プロフェッショナル・ゼミ

疲れたら、地上の「ソラ」に行ってみませんか?《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:一宮ルミ(プロフェッショナル・ゼミ)

小学生の頃、1度だけ山の中に住む親戚を訪ねたことがある。
確か、母と叔父夫婦に連れられて、叔母の実家に行った。
そこは、徳島県内でも有名な県西部の山間部の町にあった。
標高などは子供だったので知らない。
車で、山を長い間、登って行った先にあった。山伝いにくねくねと曲がる坂道を登って行った。山はどんどん深くなった。車の窓の外には、手を伸ばせば届く近さに山肌が見えた。
夏休みだったのか、夏が近い日曜日だったのか忘れてしまった。でも季節は夏で、山の緑は道路に影を作っていた。木々の葉は太陽に光り輝いていた。
外の景色に見とれていたら、車が狭い空き地に止まった。

「ここで降りて歩くよ」
母が、私に車を降りるように言った。
車から降りて、あたりを見回した。
「ゴーーーーーーー」
セミの鳴き声とともに、どこからか音がする。

母と叔父夫婦の後について歩き始めた。
ゴーーーーという音は近づいてくる。
目の前に橋が見えた。ゴーーーーという音の原因がわかった。
橋の下には、谷川が流れていた。川の流れはとても速く、岩にぶつかりながら、白い水しぶきをあげて流れていた。谷は深くて、ここから落ちたら、絶対助からないかも。
「水が冷たそう。白くて綺麗だなあ」
生まれてはじめてみる谷川の流れに、見とれてしまった。
川からの吹き上げる風は冷たくて、真夏の暑さを忘れていた。

「そんなところでじっとしてないで、行くわよ!」
母に急かされて、慌てて橋を渡った。
親戚の家には、あれ以来行っていない。どこにあるのか、どうやって行けばいいのかも、もうわからない。今となっては誰も住んでないのかもしれない。
でも、あの緑あふれる木々と、谷川の水の美しさが忘れられない。
いつかまた行ってみたいと思っていた。

「今度、山の上の農家レストランに行くことになりました」
課長に行き先を報告した。
仕事で山の上の農家レストランを訪ねることになった。仕事関係の方、数人を徳島県内の各地に案内する仕事だった。その行き先の一つが農家レストランだった。あの夏の日のことを思い出した。行き先は違うけれど、また県西部の山に登る。またあんな緑の木々を見られるだろうか。谷川の風に吹かれるだろうか。

農家レストランは、徳島県美馬市穴吹町の山間部にある。徳島市内から、徳島自動車道を使って1時間。そこから、山道を登ること約30分。そんな遠いところにも関わらず、県内だけでなく県外や外国からもお客さんが来るという。

同僚と現地の下見に行くことになった。
季節は5月半ば。その日は雲ひとつない快晴だった。
車は高速道路を下り、山道に入った。山の緑は子供の頃に見たのと同じように光輝いていた。

車は、山道を登って行く。バスが通れるほど道幅は広く、綺麗に舗装されている。
10分ほど登ってきた。今まで、木々の緑と山肌の茶色しか見えなかったが、突然、視界がひらけた。
「うわー、いい景色!」
目の前には、高速道路を下りたところの街並みが小さく見えて、パノラマのように広がっていた。
車はまだまだ登っていく。山はどんどん深くなる。たまに木々の隙間から見える平野の街がどんどん小さく、そして、パノラマもどんどん広がっていく。
「こんな山の中に、本当にレストランがあるんですかね」
ちょっと不安になってきた。
ふとみると、窓の外に民家が見えた。庭の畑に野菜の緑色が見えた。
小さな小さな田んぼが現れた。山の斜面の傾斜を利用し、畳2畳ほどの棚田が3、4段作られていた。几帳面に棚田のカーブに沿って稲がちょこん、ちょこんと並んでいる。田んぼは可愛らしくて、美しかった。
ああ、ここには人がちゃんと暮らしている。安心した。
車はまだまだ山道を登って行く。
突然、木々のトンネルを抜けるとひらけたところにでた。
目の前に真新しいレストランがあった。山のてっぺんに到着した。

その農家レストランには、座敷席とテラス席があった。
テラス席からは、下の街と他の山々が見渡せた。
今日は快晴。清々しい山の空気と景色を堪能できた。
「気持ちいいですね!」
同僚と一緒に、この景色を見つめながらランチをいただいた。
ランチは、地元の食材と徳島の食材を使って作られていた。メニューは、日替わりで、この日のメインはグラタン、副菜には煮物や和え物の小さい小鉢がいくつか添えられていた。お盆の中は、色とりどりの料理でカラフルに彩られていて、食欲をそそる。
もちろん、美味しかった。その上、この山の景色の中で食べると、遠足でお弁当を食べているような気分になって楽しかった。

ランチをのあと、このレストランのご主人と打ち合わせをした。
打ち合わせを終えると、ご主人が、
「お天気もいいので、もう少し山の上の方までいってみませんか」
と、私たちを誘ってくださった。
せっかくの天気、見晴らしもいい。ぜひ行ってみたいとお願いした。
5分ほど坂道を登って行くと、崖に突き出すように作られた小さな展望台に到着した。そこからの眺めは、素晴らしかった。

私は、高い高い大きな緑の滑り台のてっぺんにいるようだった。滑り台の下には、遠く徳島の町が広がっている。天気が良いので、よく見渡せる。
ご主人は、
「向こうに見えている青いのが、吉野川です。吉野川の向こうには、鳴門海峡とその先の淡路島ですよ。もっと天気のいい日は和歌山も見えます」
なんと、肉眼で淡路島や、和歌山が見えるという。
私はこの景色に見惚れてしまった。同僚とともに、景色を眺め、写真を撮った。
子供の頃にみた山の景色とは違っていたけれど、とても素晴らしいところを見つけたと思った。
その時、
「ああ、ここは『ソラ』だなぁ」
そう思った。

「どうして『ソラ』っていうんだろう?」
徳島県の西部のことを「ソラ」と呼ぶらしい。
徳島市のような平野に住む人が、県西部のことを指して言う言葉だそうだ。
なぜ、「ソラ」というのだろう。ずっと疑問だった。
子供の頃に行った親戚の家も確かに山の中にあったけれど、「ソラ=空」のような感じはしなかった。だから、どうして県の西部のことをソラというのか理由が分からなかった。
でも、今日分かった。
それは、この景色。こうして、下の街を見下ろしていると、自分が空の上にいるような気持ちになってくる。そうか、平野に住んでいる人が初めてここに来てこの景色を見れば、きっと鳥か仙人になった気持ちになるだろう。だから「ソラ」なのだ。
長年の謎が解けたと思った。

しかし、この時、私はまだ、本当の「ソラ」に出会っていなかった。

「大丈夫、私、晴れ男ですから。一宮さんも、晴れ女なんでしょ?」
課長は笑いながら、天気を心配する私を励ましてくれる。
「でも、明日の降水確率、80パーセントですよ。それに梅雨入りしましたし」
残念ながら、最近の天気予報はよく当たった。
いよいよ案内する本番の日。
徳島市内は今にも雨が降りそうな曇り空。
天気は西から変わるという。すでに西の空は雨雲で黒く覆われていた。
徳島市を出発して、高速道路を西へ、西へ。
どんどん雲行きが怪しくなってくる。目的のインターチェンジまであと少しというところで、雨が降り始めた。雲はどんどん厚くなり、太陽はすっかり隠れてしまって、薄暗い。
山道に入ると、天気はますます悪くなり、雨は次第に強くなってきた。車は上へ上へと登って行く。木々の影に覆われ、あたりの暗さが増してきて、5月末の昼間とは思えない。
木々が途切れ、下の街が見えるはずだった。
見えたのは、白い雲だった。うっすらと下の街が見えるが、雲に覆われて靄がかかったように見える。
棚田が見えてきた。雨のおかげで小さな棚田の稲が生き生きしていた。田んぼに雨が落ちて、小さな波紋を作っていた。

農家レストランに到着した。テラス席に案内された。
雨は小降りながら、まだ降っていた。
到着して早々に、ご主人のお話を伺った。お話を聞いたり、こちらから質問したり1時間ほどが過ぎた。会話が一段落したところで、ランチタイムとなった。
食事をしながら、
「今日は、雨で見えませんけど、天気が良ければ、和歌山や淡路島まで見えるんですよ」
ご主人がテラス席から外を見ながら本当に残念そうに言った。
下見の時の絶景は見られない。晴れ女、ここまでか。
ご主人の言葉につられ、テラス席から外の景色をみた。
驚いた。
外は、一面の雲海だった。さっき車で登ってくるとき見た雲より、もっと厚い雲で覆われていた。お椀の中の湯気を立てた白いスープのように、真っ白の雲が、山で囲われた中にすっぽりと収まって、ふわふわと揺れていた。
こんな景色生まれて初めて見た。

「これが本当の『ソラ』だ」
ここは山のてっぺんだ。下界がすっかり見えなくなって、私は今、本当に空の中にいた。外界と切り離された、ここは別世界だった。

本当に地上にいながらにして「ソラ」にいるんだ。

平地でいると、いくら高いビルやタワーに登ったって、下を見れば人の営みが見える。忙しく働く人や車や、街の喧騒が聞こえなくても聞こえてくるような気がする。どこに行ったって、それから逃れることはできない。
でも、今、私がいるこの山の農家レストランは、雲の上。そんな街の喧騒が全然聞こえない。しーんとした静かな空気に包まれている。
悩みや面倒なことを全部、下に置いてきて、スッキリした幸せな気分の自分だけがここにいるような気がした。

「こりゃ、すごい景色ですねぇ。初めて見ましたよ」
案内してきた人の一人が、驚きの声をあげた。
下見の時の景色も素晴らしかったが、この雲海のほうがもっと山の上のレストランにはふさわしい。

今日のランチのメニューは、まるでこの雲海のような白いシチューと、地元で取れたレタスと使った郷土料理の白味噌味の和え物、それから煮物とサラダ、ご飯と味噌汁がついていた。どれもとても美味しかった。

そして、食事が終わるころ、再び外をみた。
いつの間にか雨が止んでいた。そして、さっきまで下界を覆い尽くしていた雲が、幕が開くように、さーーっと切れていくのが見えた。
あっという間に雲がなくなった。そして、そこには、下見のときに見たあの素晴らしい景色が姿をあらわした。
「あの青いのが吉野川、その奥の街が、藍住町、上板町、そしてその向こうが鳴門海峡と淡路島です。さすがに和歌山は見えませんが。でも、この景色がいいって、外国の人なんかも来てくださるんです。こないだはイタリアからのお客さんが来てくれました」
ご主人がうれしそうに語ってくださる。
一緒にいた人たちは、皆、驚きと賞賛の声をあげた。
あの景色を見せることができて本当によかった。
「晴れ男と晴れ女の面目躍如ですね」
課長にこっそり耳打ちし、二人で笑いあった。

食事も終わり、雨が上がったところで、私たちはレストランを出ることにした。車に乗ろうと庭の駐車場へ向かうと、白いものが、庭にもくもくと立ち上ってくる。
「煙?」
私がつぶやくと、ご主人が笑いながら
「雲ですよ」
雲が庭から生まれている! 今日何度目の驚きだろう。雲が私の真横で生まれているのだ。
さっきまで、晴れて下界の絶景を見せていたのに、みるみるうちに厚い雲に覆われていた。そして雨が降り始めた。

山の神様が、ここに来る私たちのために、この山の農家レストランから見える景色の全てを見せてくれたのだろうか。

多くの人が、このレストランに人が来る理由がわかる。晴れでも雨でも、ここは下の街とは違う。桃源郷のようなこの景色を見たくてやってくるのだろう。
少しの間、自分の背負った心の荷物は下の街に置いて、この別世界に来て、美味しいご飯を食べれば、心も体も充電できる。少し元気になって、また面倒な街の暮らしに戻れる。

農家レストランに行ってから、1ヶ月が過ぎた。私もそろそろ「ソラ」に充電しに行こうかな。晴れの日か、雨の日かどちらにしようか。

***

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