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とけてしまいたいと思った夜に《プロフェッショナル・ゼミ》


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とけてしまいたいと思った夜に

記事:松下広美(プロフェショナル・ゼミ)

※この話はフィクションです

雨が降っていた。
ホテルの中にいた時は気づかなかったけれど、傘なしで駅まで歩くには、躊躇してしまうような雨だった。
「傘、持ってきたはずなのに」
朝の天気予報で、午後から天気は下り坂になるでしょう、と言っていた。朝から今にも降り出しそうな空をしていたから、傘を持って家を出た。折りたたみではなく、長い傘。でも、どちらの手を見ても傘を持っていない。どこに置いてきたんだろうと自分の行動を振り返る。
「どこに……あっ」
ホテルの部屋だ。忘れないようにと、ドアのそばに置いた。
取りには……戻りたくない。
駅まで、雨の中を歩いていく。

雨に濡れれば濡れるほど、みじめな気分になる。カラダだけじゃなく、ココロの中も濡れていく。お気に入りのバッグに、雨がシミをつけていく。私の中も、こんな風にシミがついてしまっているような気がする。

今日の朝は、こんな気分じゃなかった。

システム系の勉強会で一緒になった男と飲みに行くことになった。普段は県外から参加をしているけれど、近くに泊まりの出張があるからってことで誘われた。みんなの中では話の面白いおじさんという立ち位置だったし、他にも何人か誘っているからと言っていたので特に警戒をしていなかった。でも、待ち合わせ場所に居たのはその男だけだった。そしてビールで乾杯をした数時間後、その男に腕枕をされていた。
途中から……いや、最初に手を握られた瞬間から気持ち悪かった。急用を思い出した! とか言って振り払ってしまえばよかった。でもそんなことで勉強会のコミュニティから抜けなくてはいけないのは、なんだか嫌だった。

赤信号で立ち止まる。
電車なんかじゃなくて、タクシーで帰ればよかったかな。
メガネを取り、空を見上げて、目を閉じ、顔いっぱいに雨を受け止める。
雨にとけてしまいたい、そう思った次の瞬間。

あれ? 雨、止んだ?
顔中に感じていた雨の気配が、急に消えた。
目を開けると、傘があった。
「これ、どうぞ。でも、だいぶ濡れちゃいました? 風邪ひかないようにしてくださいね」
「え、でも、あ……」
強引に、でも、ふわっと包み込むようにして渡された傘。
いいです、と断る間もなく、走っていってしまった。

どうしよう。返せないじゃん。
どこの誰ともわからない相手。
傘は助かるけど……と、手元を見ると、傘の柄に『bar rainbow』とマジックで書いてあった。

一週間後、私は傘を渡された場所に立っていた。
手には傘を持って。
きっと、返してもらおうなんて思っていないんだろうけど、お礼を言いたかった。あの日、濡れたまま帰っていたら、惨めでどうしようもなく落ち込んでいたと思う。こんな私にも、傘を貸してくれる人がいるんだと思っただけで救われた。まぁ、落ち込んでいるけれど、落ち込んだ私を受け止めるだけの余裕はできた。
それに、あの、傘を渡してくれた手が忘れられない。ふわっと包み込むようにやさしく触れてくれた手。握った瞬間に気持ち悪いと思った男の手を、一瞬で忘れさせてくれるような、感触だった。

ただ、bar rainbowはどうやって検索しても出てこなかった。このネット社会の時代に、検索に引っかからないなんて……。もしかしたら実在していない店なのかもしれない。それに見つけたからって、どうなるものでもない。
それでも、探さないではいられなかった。

傘をもう一度握り直して歩き出す。
検索に引っかからないってことは、大通りにはないのかもしれない。大通りから路地に入る。細い路地に、飲み屋が軒を連ねる。
そういえば……。
この前あの男と飲んだのはこのあたりの店だった。なにも口にしていないのに、口の中が砂を食べたみたいにザラザラする。
水……さっき飲んじゃったんだった。
路地の先の、ちょっと暗くなったところに、ぼんやりと自販機の明かりが見える。
水を買い、ひとくち飲む。
はぁ。
嫌な記憶がよみがえり、ため息が出てしまう。ついていってしまった自分が悪いって、頭ではわかっているのに、心が消化をしてくれない。自分自身が汚いような気がしてしまう。
あっ。
ペットボトルのフタを閉めようとしたら、フタを落としてしまった。拾おうとして振り返ったとき、ヒューッと、春一番のような突風が吹く。
突然の風に、思わず目を閉じてしまう。
風がやみ、目を開けて、振り返ると『bar rainbow』と書かれた看板があった。

bar rainbowは古いビルの3階にあった。
店名が書かれた重厚感のあるドアの前で立ち止まる。これでもかというくらい、心臓が主張していて、ドキドキが止まらない。
よしっ、心を決めてドアに手をかける。
「いらっしゃいませ」
声のする方を見ると、グラスを手に持った男性がいる。
「こちらへどうぞ」
男性は軽く笑みを浮かべて、カウンターのひとつを指し示す。

この人なんだろうか、私に傘を貸してくれた男性は……。
あのときは相手の顔を確認する余裕もなかった。
ぎゅっともう一度傘を握り直す。
「あのー、この傘……ありがとうございました!」
思いっきり、頭を下げる。
反応がない。あぁ、もしかして違ってたのかな……。
「風邪、引きませんでしたか?」
あっ、はい! と頭を上げる。
「大丈夫です! ピンピンしてます!」
クスッと男性は笑う。
「よかったです。わざわざありがとうございます」
じゃあ、と男性は言い、
「こちらへどうぞ。傘はいただきますね」
はい、と返事をして、男性が指し示す席にすわる。
「何にしましょうか?」
そう言われて、ハッとなる。
バーなんか来たことなかった。こういうところってメニューないのかな? キョロキョロしてみるけど、居酒屋みたいにメニューが壁に貼ってあるわけじゃない。カウンターの奥にたくさんのお酒の瓶は並んでいるけど、全然わからない。
「さっぱりしたものは、お好きですか?」
おしぼりを差し出されて、聞かれる。
「はい、好きです」
「わかりました」
それだけを確認すると、男性はあごに手をやり、後ろの瓶を眺める。ひとつふたつと瓶を手にして、並べる。グラスに氷を入れて、砂時計のような容器の真ん中あたりを人差指と中指で持つ。瓶からその容器に注ぎ、さらにグラスに注ぐ。他の瓶からも同じようにグラスに注がれていく。
「それ、計量カップですか?」
つい聞いてしまう。
「えぇ、そのようなものです」
手を止めずに、答えてくれる。
今度は長い棒を手にして、グラスの中を混ぜる。グラスから混ぜていた棒を上げて、棒の先っぽの、スプーンみたいになったところを手の甲につける。
味見、してるのかな?
今度は心の中でつぶやく。
男性は軽くうなずき、グラスに炭酸を注ぎ、今度は軽く混ぜる。
「どうぞ」
コースターの上にグラスが置かれる。
「いただきます」
うわっ、なにこれ?
アルコールを感じるのに、すごく爽やか。
今まで飲んでいたカクテルって、なんだったんだろう。
「お口に合いましたでしょうか?」
縦に頭を何度もふる。
「すごいです! 美味しいです!」

店の中に流れるジャズ。
美味しいカクテル。
少し古いけれど、味のある店内。
静かで、とても心地良い空間。
時間の流れがとても早かった。

時計を見ると、もう、遅い時間だった。
「じゃあ、私、そろそろ……」
「ありがとうございます」
「また、来ますね」
そう言うと、男性は一瞬さみしそうな顔になった。でも、また笑顔に戻り、
「……ありがとうございます」
と呟くように言った。

店のドアを開けると、雨が降っていた。
どうしよう。天気予報、雨だなんて言ってなかったのに。
「これ、どうぞ。風邪、引かないように」
私が返した傘を、差し出される。
「え、でも、返しにきたのに、また借りるなんて……」
「大丈夫です。傘は、雨からあなたを守ることができて、幸せだと思いますよ」
なんか、キザなセリフ。そう思いながらも、彼のその言葉がラムネのように、しゅわっととけていく。
「傘が、あなたを守ってくれますから」
私に傘を握らせ、その上から包み込むように、彼の手が添えられる。
あたたかく、なつかしいような、幸せな気持ちになる。
「ありがとうございます。では、また」
店を出て、歩き出す。
振り返ると、彼はこちらを目を細めて見ている。
私は、その光景を、どこかで見たことがあるような気がした。

それからまた、行こうと思ったけれど、店が見つからなかった。
何度も何度も探したけれど、見つからなかった。

「え? これ、どこ? だれ?」

何年も経ったある日。
実家に遊びに来ていた私は、なにげなくアルバムを見ていた。
アルバムの中の1枚に目が釘付けになった。
その中に写っている風景は、あの日に訪れたbar rainbowだった。
「え? ちょ、ちょっと、おかあさーん!!」

お母さんに聞いてもわからなかった。古い写真だったから、おばあちゃんに確かめにいった。
「あぁ、これ、おじいさんが昔、働いていたお店だよ」
「え? おじいちゃんが? 私、この店に行ったんだけど」
あら、とおばあちゃんは目を丸くする。そのあと、クスリと笑う。
「おじいさん、あなたが産まれたときに、早くこの子と酒を飲みたいな、って、よく言ってたわ」

えー、と思いながらも、なんだか納得できる気もする。
ネットで検索しても出てこない店。
なんだかずっと、懐かしい気分だったこと。
そして、包まれるような優しさを感じた、あの手。

……そっか。おじいちゃんが。

庭へ出ると、空には虹がかかっていた。
***

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2018-05-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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