大好きだったと、伝えられなかった《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)
職場の先輩が亡くなった。本当にあっという間だった。
3月21日の祝日、私は年度末で仕事が滞っていたので、出勤していた。彼女も来ていた。私が印刷室で資料をプリントアウトしていると、彼女も同じタイミングで印刷をかけたのか、部屋に入ってきた。
「誰かから聞いてるかも知れませんが、実は、療休を取ることになったんです」
すぐに言葉が出てこなかった。ガンが転移しちゃったんだ、ということが頭に浮かんだ。彼女は4年前に、お子さんの授乳を終えてしばらくして、乳がんにかかってしまったのだった。
「いえ、聞いてなかったです。どこが具合が悪いんですか」
彼女は、ふっと笑いながら言った。
「もう、心も身体もボロボロですよ」
言葉は最悪な状況であることを語っていたけれど、まるで楽しいことを話しているかのような表情だった。彼女はいつも気を遣っていた。後輩の私にも、いつも丁寧語だったし、控えめで、でも周りの状況をいつもよく見ていた。少しだけ病状について話してくれた。肝臓とか、大腸とかに問題があって、3ヶ月の診断書が出ているとのことだった。
「お休みするのも、お仕事ですよ。しっかり休んでください」
私はそう声をかけた。
翌日から本当に仕事を休み始めた。そして、3月27日に亡くなった。私が療休のことを聞いてから6日しか経っていなかった。
彼女が亡くなったことは、彼女の係長が課長に報告しているのを聞いて、うっすら気付いた。「今、ご主人から連絡があったのだけれど」と係長が声をかけたのと、課長が「えっ、それは急だね」と驚いたような顔で答えていたのを見た。
心臓がびっくりするくらい早く鳴り始めた。手足が冷えて、顔から血の気が引いていくのが分かった。帰るまで1時間程度、ほとんど仕事が手につかなかった。でも一方で、まさか、勘違いのはずだ、と否定した。もし本当なら翌日には分かるだろうと、考えていた。
そして翌朝出勤して、彼女が本当に亡くなってしまったことを聞いた。
彼女が亡くなっても、まさについ先日まで一緒に仕事をしていたわけで、仕事の関係で話をする中で彼女の名前が出てくるが頻繁にあった。あまりにも急だったから、意識の中で、彼女が亡くなったということをきちんと認識していなかった。でも声に出すと、もういないんだ、ということを思い出した。書類をめくっていて、急に彼女の筆跡に出会い、ドキッとすることもあった。
でも4月から私は新しい職場に行くことになっていて、勤務場所も違っていた。だからそんな風に不意に、彼女のことを思い出させるスイッチが入ることは、4月に入ってからはなかった。けれど、予想に反して、私は彼女のことを頻繁に考えていた。
彼女とは、同じ部で10年仕事をした。特に同じ課で仕事をしていた間は、雑談しながら仕事のことを教えてもらったり、アイデアについて意見をもらったりしていた。彼女は適切なアドバイスはくれるけれど、私の考えを頭から否定したりすることはなかった。いつも勇気づけてくれていた。だからよく相談したくなったのだと思う。ひょっとしたら上司以外で一番仕事のことを相談したのは、彼女だったかもしれない。
どちらかといえば好きだと思っていたけれど、それくらいのつもりだった。いなくなってこんな気持ちになるとは想像していなかった。
車を運転しながら、車を降りて、職場までの道を歩きながら、夜、子どもたちが寝静まってから、彼女とのことが浮かんだ。でも思い出すのはいつも楽しかった時のことだった。こんな面白いとがあったな、と浮かんきて、思い出し笑いをしてから、その後で、最後はどんな気持ちだったんだろうと思って悲しくなった。どうして彼女だったんだろうと思った。
あの休日出勤した日、彼女が印刷室で、私に「もう、心も身体もボロボロですよ」と言った。まるで楽しいことを話しているような表情だった。そう思った。でもそれは、本当は違ったのだろう。何か恥ずかしいことを打ち明ける時のような、うっすらした笑いだったのかもしれない。私を嫌な気持ちにさせまいという気づかいだったのかもしれない。
実はその時、急に、彼女の手を握り締めたいという気持ちが湧いてきていた。私は彼女の手を見た。一瞬そうしようかと思った。けれど、自分の手を伸ばすことはしなかった。できなかった。
これまでの彼女との距離感というのもあったと思う。でもそれだけじゃない。そんな風にしたら、彼女がもう戻ってこない、と考えていることを伝えるような気がした。絶対に戻ってきて欲しかった。
だから私は、「お休みするのも、お仕事ですよ」と言った。真面目で、そんな状況でも仕事に来ている彼女には、それが一番伝わると思った。ちゃんと休んで、元気になって欲しかった。
その時、自分の直観に素直になって、手を握り締めた方が良かったのだろうか。そうすることで、彼女の気持ちは、少しは癒されたのだろうか。ひょっとして気持ちが温かくなって、免疫力が上がったりしただろうか。でも逆に抑えていた不安が出てきて、かえってつらい気持ちになったりしなかっただろうか。
よく分からない。
でもともかく私はそうすることができなかった。その心残りがあるから、何度も思い出しているのかもしれない。
毎日の生活の中で、人は色んなことを自分で選び、積み重ね、進んでいくように考えているような気がする。私自身、今日の一日をどう過ごすか自分で決め、その積み重ねで、自分の目指す道を歩んでいるように考えてきた。
でも時々、信じられないようなことが起きて、自分が想像していた明日とはがらりと変わってしまうことがある。そういうことが続くと、霧の中の一本の細い道を、どこを目指しているかも分からず、がけになっている道の外に落ちないようにバランスを取りながら、歩いているような気持ちになってしまう。
彼女の死は、私にとってもそんなショックを与えるできごとだった。年齢もそれほど離れていなくて、同い年のお子さんがいる。その上、一緒の職場で何年も仕事をしてきた。他人ごとではないという感覚だった。
まして彼女のように、自分自身が病気になったことがはっきりすれば、より霧の中にいる感覚にとらわれるのだろう。
自分で選びとっているのか、霧の中の一本道を進んでいるのか、そのどちらもが間違っていないのだと思う。本人がそれを、どうとらえるのかということになるのだと思う。
でも人間は一人じゃない。仮に本当に人生が霧の中の一本道だったとしても、心細く感じたとしても、完全に一人で進まなければいけないわけではない。誰かと手をつなぎ続けたまま、一本道を歩くことは難しいけれど、違う一本道を歩く誰かの気配を感じて、声をかけたりすることは可能だ。
そんな風に誰かに声をかけたり、背中をそっと押したり、必要であれば、手を握り締めることができるような人間になりたいと私は思う。そのためにはまず自分が強くならなければいけない。もっと強くならなければいけない。
彼女は24日の土曜日にも仕事に来ていたと、同僚から聞いた。机の中を片付けていたということだった。みんなに迷惑をかけたくないという思いからだったのだろう。彼女は先の見えない状況になっても、ちゃんと自分のそれまでの生き方を貫いていたのだ。
私もそんな風になりたい。そして、彼女は今も、私に声をかけてくれている。
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