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メディアグランプリ

目の前で壊されている家にたくさん詰まった、愛おしい思い出


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:小倉 秀子(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「本当に無くなるんだ……」
目の前の光景を、にわかには受け入れ難かった。
 
母が生まれる前からそこに佇んでいた母の生家。
私も小さい頃から頻繁に遊びに訪れた、思い出のいっぱい詰まったその建物が、まさに今目の前で取り壊されているところだった。
 
場所は静岡県の三島。
母から、三島の家が取り壊されることになったと聞いていた。長男である母の弟が亡くなって以来、その後を誰が継ぐかを7人の兄弟姉妹たちの家族で集まって話し合いを設けたが、それぞれの事情により継ぐことが叶わず、生家を取り壊して土地共々手放すことになったのだと言う。
 
私は東京から新幹線に乗ってはるばる三島まで、その事を確かめに来ていた。私にとっても三島の家がなくなってしまうことは一大事で、出来ることなら取り壊さずに、いつまでもそこにそのままであって欲しかった。
 
目の前の母の生家はまだ家の体はなしていたが、家の中の内装を剥がしたり、窓を取り外したりしているところだった。
取り壊している作業以外は、私が子供の頃に遊びにきた時と何ら変わらない佇まいだった。
周囲の集合住宅やモダンな建物とは一線を画した割と広い一角。純和風の門構えの平屋。表の庭には井戸があり、鶏はもちろんいないが鶏小屋もそのままだ。広い裏庭には相変わらず雑草が生い茂っている。
 
昔と変わらない家なのに、作業着をきた全く知らないおじさんたちが、内装をベリベリ、ビリリと遠慮なく剥がしては、ごみ集積場にどんどん投げ捨てていく。無慈悲に変わり果てていく様子をぼんやりと見ながら、私はこの三島の家での思い出を懐古してみた。
 
 
「なんでこのお風呂、底に板を敷いているの?」
子供の頃の私の素朴な疑問だった。自分の家とこの家のお風呂が違いすぎる。
大きい釜みたいな形をした風呂で、底に木の板が敷いてある。
「板を敷かないとね、熱くて入れないんだよ」
と、祖母が教えてくれた。
そう、このお風呂は、五右衛門風呂だった。家のお風呂よりも暖かくて気持ちが良かった。それはそうだ。お湯が冷めた時は、外で祖母が火を焚いて追い焚きしてくれたから。
後にも先にも、三島の家以外で五右衛門風呂に出会ったことがない。知らずに貴重な経験をしていたものだ。
 
トイレは水洗ではなかった。大きな穴に溜め続け、便器にフタをしておく、いわゆるボットン便所だった。ここに大事なものを落としてしまったこともあり、臭いもキツいし、このボットン便所に関しては正直あまりいい思い出はない……。
 
祖母は話好きで、たわいもない会話を色々した。話をしているだけで、どこか安心できる存在だった。
母にお願いしても、らちがあかないと思ったときに、
「おばあちゃん、ママに○○って言って。ね、お願い!」
なんて祖母を頼ることも多々あった気がする。祖母は、母と私の板挟みになって困ったような顔をしていたっけ。
 
祖父はといえば、いつも居間の定位置で一日の大半を過ごし、多くを語らず、NHKを観ていた。
祖父が時々仕事する姿も見かけた。五右衛門風呂や、ボットン便所があるような昔からの古い家だったが、その反面、当時一般家庭ではまず見かけない、6畳の部屋を独占するような大きいコンピューターが三島の家にはあった。
祖父はコンピューターのど真ん中にある席に座り、何やらキーボードを叩いていた。当時小学生に上がったか上がっていないかの歳頃だった私には、何をしているのかさっぱり分からなかったが、
「おじいちゃん、いつものやつ、出して!」
とお願いすると、祖父は何やらプログラミングをして、日の丸の国旗をプリントアウトしてくれた。コンピューターと触れ合うという科学技術的な経験も、この三島の家でしか出来なかった。(それが原体験となったのかどうかは分からないが、のちに私はシステムエンジニアになった)
 
母は7人兄弟姉妹だったので、三島を訪れると、同時に叔父さん叔母さん、いとこと滞在を共にすることがあった。これがまた賑やかで楽しかった。
特に、叔父さんが遊んでくれるのが最高に楽しかった。ぶら下がったり投げ飛ばされたり、若干プロレスもどきの遊びだったかもしれないけれど、年上のお兄さんとしかできないその遊びがたまらなく楽しかった。体力を消耗するので長く続けてはもらえず、いつも、
「もっと、もっと遊んで!」
「えー、もう帰っちゃうの?」
とその欲は尽きず、叔父さんを見つけると必ず催促していた。
 
三島の家だけでなく、三島の街も大好きだった。
三島といえば、三嶋大社のお祭りがよく知られている。毎年お盆の時期に合わせて三島の家に滞在し、大社のお祭りを楽しんだ。
何と言っても、あの大規模な屋台の通りを、端から端までくまなく歩いて欲しいものを厳選して買うのが本当に楽しみだった。三嶋大社の境内では、花火なんかもやっていてお祭りのフィナーレとして人が集まっていたが、私はいつも花火そっちのけで屋台に集中していた。
 
それほど大好きな三島の家と街だっただけに、私は成人してからも、時々足を運んだ。
19歳の厄年、厄払いに選んだのは三嶋大社だった。東京からはるばる大社まで来て厄を払ってもらった。
結婚して間も無く、たまたま主人の仕事で三島を訪れることがあり、この時に柿田川周辺の水の綺麗な観光スポットを訪れた。祖父母がよく連れて行ってくれたうなぎ屋さん「うなよし」にも訪れ、初めて自分のお金でうなよしのうなぎを食べた。この時初めて、三島は水が綺麗で、そのためうなぎも美味しいのだと知った。祖父母にご馳走になっていた時はそのありがたみもよくわかっていなかったが、東京からはるばる足を運んで、自分のお金でその美味しさを味わった時に初めて、幼少時のひとときがこれほどありがたく、愛おしい思い出だったことを知った。
 
長男が小さかった頃に三島の家に連れて行ったことはあるが、次男が生まれた頃には、もう祖父も祖母も他界しており、三島の家はずっと空き家だったので、次男は三島の家に行ったことがない。
その後法事などでたまに三島に行く時は、ホテルに滞在した。
そうこうしているうちに、三島に行く機会自体もなくなり、今に至る。
そして久しぶりにやって来た今、目の前で三島の家は壊されている。
 
ものはいつかは壊れるし、いつかはなくなる。
いつか必ず、お別れの時がくるのだ。
東京からはるばる確かめに来て、壊されている最中でも、その姿が残っているうちにもう一度建物を拝めて本当によかった。これが最後のお別れだ。
 
 
その日以来、私は三島を訪れていない。
母によると、跡地にはもうマンションが出来上がったそうだ。かつてそこだけ純和風だった一角も、周囲の近代的な住宅と馴染んだことだろう。
また三島を訪れることはあると思うが、その跡地のマンションを見に行きたいと言う気持ちはなく、どちらかと言うと、祖父母が食べさせてくれたうなぎをまた味わいに、あの綺麗な柿田川の湧き水を見に、三嶋大社にお参りに行きたい。
 
 
そして、家はなくなったけれど、三島にある寺のお墓に眠り続ける、祖父と祖母に会いに行きたい。

 
 
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2018-06-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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