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桜は儚いから美しい


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記事:増田明(ライディング・ゼミ平日コース)

 
 
「桜はね、儚く散っていくからこそ綺麗なんだよ」
 
私の祖父が昔よく言っていた言葉だ。
 
昔から日本人は、儚いものに美しさを感じてきた。
春の散りゆく桜、夏のひぐらし、秋の落ち葉など。
歴史上の人物も、源義経や真田幸村など、悲劇的な最期をとげ、敗れ去った英雄が人気だ。
 
一説によると、日本人の祖先はもともと大陸に住んでいて、そこで戦いに敗れ、日本列島に逃げのびてきたらしい。そのため、敗れた者や儚く消えゆくものに、美しさや親近感を感じるのだとか。
 
特に桜は、儚い美しさの代表格として、日本人に一番人気のある花だ。
 
子供の頃、私が住んでいた団地には大きな桜の木があった。春になると、遊びに来た祖父はいつもその桜を見て言っていた。
 
「ここの桜は本当に綺麗だ。桜はね、儚く散っていくからこそ綺麗なんだよ。明君はまだ子供だから、そんなことはわからないかもしれないけどね。おじいちゃんも、あと何回この桜を見ることができるのかなぁ……」
 
子供の頃は、儚いものの美しさなんてよくわからなかった。桜はまあ綺麗だけど、そんなに言うほどでもないよなぁと思っていた。それよりも、大好きなおじいちゃんが、あと何回桜が見れるかなぁ、なんて言うから、悲しくなってしまった。おじいちゃんがいつかいなくなってしまうなんて、考えたくもなかった。
 
 
それから月日は流れ、私が三十代半ばになったころのことだ。
 
桜のあった横浜の団地からは、大学生の頃に引っ越していて、東京に住んでいた。
ある春のこと、友人と会う用事があって、ものすごく久しぶりに生まれ育ったその地域を訪れた。その地域には生まれてから二十年ほど住んでいたため、見るもの全てがとても思い出深く、懐かしかった。
 
自分の生まれ育ったあの団地も見てみたいな、と思いワクワクしながら団地のあった場所に行ってみた。しかしそこには広大な廃墟が広がっていた。私は自分の目を疑った。
 
どうやら一年前くらいに団地は廃止が決まり、今は誰も住んでいないようだった。
しかし取り壊しは行われず、建物はそのままで、団地のあったかなり広い範囲一体が巨大な廃墟になっていた。
 
私が子供の頃、その団地群には若い世代がたくさん住んでいて、子供もたくさんいた。周りはどこも同世代の親たちが住んでいて、近所づきあいも活発だった。
子供が遊ぶための広場や公園もたくさんあり、同世代の子供たちと毎日かけまわって遊んでいた。地域全体が活気に満ちていた。
 
その地域がほとんどまるごと巨大な廃墟と化していた。
少子化で人口が減っていたという理由もあるだろう。また公務員用の団地だったので、国の公務員への政策の変化もあったのだろう。
 
毎日遊んでいた公園も、毎日学校に通った道も、草ぼうぼうになり朽ち果てていた。
いつもサッカーをやっていた原っぱも、夏になるとやぐらを立ててお祭りをした広場も、形は当時の姿のまま、朽ち果てていた。
 
たくさんの思い出がつまっていた町。子供の頃の私にとっては、ほとんど世界の全てだった町。
全て朽ち果ててしまった。滅びてしまった。
私は故郷を失ってしまったようで、とても切なく悲しい気持ちになった。
 
団地の奥の方に行くと、あの大きな桜の木があった。その桜は昔と変わらず、綺麗な花を咲かせていた。満開はとうに過ぎていて、あと数日で散ってしまう頃だ。
 
少し強い風が吹き、花びらが一斉に舞った。
廃墟のなかで見る桜は、ハッとするほどに綺麗だった。
 
花吹雪に包まれて桜を見上げると、昔おじいちゃんと、この桜を見た時のことを思い出した。
 
「桜はね、儚く散っていくからこそ綺麗なんだよ」
 
あと数日で散ってしまう桜。全て滅びてしまった思い出の町。儚ないけれど、とても美しかった。
 
儚いものが持つ美しさとはいったいなんなのだろうか。
 
仏教には「諸行無常」という言葉がある。
諸行(=全てのもの)は、無常(=常ではない)。全てのものは移り変わっていく、ずっと続くものはなにもない、という意味だ。仏教ではそれがこの世の本質だと説いている。
 
人は、普段はそのように世の中を見ていない。世界は変わらない。自分も変わらない。自分の周りも変わらない。そう思いがちだ。そう思う方が楽だし、安心するからだ。
しかし同時に、そのことに堅苦しさ、息苦しさを感じることもある。精神的、肉体的に固定化されていて、変わらないと思うことに、息苦しさを覚えるのだ。
 
儚いもの、移り変わっていく無常なものを見た時、人はその息苦しさから少しの間解放される。
固定化されていた心と体の緊張がほどけ、切ないながらも、心地よさ、美しさを感じ、惹きつけられるのではないか。
儚いものの美しさとは、そういうことなのではないか。
私はそう思う。
 
空を見上げると、桜の後ろを雲が流れている。雲もまた常に形を変えながら、とどまることなく流れていく。
一緒に桜を見ていた大好きだったおじいちゃんはもうこの世界にはいない。この生まれ育った思い出の町も、もう消えてなくなる。
 
けれどそれは、この世の本質なのだろう。
散っていく桜のように、形を変えて流れていく雲のように、ごく自然なことなのだろう。
 
今なら、あのときおじいちゃんが言っていた言葉の意味がわかる気がする。
桜は儚く散っていくからこそ、綺麗なんだということが。

 
 
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2018-06-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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