メディアグランプリ

ITと古典思想における熱量の有用性


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石山 祐己(ライティング・ゼミ朝コース)

 
 
九州の北へ、電車で1時間。駅から5分ほど歩き、コンビニでお茶を買う。謎のギャラリーや歯科が同居する商工会館の一室から、講義前の和尚様が談笑する声が聞こえる。
 
月に一回だけ開催されるその講座に、自分は毎月参加している。
講義の内容は「老子」。論語と並ぶ、中国の代表的な古典とされる。
 
きっかけは、ある経営者のインタビューDVD内で、一言だけ紹介された本だった。その書名と著者を初めて耳にしたということもあり、なんとなく気になってウェブ検索してみたのだ。
 
著者は京都のお寺の和尚様で、Twitter、Facebook、ブログなどで毎日情報発信をしている。そのおかげで、九州でも月一で講座を開催していることがわかった。それほど無理なく行ける場所と時間だ。まずはとりあえず参加してみようと、電話で申し込みをした。ありがたくも、誰にでも開かれた勉強会だった。
 
「老子なんて勉強してどうするの?」だとか、「もっと他に役に立つことがあるでしょう」といった声もあるだろうと、容易に想像できる。そういう指摘にも一理はある。
 
老子のような古典思想の言葉は、多くの場合「言われてみれば当たり前」のことだ。その内容を学び、気付きを得て納得したり、身を振り返って反省したりすることはあっても、「それは夢にも想像できませんでした」といった性質のものではない。
 
過去の自分も、結果を追い求めるあまりITなどの合理化を追求し、こういった思想や哲学は「あまり意味がないもの」と軽視していた時期があった。しかしそれで得られたものは、端的に言って、一過性の業務と過労だけだった。
 
老子の話で、具体的な例を挙げてみる。
 
「慈愛」「質素」「謙虚」の3つが重要だ、という話がある。聞いて納得はできるだろうが、それが仕事の成功条件だと言われても、直接的にはイメージしにくいだろう。
 
だがこれらは、ビジネスにそのまま当てはめることができる。「慈愛」は、より多くの人々を幸せにするための大きなミッションやビジョンを持つことと言えるし、「質素」は経費を最小に、必要に応じての投資を図ることにつながる。「謙虚」は、その逆の「傲慢」を想像すれば明らかなように、人脈構築において当然に重要な態度だ。
 
老子に限らず、世の原理原則と呼ばれている思想には一見して「当たり前」の話が多い。しかし「言われてみれば当たり前」のことであればあるほど、日々に実践し、活用することは難しい。当たり前だからだ。当たり前を合理的に現実化することは、当たり前であるがゆえに、原理的に不可能に近い。
 
昨今では「当たり前」がわかっていればあり得ないような、わけのわからない不毛な事件が世間を騒がせている。日本の自殺者数は減少傾向にあるとは言え、それに関連する痛ましいニュースもまだまだ多い。世に知られていない惨事もたくさんあるだろう。
 
何が、どこから、そうなってしまうのか。誰も好き好んでそのような問題を起こすはずはない。多くはただ真面目に頑張っている途中で、何かが少しずれてしまっただけのことだろう。それを「合理的に解決」しようというのは、結局のところ堂々巡りに過ぎない。それは古いニュースを紐解いてみれば明らかだ。理屈で解決できるのであればとっくに無くなっているはずの似たような事件が、歴史的に繰り返されている。
 
どうすれば改善されるのか。
 
理屈上の言葉で解決するのが無理ならば、当たり前を当たり前として心に刻んだ上で、時の淘汰を経た原理原則をもって、それらを「言葉を超えた何か」に落とし込まねばならない。そこで必要となるのは、文字情報を融解させ、活用するための「熱量」のようなものでないか。それは具体的に、例えば人とのつながりを通じて非言語的に受け取れるような熱意だ。そこで受け取った真理は、自分の実践と体験を通して、物事を潤わせることができる。
 
単純に言えば、何かを学び、実践した上で発する言葉は価値となり、形を変え、誰かの役に立つのではないだろうか。
 
そういう意味で、生身の勉強会やゼミなどのコミュニティは、今後ますます重要性が高まっていくはずだ。自分がITなどの合理的世界に身を置きながらも、電車で講座の場に足を運び、いわば合理化の対極にあるような古典思想を学んでいるのには、そういう心情的背景がある。
 
その講座には、29年間続いてきたという歴史もある。講師の和尚様の、全身が共鳴するような話し方。お世話役をされる方の気遣い。参加者の意気込み。そこにあるのは形而上的な熱量と、その場だけのコミュニケーションだ。その時間と空間に身を置くことは、物事の見方や考え方の変化を促し、生き方の可動領域を広げてくれる。
 
思い返せば、何気なくたまたま観たDVDからの細いつながりが、ずいぶんなご縁になった。普段接することがない新しい世界は、どこにでも、ちょっとしたところの裏側に潜んでいる。
 
自分は残念ながら、老子を語るほどの人格者ではない。だが、それを目指すことには意味があるはずだ。そんな方向性は人の心に響くようで、年配の経営者との話で「若いのに、よくそこまで考えているねぇ!」と気に入られるのは、ITなどの合理化の話ではなく、思想的な世界観だったりする。そういう関係は一過性には終わらず、ありがたくも長く続く。
 
そうして実践を経た思想に、再帰的にITとライティングを重ねてつくろうとする流れもまた、サイバー空間における和尚様と同様、新しく世の中へと結びついていくに違いない。
 
老子も、こう言っていた。
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」
 
 
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2018-07-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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