プロフェッショナル・ゼミ

一生気持ちよくなれる“魔法のボール”《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:関谷智紀(プロフェッショナル・ゼミ)
※この文章は事実を基にしたフィクションです。登場する人物・団体等は一切実在のものとは関係ありません。

大人になった今から思えば、まったくもって気が狂った小学校だった、と振り返るほかない。

僕の母校、瑞鶴第三小学校は東京都の思いっきり西の方、西多摩郡瑞鶴町にあった。
なんといっても僕らの学校は、雑木林の間に養豚場が建ち並び、風向きが悪ければ校庭に毎朝「田舎の香水」のかぐわしい香りが漂ってくるというナイスな立地にある、ごくごく普通の公立小学校……、のハズなのだけれど、やっぱり何かが変だった。

当時は高度経済成長期まっただ中の1970年代。
瑞鶴三小はなんだか文部省の新道徳教育推進校に選ばれていたとかで、とにかく教育方針がぶっとんで個性的。

まず、時間割の中身が変で、明らかに音楽と体育の時間が多いのである。

その理由は、瑞鶴三小で半年に1回「教育研究発表会」なる大イベントが行われることにあった。この「教育研究発表会」の日には、まるで授業参観のように全国から教育学の教授や小学校の先生が教室の後ろにずらっと並び、固唾を吞んで授業を見つめるのである。

もちろん、国語や算数、理科や社会などの授業もあるのだが、教科書を読んで、先生が黒板に板書するといった普通の授業を想像すると大間違い。

国語では
「はーい、田中君。ごんぎつねはこの時、どんな気持ちでいたのかな?」
という先生の問いかけに、
「えーと、僕はこのとき、ごんはいたずらをしたことをとってもとってもはんせいしていたとおもいましたぁ」
といった感じで、教科書の登場人物がどんな感情でいたか、といった情操面を重視した進行が繰り返され、とにかく生徒達は登場人物の心のひだを読み取ることが求められた。授業のあとでは、参観の先生達とその効果について議論していたようだ。

さらに、感覚的には三分の一から半分の授業時間が音楽と体育だったような気がするほど、時間割も偏っていた。

教育研究発表会の午後の部では、客席に居並ぶ先生達の目の前で、まるでアイドルのコンサートのように、生徒が学年ごとに、跳び箱やダンスの演技を披露する「体育」の発表と、合唱やオペレッタ(ミュージカルみたいな歌劇)をそれぞれ発表するというクライマックスが用意されていた。

なので、瑞鶴三小の先生はその発表会を成功させるために必死。

本来なら理科や社会のはずの授業時間を削り、体育や音楽の授業に振り替えていたのだ。
僕の小学校時代はひたすら合唱をしているか、跳び箱の上で倒立をしているかのどちらかと錯覚するのは決しておかしなことでは無かったと思う。
東京、西の外れの生徒達は見事に研究者達のモルモット同然となっていたのである。

そんな学校だったから、3年生から始まる部活動も思い切り常識とは外れていた。

選択肢はわずか2つ。

男子はサッカー部か剣道部。
女子はハンドボール部か剣道部。

このどちらかしか選べない。

冬などはガリガリに凍った土のグラウンドでボールを追いかけるか、氷のように冷たい体育館を裸足でクサイ防具を着けて動き回るか、という選択しか無かったので、音痴で、演技力も無く、運動能力も無い僕にとってはまさに地獄。
小学校3年生にして、「カレー味のう○こ」か「う○こ味のカレー」を選ぶに匹敵する究極の選択を迫られた僕は、「竹刀で叩かれて痛いのはイヤ」という誠に情けない理由で、サッカー部を選ぶほかなかったのである。

男子はそれしか部活が選べなかったこともあって、サッカー部は大所帯だった。
上手い順に三小AチームからDチームまであり、僕は当然ながらDチーム。たまにケガ人が出るとフォワードとしてCチームに昇格して戦うものの、Aチームの連中とはテクニックもパワーもスピードも雲泥の差。

齋藤先生という熱血漢を監督に据えて、Aチームの連中は放課後はおろか、昼休みの給食を食べ終えたらすぐに自主的に校庭へ掛け出していく。
齋藤先生の指導のおかげか、三小Aチームは都内の公立小学校のなかでは屈指の強豪として知られ、東京都大会を制してもおかしくない、と言われるほどの実力を誇った。
そんな彼らが昼休みにサッカーに興じる様子を、僕は校舎の3階から「おまえら、よーやるわ」つぶやきつつ眺めていたのである。

サッカーという競技ほど、夢と現実の落差を痛感させてくれるスポーツはない。
上手い奴と、そうでない奴の差がグラウンドで如実に表れるのだ。

Aチームには、「コイツなら東京都選抜入りはまちがいなし」と評価されていた中村君というスーパースターがいた。
中村君は4年生でありながら、6年生のAチームに混じってもまったく遜色なく、今の日本代表で言うならば、長谷部選手のような、クレバーで落ち着いたプレーをする中盤の司令塔として君臨していた。
練習試合のたびに僕は、サイドライン際に体育座りでヒザを抱えながら彼のプレーを見つめるほか無かった。
彼のプレーは、まさに「こんなことができたら本当に気持ちいいだろうな」と下手くそな僕でも分かるような、白鳥が舞うような優雅なプレーだった。

相手チームのフォワードのプレスをほんのちょっとボールをずらすだけで華麗に交わし、ちらっと相手ゴールの方を見てディフェンスを中央に寄せてから、サイドライン際に完璧なキラーパスを送る。

先輩の6年生がクロスを上げて、ヘディングでゴール。すると、6年生達が中村君に駆け寄って抱き合い、「ナイスパス! さすがだな」と言って彼を祝福するのである。
その時の中村君はあまりに格好良く、僕はその姿に憧れたが、決して彼にははなれない、という現実も僕は十分に分かっていた。

2年が経ち、僕らは6年生になった。
中村君はますますそのプレーに磨きを掛け、東京都に中村あり、と言われるほど注目を集める存在になった。
2時間目と3時間目のわずか10分の休み時間、そんなひとときの合間でも、校庭にボールを持って掛け出す中村君。彼の回りには、三小Aチームの強力メンバーが集まりひたすらにボールを追いかけている。

一方僕は、フォワードでありながらいまだノーゴール。
彼らにかなわないことは十分分かっていながらも、6年生の僕は「少しでも彼らに追いつければ、僕なりに結果を出さなければ」という想いで、彼らを追いかけその輪に加わった。
Aチームの連中は、ひょいひょいとパスを回しながら、口さがなく僕を罵ってくる。
「おい、関谷。おまえにこのボールは取れないだろう」
「悔しかったら、ボール取ってシュートしてみな」
僕は、何クソとボールを追いかけるが、当然だ。まったく取れない。
そのうちにパスが綺麗につながり、中村君がゴールにボールをたたき込む。
「くそー、やられた」とヒザに両手をついて悔しがる僕のうしろから次の授業の開始を知らせるチャイムが鳴る。
すると中村君はちょっと日に焼けた顔から白い歯を見せて、「楽しかったな、昼休みにまたやろうぜ」と僕に親指を立てて見せた。

僕ら6年生にとって、最後の大会が始まった。まずは地区予選、僕らの学校からはAからCの3チームがエントリー。トーナメントで決勝まで残った2チームは都大会への切符を掴む。
大本命は我が三小のAチームとBチーム。もちろん中村君はAチームのキャプテン。いっぽう僕は、Cのレギュラー数名が風邪に倒れたことで本当に偶然にもメンバー入りを果たした。

その大会で大きな番狂わせが起こった。
地区なら決勝進出間違いなし、と目されていたBチームが隣の福住二小に2回戦で敗れたのだ。
いっぽう、僕らCチームは齋藤先生に伝授された、徹底的に守る「亀作戦」。今風にいうならカテナチオで0−0を何試合も繰り返し、PK勝ちで奇跡的に準決勝にコマを進めたのだ。

準決勝の相手は、三小Aチーム。
僕にとっては、間違いなく小学校最後の試合になると分かっていた。
ならば、この「亀作戦」で、できるだけ粘ってやろうじゃないか。

試合は、大方の予想通り、僕らCチームが徹底的に押し込まれゴール前に釘付けにされる。前半終了間際に点を入れられ、0−1。やっぱり僕らは負けるのだな、と思わされた。

後半が始まった。自陣ゴール前の攻防。
中村君の強烈なシュートが来た、と思った瞬間僕の記憶は飛んでいた。顔面にボールを受け、僕は鼻血を出していた。倒れたときの土と血が混じったあの味。「ぼくはもうサッカーは絶対続けられないな」とその時脳裏をよぎった一撃。サッカーは上に行ける者とそうでない者を容赦なく選別する。

先生の治療で鼻血を止めてもらい、僕はティッシュを両鼻に詰めた情けない格好でボールを追った。
その時の記憶は、土と血の香り、そしてグラウンドを転がるボールの音しか覚えていない。
気がつくと僕は相手ゴールの前にいた。もう1人のフォワード小林君がシュートを放つ。ボールはキーパーに弾かれて、ゴールラインの白線上をゆっくり転がりそして止まった。
僕は必死でそのボールを追いかけ、左足で止まったボールを蹴り込んだ。

僕の小学校唯一のゴールは、なんとも情けない、いわゆるごっちゃんゴールだった。

でも、不思議なことに僕の足にはその感触がまだ残っている。
恥ずかしくて誰にも言えないけれども、あの足の甲にちょっと柔らかくボールが触れた感覚は、30年以上たった今でも不思議なほどに忘れないのだ。

その後、試合は中村君がフリーキックを3発たたき込み、4−1でAチームが勝利。僕らは、大物食いを果たすことはできなかったのだ。

その後、中村君は日本代表にまで上り詰め、今はあるJリーグのコーチをしている。
その後彼があげたゴールとは比べるべくもない、僕のショボいゴール。

でも、あの感覚を思い出すたびに、僕は思わずふふっと恵美がこぼれるような感覚に襲われる。
たった一度だけど、あのボールの感触は一生僕を幸せにしてくれる魔法のボールだ。

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