メディアグランプリ

「生まれながらの悪人などいない」という大前提を改めて考える


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:香川智彦(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「あなた、ポケットに何を入れてるの?」
 
コンビニからの帰り道のことである。
5歳の娘の後ろポケットが妙に膨らんでいるのを見つけてしまった。
コンビニの棚のところでお尻に手を当てて、もぞもぞしていたので、気になって念のため確認したのだ。
 
恐怖で固まる娘。
ポケットの中を探ると、お菓子が二つ、食べ終わったチョコの包み紙が一枚出てきた。
 
万引きである。
 
「ああ……」
 
僕は思わず眩暈がした。
これが初めてであればまだよい。しかしなんと二日連続なのだった。
前日の夜、出先のコンビニで飴をこっそり取ってきて、夜中台所で食べているところを見つけた。
 
「人のものを取ってはいけないよ」
 
そうやって軽く言うことはこれまでにも多々あった。
けれど、その意味合いまで、普段しっかり伝える機会はなかなか無い。だから初回はある意味、「仕方ない」と割り切ることができた。
 
だから、これを機会にきちんと伝えておこうと、
 
自分のものを勝手に持っていかれることは、誰しもが嫌な気持ちになること。
品物は一生懸命作った人、運んだ人、売る人がいて、ようやく手元に届くものであり、商品を盗むことはその人たちの頑張りを無にすること。
お金は人に喜んでもらったその対価としてもらうものであり、お店は商品を売って人に喜んでもらおうとしているのに、商品を盗むと喜んでもらえなくなるし、結果お金をもらえなくなること。
売り物を盗むと、積もり積もってお店が潰れることもあり、一人の軽率な行動が複数の人の仕事を奪うことにつながって生きていけなくなる人が出るかもしれないこと。
 
こんなことを諭し聞かせ、翌朝一緒に店に謝罪の電話をしたその日の夕方である。
決して声を荒げることなく、もちろん手をあげることもなく、わかりやすいように言葉を選びつつ静かに伝えたつもりだ。最後には本人は泣きながら「もうしない。ごめんなさい」と言っていた。
 
だから僕は、もう大丈夫だ、と思っていた。
 
それにも関わらず……。
 
自分の言葉の力の弱さを呪った。
僕の言葉では、盗みの意味合いを全く本人に伝えることができていなかったのだった。
 
娘を罵倒し、手をあげていれば、気分は晴れたのかもしれない。
けれど、ただひたすら失望し、感情的になる気力すら無い、という状態だった。涙が出てくるのを必死に堪えた。
 
娘には、
「今、お父さんは本当に悲しくて失望している。そしてあなたを信じられなくなりそうだ。それは、お父さんが『もう二度としないでね』といったときに『うん』と自分で言っていたにもかかわらず、次の日にもう一度同じことをしてしまったからだ」
とだけ伝えた。
 
彼女は大粒の涙を目に湛え、じっとこちらを見つめていた。
 
「もしかしたら、自分の『血』のせいかもしれない」
 
そんな思いが頭をよぎり、思わず自分から目をそらしてしまった。
なぜならば、自分にも小学校時代に万引きをした経験があるからだ。自分の心の底には常にこの時の罪悪感が澱のように残っていて、子どもを叱るときにふと底から巻き上がるのを感じることがある。自分の「業」が未だ残っていて、20余年の時を経て娘に表出しているのではなかろうか……。
 
だとすると、もうどうしようもない……?
 
いや、そんなはずはない。
ただ善悪の観念と自制心がまだ十分に育っていないだけのはずだ。
 
そうでなければ自分の娘を「生まれながらの悪人」として認定してしまうことになる。こんなに素直で周囲への愛情に満ちた5歳の娘を……。
 
僕は自分の言葉と娘に対し、改めて向き合うことにした。ものを盗むこと、うそをつくことの意味合いについて、一方的に伝えるのではなく、なぜいけないのか、娘と一緒に考えることにした。
 
答えは出なくてもよいと思った。
彼女にとって、なぜいけないのかを考えることが大事なのだ。
 
やがて、娘の目から涙があふれだした。
 
「ごめんなさい。もうしない」
 
こちらが促したのではなく、自分自身の気持ちが言葉になって出てきた。僕は何となくほっとした。もう、本当に大丈夫だろう。もう彼女は二度と同じ過ちを犯さないだろう。
そう信じることができるように思った。
 
「子育ては親育て」
よく言われる言葉である。
そしてこの言葉を今回ほど痛感したことはない。
子どもに道徳、善悪を伝えていくためには、「当たり前」になっている事柄に対し、何よりも自分自身が深く考え、子どもにとってわかりやすい言葉を見つけていく必要がある。
その上で、子どもに答えを与えるのではなく、子ども自身がその答えを作っていけるように導く必要がある。
なんと思考と忍耐を要求されることか!
 
けれど、その思考と忍耐をきちんと積み上げ、伝えていくことで、子どもたちはきっと自ずから善悪の観念を身に着けていくことができるはず。
 
なんといっても、彼・彼女らも立派な一人の人間なのだから。

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2018-05-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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