メディアグランプリ

「職業 無職」の仕事


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中 伸一 (ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
珍しく暴飲暴食した。いい気分で23時過ぎに帰宅して、さあ、風呂でも入ろうかと思ったとき、2階から不穏な音がした。
我が家の食堂は2階にある。そのあたりからドタドタと足音が下りてきた。母だ。
「伸一もみどりも、こんな時間までご飯食べないで、どうなってるの!?」
いっぺんに酔いがさめた。
「ごめん、今日夕飯いらないって、書いてなかったっけ?」
我が家では、毎月「家族のカレンダー」を作っている。5人家族の行動はいつもバラバラで、互いの予定を確認して調整している。特に問題になるのが、夕飯だ。2人分だけの日もあれば、5人揃うときもある。毎日一汁三菜をきっちり準備するから、何食も余ると冷蔵庫がいっぱいになってしまう。だから、母はいつも「家族のカレンダー」を見て食数を調整しているのだ。
一緒に2階に上がってカレンダーを見ると……、私の欄は空白だった。
高校生のみどりは、まだ帰っていないのか。部屋を覗いてみたら、メシも食わないまま爆睡している。ため息をつきながら、母のもとへ報告に行く。
「みどりも寝てる。片付けておくね」
今日のメニューは中華だったようだ。テーブルに並べられた酢豚や棒棒鶏の皿を冷蔵庫に収めていく。明日はお客さまと中華のランチの予定だけど、朝からこれ、食べていかなきゃ後が怖いな。今日の暴飲暴食と合わせたら、カロリーオーバーもいいところだ。
自ら蒔いたタネとはいえ、気が重くなった。それでも、母を怒らせるよりはましだ。
 
母と同居して10年以上になる。それまでは、共働きの夫婦二人で家事も育児も回していた。つねにフル回転しても、できていないことが多かった。見かねて、両親が同居するようになった。最初は、私たち夫婦も遠慮がちだったが、父が亡くなった後は、炊事、洗濯、掃除だけでなく、末娘の宿題の相手や町会の対応までしてもらっている。
その結果、我が家の情報は、すべて母が掌握するようになった。それぞれの行動予定はもちろん、誰と遊んでいるか、学校の様子、全部知っている。
さらに、10年もすると地域のお付き合いも深まってくる。体操、絵手紙、吹矢、ウォーキングなど、地域のさまざまなサークルに顔を出しているから、地元人脈も私たち夫婦は足元にも及ばない。当然、地元の小ネタも豊富にインプットされている。
そんな母ではあるが、役所などに提出する書類の職業欄は、「無職」である。父が生きていたころは「主婦」という書き方もあっただろう。でも、今となっては「無職」としか書きようがない。そんな書類を見るたびに、ちょっと心に引っかかるものがあった。
 
会社でも、似たようなポジションがある。総務のベテラン社員の役割だ。会社によっては、「お局様」だったり、「じい」と呼ばれたり、いろいろだろう。
小さい会社だと、総務部で人事や経理も兼ねているところが多い。表の仕事としては、切れた電球の手配からはじまる雑事や、事務のルーティン・ワークが中心だ。が、業務分担表には書かれない大事な仕事がある。それは、社内外の情報を収集して会社の仕事が円滑に進むようにすることだ。総務には、会社のすべての情報が集まってくる。結婚したとか、子どもができたとか、そんな情報はもちろん、出勤簿や経費の精算からわかることだって、いっぱいある。社員の健康だって、健康診断の事務処理を通じて、知り得る情報は多い。
そのうえ、地元町会とのお付き合いや、祭の奉納金など、地域ネタも豊富に入ってくる。
総務には、会議や面談では出てこない、ちょっとした相談事が持ち込まれる。この「ちょっとした」というところがクセ者で、実は深い悩みにつながっていることもある。優秀なベテラン社員は、噂話のネタと、ほんとうに対応しなければならない問題とをしっかり判別する。
そのおかげで、営業は売ることに専念できるし、製造は作ることを頑張れる。でも、誰も総務の気働きのことは思い出さない。
「毎日のん気にデスクワークしてるだけで、営業の苦労がわからない」
とか、
「書類を催促するから出したら、書き方が違うって怒られた」
とか、だいたい文句を言われる。
 
母の仕事だってそうだ。
毎日、一定水準の家事をしたからと言って、そのことへの感謝は少ない。
「洗濯物の仕分けが間違っていた」
とか、
「料理が多すぎて、食べきれなかった」
とか、文句が出ることの方が多いだろう。
でも、母がすべてやってくれるから、私たち夫婦は安心して仕事に励める。毎日帰宅したら夕飯があり、風呂はわいていて、洗濯物はたたまれている。同居以前から見れば、天国のような環境だ。
子どもたちだって、安定した生活リズムを保って学校や習い事に集中できるのは、母のおかげである。
それだけではない。すれ違いがちな私たち夫婦や子どもたちの情報を、母を通じて互いに得ることができる。
一言で言えば、母がいるから、我が家は成り立っている。
「無職」だなんて、とんでもない。でも、その仕事を一言で表すのは、難しい。会社の総務の役割と同じだ。
いっそのこと、「田中家総務部長」を名乗ってもらおうか。
そんな妄想もわいてくる。
 
母の仕事も、総務の仕事も、なくてはならないが、わかりにくい。
もっとわかりにくい役割をもっている「職業 無職」の人だっている。たとえば、高齢で寝たきりになっている人だ。身内にそういう人がいないので、私にはわからないけれど、きっと何かの役割をもっている。
母も永遠に我が家の家事ができるわけではない。将来、何もできなくなったとしても、命ある限り、きっと何かの役割があり、大切な存在であることには変わりがない。そのことを忘れずにいたいものだ。
 
こうして原稿を書いている間に、夕飯時になった。ひさしぶりに5人一緒に母の手料理を食べる。こんなささやかな幸せを感じられるのも、母が支えてくれているからだ。心から、ありがとうと言いたい。

 
 
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2018-06-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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