プロフェッショナル・ゼミ

ゲイの“性”態観察日記《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:近藤頌(プロフェッショナル・ゼミ)
 
恋人が欲しい。
 
食料調達のため、自転車こいで駆け抜ける道。目の端の方で手を繋ぐ男女が颯爽と信号を渡っていった。
ぼくは一体何を欲しがっているのだろう。
 
恋人が欲しい、とは一体どういうことなのだろう。
手を繋ぐ相手だろうか。一緒にいて気が休まる相手。なんでも相談できる相手。見ていて飽きない相手。キスしたくなる相手。気持ちよくしてあげたい相手、だろうか。
 
きっと淋しいのだと、自分を観察する。
手を繋ぐ、か。
 
LGBTという言葉がある。いわゆる、セクシャルマイノリティーを総じていう言葉。
レズビアン(女性同性愛者)のL。
ゲイ(男性同性愛者)のG。
バイセクシャル(両性愛者)のB。
トランスジェンダー(心と体の性が一致していない人)のT。
と、それぞれの頭文字を並べて作られたものだ。
 
性には三つの性がある。
 
ひとつは〈体の性〉。
これは言わずもがな。
 
次に〈心の性〉。
自分は男であると認めているのか、それとも女だと認めているのか。もしくはそのどちらともいえないのか。というような自認している性のこと。
 
最後は〈好きになる性〉。
“心の性”を自分が立っている地点とすると、この“好きになる性”というのはどちらに歩みが向いているのか、という方向性の観点になる。
 
この3つの性の組み合わせによって、一般の人向けにわかりやすくまとめたものが「LGBT」という言葉になる。
 
具体例としてぼくの場合を当てはめてみよう。
ぼくの体は「男」である。そして心の認識としても「男」である。そして好きになる性というか惹きつけられる人というのは「男」が多い。しかし女性とも付き合えない訳でもなく、むしろ過去付き合っていた人というのは女性だけである。ということを踏まえて考えまとめると、だいたいゲイよりのバイ。ないし、バイよりのゲイということになる。だから、というのも変な話だが、ぼくは女言葉を使うことは普段もないし、女性の体になりたいとも願ってはいない。いかがだろうか。
 
そう、この「LGBT」というのはセクシャルマイノリティーの総称であって、くっきりかっちり4つの分類に全ての当事者を分類するための言葉ではないということは強調しておきたい。
あくまで「LGBT」という枠は一般の人たちにわかりやすく説明するためのものであって、この枠の中にも様々なパターンがあり、元々女性の体だった人が手術をして男性の体になったとしても、その人が男性を好きになることもあるわけである。
 
と、ここでぼくは想像してみる。
とある男性と手を繋いでみるところを。
 
ぎゃー、である。
恥ずかしさは思春期時の1000倍はくだらない。
でもその反動で憧れも1000倍の重みをもってのしかかってくる。
これはどうしたことか。
ぼく自身、当事者であるにも関わらず不思議に思うのだが、例えば最寄りの駅で女性(に見える人)同士で手を繋いで歩いていても、特に何も思わないし実際たまに見かける光景なのだが、男性同士が手を繋いで駅にいるという様子はまるで見たことがない。そしてその様を想像すると、当事者であるにも関わらず、「えっ!」とためらいもなくじーっと見てしまう自信がある。それは、いいなあ、という憧れからくる目線ではなく、どういうこと? という奇異なものを見る目線である。当事者ながらお恥ずかしい話だ。
 
しかし「腐女子」「腐男子」というボーイズラブ作品、つまり男性同士の恋愛話を好む女子、男子のことを指すこの言葉にも「腐」といういかにもネガティブなタイトルが付けられているのは、あながち世相を表してのことではないだろうか。女性同士の恋愛作品を嗜好する人たちの頭には「百合」という花の名前が付くというのにも関わらず。
 
なんだろう。この男女の差は。
 
いや、なんだろうもなにもないのだ。
答えは割合わかりきっているような気がしている。
つまりは男の性というのは汚らしいというイメージが妙に定着してしまっているのだ。男性のその、種を撒き散らすかのようなイメージ。とにかく欲望に抗えないというイメージ。子孫繁栄という大義名分の裏に隠された公然の秘密、快楽と直結しているという、単純であるがゆえの嫌悪感、卑猥感をイメージとして抱いているのである。
人間の体の中でも、開発行為、つまり刺激を定期的に与えることによってその部分に触感的神経が通うようにさせることを一切せずとも快楽を自然と味わえる部位というのも、男性の局部以外にはないのではないかと思っている。
もちろんぼくは男の体であるので、女性の体についてはわからないわけだが、そうではないかなぁと実感に基づく想像はしているのである。
 
確かに性行為は、男のぼくにとっては、はじめから気持ちのいいものである。初めての時はとても緊張して味わえたものではなかったが(相手が女性だったということもあるが)相手のその女性はやはり苦しそうだったことを今でもはっきり覚えている。
 
この男性と女性の性行為による快楽を得る手軽さの違いもまた、男の性が蔑視される理由であると思われる。
私たちは、初めは痛くて妊娠中も辛くて出産も鼻からスイカを出す痛さとまで言われて恐怖におののくというのに男は気楽なものね、といった具合だ。
さらにその気楽さに加えて、子孫を残さねばならないという本能、理性とは敵対されがちな感性が付きまとってくるわけなのだ。変な話鬼に金棒である。
 
男が性に身を任せて、というより性に身が乗っ取られでもしたら世も末だろう。苦笑いでは済まされない。
それこそ戦いに次ぐ戦い。
快楽に次ぐ快楽を求め、さ迷い歩く男たち。
恐ろしい世界である。
 
きっとゲイの世界というのも、こんな世界が想像されているのではないか、とはなんとなく感じている。し、実際当事者であるぼく自身もそんな風に思っていた時期もある。
なにせインターネットでチョロチョロとそれっぽい単語で検索するとすぐに出会い系やら画像やら動画やらが出てくる出てくる出てくる出てくる。
S N Sの中には裏アカウントと称した、いわゆる「セフレ」専用のものがはびこり、日常茶飯事的にひとときの戯れが行われているのは事実である。
ぼくはまだこの世界には飛び込んでいない。病気が怖いというのと、性欲に関しての処理というか清算は、今のひとりでの環境でも不満はないからだ。
しかし、いずれ、ぼくは飛び込むことになる、というのはもう直感的にわかっているのだ。
 
それは、やはり、パートナーが欲しい、の一言に尽きる。
 
今は1人でもいいかもしれない。
自分のために働き、自分のために食べ、自分のために楽しみを見つけ、自分のために性欲を処理し、自分のために生きる。
けれど先を考えた時。性欲が衰えた時。ぼくに残るものはなんだろうか、とふと思う。その時、誰かの記憶の中に、ぼくは果たして残っているだろうか。ぼくの記憶の中に、ぼくではないだれかは残っているのだろうか。
 
性欲は、よくいってしまえば、子どもを授かるための欲望である。
しかし同性愛者であるぼくは、自分に正直に生きた先の未来には、自分の子どもはいない。であればこの欲望はただ燃焼されるだけされて、排気ガスとなって空気を汚すだけの、公害になるものにしかなり得ない。
欲望の先に子どもという、これまた神秘的な存在を生み出せるならともかく、何ににもならないというのは、ちょっと、どうしよう、と思う。
 
今はまだのんびりしていてもいい、とぼくは思っている。
まだまだ同性愛者であるという事実を僕自身受け入れられていない部分もあり、また周りにもそういう人は見当たらない。そういったLGBTのコミュニティーにはもちろん知り合いはいるのだけれど、ぼくの生活圏内で出会う人たちの中では、未だ、出会えていない。
 
一度、ぼくは同じ職場の人に告白を試みたことがあった。
その人はぼくより5歳年上で、ぼくより後に入ってきた人だった。
目が合った瞬間、自分でもびっくりするくらいに共鳴した。
すぐに仲良くなれることがわかった。
ぼくが生きてきたなかで初めての経験である。
ぼくは、それはそれは人見知りするたちで、なにかふたりっきりの空間にいようものならお互いが息苦しくなって仕方がなくなるくらいにどうもぎこちなさが抜けないなのだが、この人には、この人の内面の柔らかさには、ぼくは素直に身を委ねられた。
一緒に働いていくうちに、この人の間抜けなところや、甘えん坊なところ、ナマケモノなところといった悪い面も見えてきたが、それでもどこか憎めず、頼りにならないところが妙に心地よくて、しっくりくる。ナマケモノはナマケモノでも知恵のついた(ナマケモノに失礼)ナマケモノで要領はいい。社会の情勢にも自分の意見を持っていてそういう話もできるかと思えば、映画が大好きでよくひとりでこの前観た映画なんかの感想をベラベラ話してくれていた。
しかしまあ、超がつくほどの、のんびり屋さんなのだ。
ぼくは、こんなダメ男は好きになっちゃいかんと、どんな身分なのかかなり上から目線で自分を抑えていた。その人がこちら側かどうかも考えず、ただひたすら、好きになってはいかん、と念仏でも唱えるように自分に言い聞かせていた。
 
とある日。
その人が転勤することに決まった。
場所は近いが、もう一緒に働くことはない。
ありがちだな、と自分を嘲笑った。
ぼくはもう、完全にその人のことを胸から追い出すことができなくなっていた。むしろぼくは閉じ込めていたのだ。頑なに、手放しはしないと、出会って丸2年、ずっと、閉じ込めてきたのだ。ぼくの中に。あの人を。
ぼくは決心した。
絶対に、これは、告白するべきだ、という使命感すら持って。
この人がセクシャルマイノリティーに寛容であることはわかっていた。いや寛容であると信じていた。
なにせ映画を大量に観ていて、その中には同性愛を扱ったものもあって、そういうものにも堂々と意見が言えていたのだから。
ぼくはその人の最後の出勤日間際。ぼくとその人しか出勤しない日を選んで退社後、「相談したいことがある」という理由で(ご飯をおごるとの条件付で)なんとか場を設けたのだった。
ぼくは久々に緊張していた。
様子はいかにもおかしかったに違いない。
メニューを聞く店員さんも半ば困惑気味だ。
そこは年上のその人がフォローに入ってくれ、適当な料理を選んでくれる。しかも気を遣ったのか、お手頃でかつすぐ来そうなものを。
ぼくは、もはや半べそだった。
それが余計に態度をおどおどさせ、目はやけに充血してくる。
ここでも年上のやさしさを見せ、まさにたわいない会話で場を繋いでくれる。
好きだ。
ぼくは心の中で叫んだ。
でももはや混乱してきた。
手がテーブルに乗せていられないくらいに重くなり始めて、肌が青ざめて見える。擦り合わせてみると痺れたように、自分の手ではない粘度で作られたものでも触っている感覚になった。
 
料理が運ばれてくる。
 
普段は飲まないビールでぼくは乾杯をした。
そして切り出した。
その人も、いよいよだな、と神妙な顔つきになる。
そして、ぼくは言った。
 
「自分とセフレになってもらえませんか?」
 
ぼくはそれを口にした後の、その人の顔の引きつりを二度と忘れないだろう。
言ってしまったものは仕方がない。
きっと本音が出てしまったのだ。
こんなときだからこそ、ぼくはぼくの弱さに負けてしまったのだ。
とにかくぼくは挽回しようと、言い訳を口にしはじめた。
本当に好きであるということ。
でもたぶん、付き合えたとしてもきっとお互いの性格上うまくはいかないということ。
だから、もしよかった体だけの関係でも持てませんか、と。
 
涙が止まらなかった。
こんなことを言っている自分が情けなくてしょうがなかった。
 
隣の客にも聞こえていたのだろう。
固まっていたのがわかった。
 
どれくらい経ったのか。
 
「う〜ん」
という、いつもののんびりした、落ち着いた声が聞こえてくる。
心地いい。耳元で囁かれたい声だった。
「単刀直入に言って、ごめん。それはできない。ぼく、ストレートだし」
ここで“ノーマル”という言葉を使わないところが彼らしいところである。
 
そう。それでいい。それでいいんだ。
ぼくはただただ、頷くことで精一杯だった。
 
「でももし付き合えたとしても、うまくいかないというのは同感だね」
 
その場所に来てから、初めて心から笑った。
 
あのとき。ちゃんと「好きだ」と言えていたら、どうなっていただろうかと夢想することがある。してもしょうがないのだけれど。それでもなんだかいい教訓になった。
たぶん、彼のような人はもう現れない気がしている。そんな目が合って、バッチん共鳴するなんておとぎ話じゃあるまいし……。
 
ぼくの選択は限られている。
そしてそれは目には見えない。
だからいずれぼくはオープンにしている人たちの世界に飛び込んで行くことになるだろう。でもそれは決して欲にまみれただけの世界ではないのだ。
ぼくと同じように、共に生きていきたい人を探すための世界でもあるはずなのだ。だからぼくは後ろめたくは思わない。
純粋に、出会いを求めて突き進むだけ。
ただそれだけなのだから。
 
***

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