プロフェッショナル・ゼミ

剥き身の卵のような感受性は取り戻せる《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中野 篤史(プロフェッショナル・ゼミ)

「今日は晴れ時々くもりだ」
新聞を右手にもったクレイグが、テーブルでコーヒーを飲んでいる私たちの席へ天気を知らせに来た。 白髪が混じったおかっぱ頭に、トレードマークの赤い鼻。ちょっとエキセントリックな感じの彼は、どこかヨーロッパの国の学者のようだ。
「今日は晴れ時々くもりだ」
私たちのテーブルを去った彼は、他のテーブルで朝食をとっている人たちにも、今日の天気を知らせている。数日前からこのモーテルに宿泊している者にとって、クレイグのこのお天気速報は、なじみのものになっていた。ここ数日間このモーテルに宿泊している人間は、ほぼ全員が同じ目的の為にここに集まってきていた。南オーストラリアにあるセドゥナという街は、普段は人口数千人の小さな街だった。しかし、今この小さな町には2万人近くの人が押し寄せてきているらしい。あるものを見るために。私たち日本人グループも、その一団のひとつだ。そして、それが見れるかどうかは今日の天気にかかっている。普段は、砂漠のように乾燥したこの地方の気候だけど、なぜか今週はスッキリしない天気が続いている。こんな世界の果てまでやってきて、天気が悪くて見えませんでしたなんてシャレにもならない。私にとって、これは生まれてはじめての体験となる予定だ。もし見れればの話だが。それは、今日の夕方からこの地で始まる皆既日食だった。

夕刻、私達は海に突き出た小さな半島の先から太陽を観察していた。雲がところどころ海に浮かんでいるが、どうやら雲の心配はしなくてすみそうだ。 太陽はだいぶ南極海の方へ傾いてきていた。 この角度なら、寝転がらなくても、少し顎をあげるだけで太陽が視界に入る。太陽はすでに半分近く欠けてきていた。正直、皆既日食自体には興味はあまりない。友人が「一生に一度は見たほうがいい!」というので来てはみたものの、日食は海外旅行のいちアトラクションにすぎず、オーストラリアへ旅にでる口実に過ぎなかった。しかし、太陽の欠片が小さくなるにつれて、夕方とは異なる種類の暗さがやってきた。肌がひんやりして体験したことのない空気感が辺りを包んでいった。子供の頃、台風が来た時に感じた高揚感が湧き出してくる。やばい、なんかが始まると、身体が言う。そして、太陽が消えた……。と次の瞬間、プラチナのように光るリングが空に浮かんだ。それは、音のない衝撃だった。

「ウォーーーーー!」
その衝撃のあまり、わけもわからず私は吠えていた。肉体の体と意識の体がズレるような感覚だった。
「あははははは!」
笑い声に振り返ると、後にいたサオリちゃんは空を見上げながらゲラゲラ笑っていた。そして、斜め前にいたワタル君は、無言で泣いていた。感動が極まった時の人間の反応は様々だ。
2002年、当時26歳だった私は、最高に感動する体験をした。私はあれから一度も皆既日食を見ていない。42歳になった現在の私が、皆既日食をみたらどう感じるだろうか? 同じように言葉にできない程の体験があるのだろうか? それととも「あれ? こんなもんだっけ」となってしまうのだろうか? 一般的に、大人になるほど感受性が乏しくなると思われているように。ちなみに、感受性のことをネットで調べると、「外界の刺激・印象を受け入れる能力。ものを感じ取る能力」と出てくる。そういう意味で言うのなら、もちろん生まれ持った個人差はあるが、感受性は無くならないし磨くことができると考えている。感受性が乏しくなるように感じるのは、実は耐性ができているだけなのだ。そこで、こんな話をしよう。

一昨年の11月のことだった。私は妻とハワイのマウイ島を訪れた。その時、3000m以上あるハレアカラ山頂からご来光を体験した。この時、山頂の気温は10度以下。東の空から吹いてくる風に飛ばされそうになりながら夜明けを待っていた。まるで火星のようなクレーターが眼下に広がっている。その先には深い藍色の雲海が静かに佇んでいた。しばらくすると、雲海の果ての一文字の赤いラインから小さな赤い光の欠片が出てきた。私は地球の風景に釘付けになってしまった。風の轟音は、もはや私の耳には届いていなかった。隣にいた妻の目からは、涙が流れていた。実は、昨年は同じ場所から夕日を見た。西の海へ消えていく光を、追うように吹いていく風を背に受けながら。そして、今年も同じ場所へ行く予定だ。ところで、毎日仕事で山頂へいくツアーガイド達は、どう感じているのだろうか? もちろん、その圧倒的な景色に、毎日心を動かされているに違いない。でも、一番最初に見た時と比較したらどうだろうか? おそらく毎日涙をながすガイドはいないだろう。ぜなら刺激に慣れてしまうからだ。逆に毎日泣いていたら、きっと大変にちがいない。ただ、だからと言って、それは感受性が失われていくことではない。同じ刺激に対して慣れという耐性ができているに過ぎないのだ。例えば、グジャグジャに泣きながら観た映画でも、繰り返し繰り返し見ていれば「あ、次はあれがおこる。そして、最後はまさかのどんでん返しで……」といった具合に、予測ができてしまうし、刺激にも慣れてしまう。では、なんで感受性には耐性ができていくのかというと、生きやすくなるためだと思う。感受性が全開の状態は、言わば心が剥き身のゆで卵のような状態なのだ。感動しやすい反面、傷つきやすくもある。ちょっとした刺激にも敏感に反応するから、一度経験した刺激に慣れていかないと、ストレスのかかる人間的な生活では、疲れ果ててしまうのだ。

「今日は、お客さんからお褒めの言葉を頂いた。ワーイ!」と感激したかと思ったら、「上司から、仕事の進捗が遅いと注意されて悲しい……」と、メチャメチャ撃沈してみたりと。常に感受性全開だと本人も大変だし、周りも大変だ。つまり耐性ができることは、ある意味社会生活を順調に送るために必要なことなのだ。例えると耐性と言う名の鎧を纏うようなものだ。剥き身の状態で戦場に出ていくのは、ドラクエで布の服を着て初めて町から出ていく状態にちかい。つまり、すぐにやっつけられてしまうのだ。じゃあ、このストレスフルな都会の社会生活に慣れてしまった、私の感受性は二度と鎧を脱ぐことはないのか? 実はそんなことはない。着たものは意外と簡単に脱ぐ方法がある。「ただし」がつくが……。

お酒を飲んだことがある人はわかるかもしれない。初めはすぐに酔ってしまったお酒も、回を重ねるごとにアルコールへの耐性がついてくる。そして、飲むことができる量も強さも増していく。何年もの間、飲むことが習慣化されていくと、4、5日お酒を飲まなかったくらいで、酒に弱くなることはない。これと同じことが感受性にも起こっていると私は思う。会社やプライベートなどの人間関係の刺激。テレビ、スマホなどの視覚的刺激。都会の喧騒や音楽などの聴覚の刺激。満員電車や人混みなど体感的な刺激。日々雑多な刺激に接している私たちは、知らない間に耐性を身につけてしまているのだ。そして、スマホから離れられない人などは、アル中に近い刺激中毒かもしれない。そんな、都会の生活で耐性がついてしまった私の感受性は、ある時あることがきっかけで、剥き身の卵に戻ってしまった。それは、京都でおこった。10日間京都の山の中で過ごしてきた私は、京都駅に戻ってくると街の雑踏に、ありえないほどに敏感になっていた。未開のジャングルの奥地から、いきなり都会へ連れてこられた原住民の人なら、わたしのこの感覚をわかってくれると思う。そして、駅のスタバで買ったコーヒーは、一口で私を覚醒させた。この時、私は山奥のある瞑想センターで、10日間誰とも喋らず、文字情報には全く触れず、菜食を摂る以外、ひたすら瞑想をしていたのだった。そのお陰というか、結果というか、私の刺激に対する耐性は相当削ぎ落とされていたのだった。つまり感受性を取り戻すには刺激を減らせばいい!

「いやいや、10日ってあんた。それは会社に勤めている人は無理でしょう!」と、ツッコミが入るかもしれない。確かにそうだ。それに10日で手に入れた感覚は、10日で手から離れていく。大事なのは継続だ。ある人が著書の中でこんなことを言っていた。「瞑想は、日々の生活を効率化するものではない。日々を深く生きれるようにするものだ」と。そういう意味で、感受性を磨くには、瞑想はその有効な手段になる。瞑想でなくとも、感受性の耐性を落としていくには、なんでもいいから日々の生活の中に、刺激のない時間を持てるといい。そして、さらに感受性を磨くには、意識を「考える世界」から、「感覚の世界」へもどしてくる、遊びを入れるといいかもしれない。例えば次の質問に答えてみてほしい。今あなたの左足の裏は、何かに触れているだろうか? たった今何か音は聞こえているだろうか? それから、周りを見回して赤い色のものが何か見つけられるだろうか? これだけで意識を考える世界から、感覚の世界に簡単に戻してくることができる。

さて、文章を書くプロフェッショナル・ゼミ生の私にとって、感受性を取り戻す希望が見え始めたところで、締めくくりたいところだ。しかし、実はもう一つ重要ななものを思い出してしまった。それは表現性だ。感受性がラジオでいうところのアンテナなら、表現性はトランジスタとスピーカーにあたる。どんなに感度良く電波をとらえられても、スピーカがモノラルで、出てくる音質が悪ければ、音楽は楽しめない。楽しく音楽を聴いてもらうため音質はどう磨けばいいのか? これからまた、つらつらと長い文章をかこうかとも考えたがやめた。意外と簡単な答えが身近なところに見つかったからだ。それは既に天狼院のライティング・ゼミの2講と3講で秘訣を教わっていた。今から、もう一度ゼミの動画を見返すとしよう。

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