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羊羹とウイスキー《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松尾英理子(プロフェッショナル・ゼミ)
「悠悠として 急げ  開高 健」
ぐっと体重をかけて重厚な扉をあけると、この言葉が書かれた色紙が目の前に見える。その文字を目で追いながらカウンターに座る。そして、カウンターに飾られたかすみ草を見つめながら、疲れた気持ちをゆっくりゆっくり溶かしていく。
ここは、東京赤坂の一ツ木通りにひっそりとたたずむバーKokage。
作家、開高健が足しげく通ったお店だ。生前、かすみ草が大好きだった開高のリクエストで、カウンターにはいつもかすみ草の生花が飾られ、今でも毎日途切れることはない。

悠々として急げ、とは、開高健が生前に事ある毎に人に伝えていた言葉だ。
「急いでばかりでは、いい結果は出ない。心に余裕を持ちじっくり考える時間があってこそ、いい決断ができる。結果的にはそれが一番スピーディなことが多いものだ」
と、こんな意味合いだと思う。直筆で書かれたその色紙の文字が丸文字なのもかなり意外で、見るだけで心が落ち着く。字体を通じても「悠々が大事だ」と伝えたかったんじゃないだろうか。

小説家であり、ジャーナリストであり、釣り師であり、会社員でもあり、とまるで天狼院の三浦さんのようにいろいろな側面を持っていた開高健の残像が、このバーのカウンターには見える。
そのせいなのか、ポジティブな空気が静かに店全体に漂っている。だから、このバーを訪れるといつも、疲れが溶けていく感覚と同時に前向きな考え事がしたくなるし、仲間と訪れると、全員が笑顔で店を出ることができるような気がするのだ。

20代の私にとって、バーは大人の女になるための教習所だった。恋愛も仕事もとにかく悩んでばかりで自己嫌悪に陥ってばかりだった20代。落ち込んで常に心が傷だらけで常に気持ちがヒリヒリしていた。そんな私は当時、その傷を癒しにバーに通った。自らの「負のオーラ」を消したくて、そんなことさらっと交わせるような大人の女になりたくて。くつろぐというより、なんらかの救いを求めて訪れる、バーはそんな場所だった。
でも、それから何十年も時が過ぎ、もう背伸びをする必要もなくなった今、バーという空間は前向きな気持ちになるための「プラスのオーラ」を求めて訪れる場所に変わっていった。

人生半世紀近く生きていると、固定概念、先入観にがんじがらめになることがある。そこに安住しているほうが楽だと思える時もある。おのずと悩む回数も減っていった。そんなつまらない大人になりかけていた頃、私の背中を押してくれたのが、このバーだった。そのきっかけが、開高健がいつも、このバーでウイスキーを飲むときにつまみにしていたものを試した時のことだった。

その組み合わせは、そのバーの黒板メニューに必ず書いてある。
「虎屋の羊羹とマッカラン」
マッカランとは、イギリスのシングルモルトウイスキーの銘柄だ。

ウイスキーに羊羹なんて。変な組合せ……。
そうつぶやいたら、バーテンダーが笑って私に言った。
「だまされたと思って、一度試してみてください。きっと驚きますよ」

しばらくすると、食べやすく細く一口大にカットされた羊羹とウイスキーが私の前に並んだ。
ウイスキーに合うつまみといったら、一般的にはナッツ、チョコ、ドライフルーツが普通でしょう?
食べる前は半信半疑だった私だったが、バーテンダーが言ったとおり驚いた。
ウイスキーを口に含む。そして羊羹を一口、口に入れる。
すると羊羹の上品な甘みがウイスキーの味わいをより深くして、長く余韻が続いた。
特に虎屋の羊羹は、どっしりと重厚だ。羊羹のなめらかな口当たりと口に残る甘さがウイスキーと絶妙なハーモニーを生み出した。
本当に、驚くほどに、羊羹はウイスキーととてもよく馴染んだ。
世紀の発見をしたような気分になり、気分が高揚したままそのバーを後にした。

作家の藤森益弘氏は自身のエッセイの中で、こんな風に書いている。

甘党でもあった僕は羊羹も好物のひとつだったが、ウイスキーといっしょにかじったことはなかった。しかし、これがうまかった。何とも絶妙な甘さが口の中に残り、文字通り甘美な陶酔に浸してくれた。「どや?」と開高さんに訊かれ、「いやぁ、いけます」と答えると、「そやろ」と満足気に笑みを浮かべられた。

このエッセイを読み、私は、開高健と同じことをしたくなった。
それから何度か酒好きの後輩や同僚を連れて、このバーに訪れた。そして、羊羹とウイスキーの組合せを薦める。すると皆一様に、この組合せに半信半疑になる。そして、試すと全員が感動する。
そこで、私は「でしょ? この組合せ最高でしょ?」と笑みを浮かべる。
これが楽しくてやめられず、もう5回くらい繰り返している。

随分前に読んだ本に、ビジネス書の名著、ジェームズ・ウェブ・ヤングの「アイディアのつくり方」がある。ヤングはアイディアの定義を、次のように説明している。
「アイディアとは既存の要素の組み合わせだ」と。そしてまた「アイディアを生み出すのに特効薬などない。それまでに積み上げてきた準備や努力、心がけの全てがその糧になる。つまり、いいアイディアは、決して短時間の思いつきで生み出せるものではないのだ」とも付け加えられていた。

開高健の著書は、文体が読みにくいと感じてしまい、熟読できたことがなかった。でも、あのバーにあった色紙や、こだわりの組合せを通じて、開高健は私に教えてくれた。
「まずは、悠悠として急げ。それを繰り返していくことで、次のアイディアは生まれ、道が開ける」ということを。

羊羹とウイスキー。
この組合せは、既存の要素の組合せであっても、全く新しい印象と感動を与えてくれた。いわゆる、絶対に合うといわれる組合せ、例えば枝豆にビール、ワインにチーズ、日本酒に刺身は、あわないはずないと思える絶対的な信頼感はあるが、なんだか当たり前すぎで面白くない。それよりも、意外な組合せのほうが100倍感動できる気がする。

最近も、いろいろな組合せにチャレンジしている。
例えば、しば漬けとワイン。
例えば、たきたての新米ご飯と日本酒。
どちらも、羊羹とウイスキーと互角の勝負ができる感動の組合せだ。

天狼院書店店主の三浦さんの「殺し屋のマーケティング」を読んで、幻の羊羹を作り40年以上も行列が途切れない「小ざさ」という店を知った。
私はまだその「小ざさ」の羊羹を食べたことがない。
でも、近いうちに必ず手に入れて、ウイスキーと食べてみたい。
そこには、開高健が教えてくれた「虎屋の羊羹」以上の驚きと感動がある気がしてならないから。

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2018-05-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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