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プロフェッショナル・ゼミ

ベンガル湾に浮かんだ私の脳《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中野 篤史(プロフェッショナル・ゼミ)

「お客さまへご連絡いたします。ANA643便、羽田発熊本行きは、飛行機のの到着の遅れにより……」
10:00発予定の飛行機が遅れるというアナウンスがだった。それでも13:00からのクライアントとの打合わせには十分間に合うだろう。この時、まさか打合せに遅刻するとは思っていなかった。それより、わたしの頭の中は熊本でのランチのことで頭がいっぱいだった。地方へ出張したらカレーを食べる。できればインドカレーがいい。それがわたしの出張の定番なのだ。

「地方へ行ったら、やっぱりご当地グルメでしょ。カレーとかないよね」
以前、会社の同僚はそう話していた。確かに、確かに、それはごもっともなご意見だ。でも私にとってカレーもご当地グルメなのだ。何故ならカレーは女性のメイクアップと同じだからだ。そこに、同じものは一つとして存在せず、人それぞれの個性が出てしまうからだ。何十種類もあるスパイスの中から、そのカレーに使うものを選び出すだけで、そこに個性が生まれる。それは、女性が自分に合う化粧品のブランドを選び出すのに等しい。さらに具材を吟味すし、スパイスの調合の割合を考え作り出される味は、店主の手腕とセンスに委ねられる。それは、顔の特徴を考え、ファウンデーションの色やチークの濃さ、眉の描きかたからシャドウの入れ具合までメイクアップが、女性の手腕とセンスに委ねられるのと同じなのだ。そういう意味で、カレーも全国津々浦々、ご当地それぞれに個性的なカレーが存在する。いや、むしろご当地というより、ご当人カレーと言えよう。だから、ある意味カレーはその店でしか食べられない、究極のエリア限定御当地グルメなのである。

搭乗してからも飛行機は、滑走路をノロノロと移動するだけで、なかなか飛立つ気配は無かった。しばらくして、飛行機が滑走路を加速しはじめたのは15分以上たってからだった。結局熊本空港へは30分遅れて到着した。空港ロビーで急いで市内までの電車を探す。時刻は11:55。ここで重大ミスを犯していたことに気づく。空港内の案内をどれだけ調べてみても、電車の案内がみつからない。それも、そのはずだった。なんと熊本空港から市内への公共の交通手段はバスしか無かったのだ。自分のノーテンキさに呆れた。福岡では空港から市街地まで地下鉄で15分程で行けるのだ。当然熊本空港もそうなのだと、勝手に思い込んでいた。しまった、焦りがつのる。考えるより先に切符を購入し、バスへ飛び乗ったのが12:10。ほっと一息ついている中、車内アナウンスが流れる。
「熊本駅までの所要時間はおよそ60分程を予定しています。途中道路の混雑状況により……」
まさかと思った。完全に想定外だ。国内線の主要空港から市街地ま1時間もかかるとは思ってもみなかった。このままでは13時からの打合わせに15分程遅れてしまう。やや心臓の鼓動が早くなり、背中にいやな汗をかきはじめた。唯一の救いはカレーを食べるための時間を見込んで飛行機をとっていたことだった。仕方がない、不本意だがランチの カレーはあきらめよう、打合せが終わってから遅めのランチにすればいい。車内から客先電話を入れ、打合わせに遅れる旨を伝え謝罪した。

結局、13時過ぎから始まったクライアントとの打合せは、16時過ぎまでかかった。朝から口にしたのは水とコーヒーだけであった。もはやランチではなく、ディナータイムである。この日は熊本に宿泊予定だったので、ホテルに一旦チェックインして、残りの仕事を終わらせ、ディナーの戦略を立てることにした。熊本城のすぐ東側にあるアークホテル熊本の810号室からは、修復中の熊本城天守閣を正面に見上げることができた。さて、せっかく熊本まできたんだ。普段肉はあまり食べなけど、上等な馬刺でも食おう。それから、締めにカレー屋をハシゴでもしようか。流石に馬刺からのカレーのハシゴは厳しいだろうか? 40才を過ぎた自分の胃袋のことを考える。だったら、馬刺、カレー、ケーキで締めるのも悪くない。時間も時間だから、馬刺と1件目のカレー屋を決めて出よう。あとは、胃袋に聞きながらだな。

パソコンで「熊本 馬刺」と検索。色々と出てきたが、地元の人で賑うという「馬肉郷土料理けんぞう」に決めた。カレーは食べログでも3.51の評価がある「TAGO CURRY」に。時間はもう20時になろうとしていた。ホテルから出て裏手の大きなアーケード通りを南へ向かう。どうやらこの辺りは、中心街のようだ。初めて訪れる街は、同じ日本なのに歩いているだけでワクワクする。お店のバラエティーや流行の捉え方など、東京と比較すれば目新しいものは特にないのにから不思議だ。唯一明らかに違いがあるのは書店の棚だと思う。地方の書店には、必ずと言っていいほど地域コーナーがある。そこには、東京ではあまり見かけない地元出身の作家や有名人の書籍がおかれていて、これを見ているだけでも旅の実感を味わうことができるのだった。

けんぞうはビルのB1にあった。階段を降りてドアを開けると、店員のおばさんがカウンター上の皿を片付けているところだった。「ちょっとお待ち下さいね」と声をかけてくれた。店内は地元の居酒屋といった内装で、観光客相手の感じではないところがいい。席へ着くと馬刺と刺身の盛合せ、それからサラダを注文した。しばらくして運ばれてきた馬刺は霜降りのハムのように見えた。厚く切られた馬刺しを一切れ口へ入れる。まだ完全に解凍されていないようで歯応えもハムのようだった。本場の味に期待をしていたが少し拍子抜けした。まあ、こんなものかな。中途半端に解凍されたものを出すなんて、たいした店じゃないのかもしれない。この時はそう思った。それから、地魚の刺身が出てきたので、そちらに箸をうつす。刺身を食べたり、サラダを食べたりしているうちに、馬刺に変化が起き始めた。俄かに艶を帯びてきたような気がする。間違いない。部屋の温度で肉が解凍され、本来の霜降り馬刺しの艶がでてきたのだ。一切れ箸につまむと、明らかに箸に伝わってくる肉の感触が違った。ハムのようだった先ほどとは違い、コンニャクゼリーのような柔ささになっていた。食べる前から唾が出てくるのがわかった。その一切れを口に入れる。噛むごとに霜降り肉から、良質の脂が溶け出す。美味いという必要はなかった。目を閉じて、味覚だけの世界に浸っている自分がいた。そうか、これが馬刺しだったんだ。本場の馬刺しに出会った瞬間だった。家に帰ってから妻にこの馬刺しの話をしたら、馬刺しというのは店で頼むと、やや凍った状態で出てくるから、しばらくおいてから食べるものだと教えてくれた。たいしたことないのは店でなく私だった。さて、あまりここでゆっくりはしていられない。次は、メインディッシュのカレーを食べにゆくのだ。大体腹5分目というところだろうか。問題ない、少なくとも1皿は余裕だ。

けんぞうから歩いて2分ほど。TAGO CURRYは、メインストリートから外れた、スナックなどがあるやや暗くて怪しい感じの路地にあった。スマホで場所を確認しながら歩いていたが、どうやら建物を通り過ぎてしまったようだ。今度は注意しながらゆっくりと来た路地を戻る。すると右側の建物の前にひっそりと、TAGO CURRYの立て看板がおいてあった。通りから2階への階段を上ると、廊下の一番奥にしっぽりとオープンしていた。木製のドアに、縦長に取り付けられたパイプ製のノブ。そして、ドアの上にあるTAGO CURRYのネオン看板。そこには「インド風カレー」と書かれていた。どう見てもスナックの居抜きだった。旅先で出会うのカレー屋としては、最高のシチュエーションじゃないか。ドアを開けると、先客がカウンター席に1人だけだった。時刻は21時近い。この時間にカレーを食べにくる客は多くないのかもしれない。店内は7人入れば一杯になってしまう程の広さしかない。カウンター席について、メニューを眺めた。いきなり目に飛び込んできたのは馬キーマカレーだった。マジか! どうやらここのオススメらしい。馬か……。トライしたい。でも、今日はもう馬刺しをたいらげてきた。迷った末、野菜とひよこ豆のカレーを注文した。カウンターの向こうにいるマスターは50代前半だろうか。背は高くやや痩せ型。白毛混じりの短めの髪にメガネという風貌。インド風カレー屋の店主というよりは、サラリーマンにいそうな感じだった。客への対応は腰が低く、真面目な印象。この人からどんなカレーが出てくるのか楽しみだ。

「お待たせしました」と、カウンターの上にカレーが出てきた。皿を地球に見立てるなら、北極にアーモンドを横にしたような形で、サフランライスの山脈が連なり、それ以外を野菜たっぷりのルーの海が支配していた。地球温暖化により南極の氷がとけ大陸の大半が、海に沈んでしまったような景色だ。ユーラシア大陸はジャガイモとニンジンでなどで形成され、南米はほうれん草がルーに浸りながら熱帯雨林らしきグリーンをアピールしている。そしてオセアニア周辺にはナスとひよこ豆が浮かぶ。その野菜たっぷりの海へ、神の如くスプーンを入れ、一気に海を口へ運んだ。それはとても大人なスパイスだった。インドカレーのような異国情緒は抑えられ、丁寧に作られたオリジナルなスパイスカレーが展開されている。さっぱりとして野菜の甘みが熟成した味は、マスターの人柄を表しているようにも思える。今日1日を締めくくるのにぴったりの味だった。私は、店を後にし、ホテルへ向かった。あー、満足満足。今日はもう十分だ。ハシゴできなかったから、その分は明日へ回そう。明日のランチが楽しみなのであった。

翌朝、ホテルで朝食をすませると、午前中はロビーでPCを開き仕事を終わらせた。今日は、16:25の便で東京へ戻る。ここでの食事は、ランチが最後だ。店は昨晩のうちに決めたいた。「スリランカ くまもと 2nd」だ。その名のとおりのスリランカカレーだ。店の名前からすでにスパイスの香りが漂っている。悪くない。人通りで賑う下通りから三年坂通りを東へ入っていくとすぐ店は見つかった。店舗がある2階への階段を登りきり、右手にあるドアを開けた。想像以上の広さと活気に面食らう。60席くらいはあるだろうか。カレー屋さんというよりは、ちょっとしたレストランだった。そして、お揃いのグリーンのポロシャツを着たスリランカ人らしき店員さんたちが、バタバタと動き回っている。ああ、もういい! この異国感。熊本の締めくくりとしては、文句なしだ。テーブル席に案内され、スリランカカリーを注文した。7分ほどすると、スリランカ人らしき店員さんが注文したものを運んで来た。スリランカカリーは、大きな皿のど真ん中に、お椀で形作ったライスがこんもり盛られ、その周りをクリーミーなオレンジ色のルーがとり囲んでいた。それはオレンジ色のベンガル湾に浮かぶスリランカそのものだった。そして、神の如くベンガル湾へスプーンを入れる。ベンガル湾は深かった。水深2cm。数字で書くと浅いと勘違いしそうだが、体感するそれは、かなりディープだ。そして、一口目を口へ運ぶ。数々のスパイスが脳天を突き抜け、私の脳はベンガル湾に浮かんだ。その味はスリランカだった。他に表現のしようがなかった。ああ、なんという幸福感。私はしばらくの間、ベンガル湾を堪能した。もう熊本に思い残すことはない。火の国熊本はスパイス王国だった。店を出た私は、SWISSというケーキ屋でイチゴショートを2つ買い、リムジンバスのバス停へ向かった。

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