない。
 
 高校生でも、生活体験が乏しくなったこの頃は、私の常識をはるかに超えて、とんでもない事が起こる。IHに慣れた生徒は、まず、ガスの火をつけるのに戸惑う。そして、火に近づけたら、ものが燃える経験をした事がない。調理をしながらレシピを見て、火のそばに、その紙を置いてしまう。そして、レシピは燃え上がる! 
 
 レシピの火は一瞬で消え、大事には至らなかった。生徒にケガがない事を確認。そして調理台に目を落とす。「ああ、酢の物の上に灰が……」出来るだけ、灰を取り除く作業をしていると、「あー、やっちゃった」という声。割れた卵が床に広がっている。卵の処理は厄介だ。ちゃんと床から拭き取っておかないと、誰かが転んで事故につながる。助手さんに、すぐに床をふき取ってもらうように指示。私は卵の補充に走る。あちこちで、戦闘が繰り広げられる。
 
 そして、起こった最悪の事態。「指、切りました」あんなに、「包丁は研いだばかりだから、気を付けて扱ってね」と注意したのに……。そうか、家で料理しない子がほとんどだから、しょうがない。そんな事を考えている時間もなく、保健室に行かせるかどうかを判断。幸い、この場での応急処置で大丈夫そうだ。
 
 そうこうしている間に、次々に完成していく料理。いいにおいがしてくる。そんな中、「え? 何か、焦げ臭い」火加減を間違えて、焦がしてしまった班が発生。焦げを取り除き、アレンジして食べるようにアドバイスをする。
ガス火の調理の経験のない子は、火加減の画像を見せても、弱火の感覚が分からない。
 
 そして、試食。おしゃべりをしながら、おいしそうに食べている様子。ふと、食器を見ると、茶碗蒸し用の器に酢の物が入っている! あちらの班は、出し巻き卵が中華のお皿に!
「そうか、食器棚の和食器の場所を伝えただけではだめなんだ……」最後は、片付け。
そういえば、中学生対象の調理実習で、台ふきを知らない生徒が大半で、まず、台ふきの説明から始めた事を思い出す。さすが、高校生、そこは大丈夫。そして、終業のチャイムとともに、戦闘は静かに幕を閉じた。
 
 これくらいは知っているはず。当たり前の事だから言わなくても大丈夫。こんな事は出来て当然。そんな自分の常識が、ことごとく通じなくなって来たこの頃。最近では、何が常識で、どこまで言ったらいいのか、分からなくなっている。私の常識はまるで役立たず。切れない包丁で、一生懸命料理しているようなもの。力を入れれば入れるほど、食材は台無しになり、下手をするとケガをする。
 
 でも、自分の常識を疑うような機会は、普通に生活しているとなかなかやってこない。中高生と調理を通して触れ合う事で、自分の思い込みや時代遅れの常識に気づかされる事も多い。切れない包丁は研いだらいいだけ。また、切れ味抜群になり、しっかり働いてくれるようになる。
 
 若い世代が、常識はずれの行動をすると、眉をしかめ、非難する人も多い。でも、考えてみたら、彼らに、いろいろな体験や経験の機会もあまり与えず、勉強ばかり優先させている社会にも問題があるのかもしれない。
 
 家庭科講師でありながら、自分の子供達にろくに料理も教えずに、勉強をさせて来た。子供達が家にいる間に、もっと、料理の楽しさを伝えられたら良かったのに……。彼らが社会人になってから、コンビニ依存の食生活をさせている自分に自戒をこめて、ちょっと苦い“常識のフルコース”を味わった調理実習の一コマだった。

 
 
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2018-05-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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