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僕と親父と野球の数奇な関係


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田口靖幸(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
同じクラスの連中からは「お前って、どこを見てるのかわからないよ」
親父からは「両目で見ろ!」
 
子どもの頃、周囲からよく言われた言葉である。
 
赤ん坊の頃の写真を見ると、僕の目は左の目があさっての方向にずれている。
僕は先天性の斜視という障害を持って生まれてきたのだった。
 
斜視は両目で見ることができない。
これは、子ども、特に男の子にとって非常に不利なことだ。
 
野球をはじめ、球技一般が苦手になるのだ。
 
親父は野球バカで、当時TVで放映していた「巨人の星」の大ファンだった。
主人公「星飛雄馬」よろしく僕にキャッチボールと、野球を強いた。
 
グラブを手に親父の前に立たされた僕は、何度やっても上手にこなせない。
斜視だから遠近感がつかみにくいのだ。
 
飛んでくるボールの距離感がわからない。
だからグラブを出してキャッチしようとしても弾いたり、落球したり。
まだ5歳やそこらでは自分の頭で考えたり工夫のしようがない。
 
親父は、だんだんイライラしてきて5歳にも満たない僕に向かって「お前は鈍い」だの「お前は何をやらせてもダメだ」だの、罵倒をはじめる。
そして僕は顔面にボールを何度も何度も、何度も、ぶつけられることになる。
 
もはや遊びでもスポーツでもない。虐めだ。
 
わんわん泣いても、親父は容赦なくボールを顔面に向けて、罵倒の言葉をまだ小さなハートに向けて投げつけてくる。
子どもにはとうてい受け止めることなどできないような猛スピードで。
 
そのあいだ、僕はひたすら「早く終わってくれないか、解放してくれないか」ということだけを考えていた。
悪夢の時間(親父曰く「特訓」)が終わるきっかけはいつも何だったろう。
記憶をたどると、「次はもっとがんばる」といったような誓約みたいなことを、しゃくりあげながら言わさられて、やっと解放されていたような気がする。
 
野球の名を借りた教育? とんでもない。
自己肯定を形成するのに最も重要な幼少時期にこんなことされたらたまったものではない。
 
そんなわけで僕はずっと野球が大嫌いで、親父と野球を呪い、憎み続けてきた。
 
千葉県に実家のある僕は、大人になると大阪に移住した。
その後20年近く経った頃、39歳で結婚した。
 
これで親父とも物理的に距離がとれたわけだ。もう見るのも嫌だった野球になど死ぬまで縁もゆかりもない人生が続いていくはずだった。
 
だが……つくづく因果というものを感じずにはいられない。
結婚した嫁さんは「甲子園」の人だったのだ。
 
新婚当初、嫁さんが熱心に見る阪神タイガースの試合中継には無関心だった。
だが、新婚時代のマンションは甲子園球場から歩いて5分。
そんな環境のせいもあり、僕のなかで変化するものがあった。
 
シーズンになるとタイガースファンや高校野球ファンが全国から集まる「野球の聖地」からは、毎日のように大歓声が聞こえてくる。
甲子園では毎日が「お祭り」だった。
 
この「祭り」に乗らないことがもったいなく思えてきたのである。
 
こうしてあれだけ野球を呪っていた僕は阪神ファンになっていた。
金本、矢野、鳥谷、といった選手のヒッティングマーチを全部歌えるくらいの。
 
阪神ファンになって2年が経過した頃、嫁さんがお腹のなかに娘を宿した。
さらにその数ヵ月後、親父は入院した。咽頭ガンだった。
 
甲子園~入院先の神奈川県のホスピス、という長距離を移動する日々。
 
初めて親父の病室を訪れたとき、お互い話すこともなかった。
声帯を摘出され、声が出せなくなった親父は発声機を使っていた。機械を通して発せられる声はまるで宇宙人みたいな声だった。
子どもの頃から聞きなれたあの怒鳴り声はもう出せない。
 
仕方なく僕はベッドに座る親父に向かって「阪神強いなぁ」と言ってみたりした。
まだ阪神ファンになった、とは言っていなかった。
親父からはどんな返事が返ってきたかは覚えていない。
何も返事はなかったような。でも、少しだけ意外そうな表情をしたような気もした。
 
やがて親父は癌が脳にも転移し、本人の希望で苦しまないよう薬で眠ったままにされたまま、2週間ほどで息絶えた。
ホスピスからの電話で聞いた親父の訃報。
親父が死んでも泣かないだろうな、と思っていた僕は、やはり涙は出なかった。
 
親父の死から1か月後に娘が生まれた。
4年後には、息子が生まれ、今も甲子園球場から約15分ほどに住んでいる。
 
通勤のため、甲子園球場の敷地内を通るのだが、そんな時、孫の顔を見ずに死んだ親父のことを考えることがある。
もし生きていたら子どもたちと甲子園に阪神ー巨人戦を見にこれたろうに。
2児の父になった僕と、タイガースの話をしたりできただろうか。
甲子園球場の堂々とした偉容を目の前にそんなことを考えているとき、そのときだけは親父を許しているような気持ちになる。
 
50歳を目前にした僕は、年に数回、縦縞のタイガースのユニフォームを着てチャリで野球の聖地「甲子園」へと足を運ぶ。
野球を許すことができたのは家庭を持ったことがきっかけ。
そして野球のおかげで昔よりは親父を許せるようになったのは本当に因果なものだと思う。

 
 
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2018-06-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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