プロフェッショナル・ゼミ

佳代ちゃんを大切にできなかった、あの日の自分を殴りたい《プロフェッショナル・ゼミ》


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 記事:牧 美帆(プロフェショナル・ゼミ)

 現在38歳の自分は、ネットのニュースを見ながら「インターネットやスマートフォンの無い時代に、高校生をやっていなくてよかったな」と思うことも多い。
 クラスのLINEグループがあったとして、おそらく爪弾きにされていただろうから。
 もし10数年前に高校生だったとしても、おそらく学校裏サイト的なもののURLを教えてくれる人はいないだろう。
 高校を卒業して20年経つが、いまだに同窓会の連絡をもらったことは一度もない。まあ、あっても行かないけど。

 しかし、その反面、うらやましいと思うこともある。
 それは、遠くに引っ越してしまった人の近況がわかり、ずっとつながりやすくなっているからだ。

 私自身、Facebookを通して、何人かの小学校、中学校、高校の同級生とつながっている。
 しかし、どうしてもつながれない、誰に聞いても連絡先がわからない人がいる。
 それが、佳代ちゃんだ。

 *
 
 佳代ちゃんと仲良くなったのは、小学校6年生の二学期。
 当時はクラスカーストなんて言葉はなかったが、友達のいない最下位、そして佳代ちゃんは上位にいたと思う。
 しかし、上位グループで何かもめごとでもあったのか、佳代ちゃんはそのグループを抜けて、私に声をかけてきた。それから放課後、一緒に遊ぶようになった。
 本人には気持ち悪がられるだろうから言わなかったが、私は夏休みに田舎のお土産屋さんで、「友情の石」というパワーストーンを買っていたので、その効果かもしれないと思った。それくらい、自分にとっては信じられない出来事だった。

 彼女の影響で、私はドラマを見るようになった。
 更に、それまで聴いていたのはアニメや漫画のサウンドトラックが中心だったが、話題の曲にも興味を持つようになった。おかげで、

「ねーねー、この福山マサジって人、格好よくない?」
「佳代ちゃん、マサジちゃうで、マサハルやって」
「今度のB’zの新曲、ハダカの女神ってタイトルやって。エロくない!?」
「佳代ちゃん、ハダカちゃう、裸足! ハダシ!」

 と、佳代ちゃんにツッコミが入れられるまでになった。
 他愛ないやり取りが、ひたすら楽しかった。

 佳代ちゃんから夢を打ち明けられたのは、6年生の3学期。
「私な、実は……ZARDみたいな歌手になりたいねん」
 ちょうどZARDの「負けないで」が大ヒットしたタイミングだった。

「えっ、めっちゃ素敵やん! 私、佳代ちゃんの夢、応援するわ!」

 それからはときどきお小遣いをはたいて、今はもう無い近所のカラオケボックスに行って練習した。
 お金の無い時は、私の家で一緒に歌の練習をした。
 今はもう無い近所のレンタルショップでせっせとCDをレンタルし、120分テープに詰め込むだけ詰め込んだ。
 昔のCDシングルは、ほぼ必ずといっていいほど、「カラオケバージョン」が収録されていた。それを流して歌う。
 また、今振り返ると顔から火が出そうになるが、作詞の練習をしようと、当時のヒット曲のメロディーに自分たちの自作の詩を付けて歌う、ということもよくやっていた。

*

 中学に上がった私たちは、一緒に女子テニス部に入った。
 同じ学年の子が約30人。万年球拾いだった私とは異なり、元々運動神経のよかった佳代ちゃんは、めきめき頭角を現して30人のトップに立ち、一目置かれる存在になった。

 中学では佳代ちゃんと同じクラスになることはなく、私は相変わらず一人でいることが多かったが、佳代ちゃんは徐々にもとの明るさを取り戻し、交友範囲も増えていった。

 佳代ちゃんが中学で仲良くなった人たちの中には、私のことを「オタク」「ダサい」「ブスのブーコ」とバカにする人も少なくなかった。
 佳代ちゃんも彼女たちと一緒になって、からかうこともあった。
 私と佳代ちゃんは釣り合わないという引け目もあり、私は学校で積極的に佳代ちゃんに声をかけることはしなくなった。

 それでも私たちは、ときどき私の家やカラオケボックスで、歌の練習をしていた。

 佳代ちゃんはよく私の家に遊びに来たが、県営団地の奥にある佳代ちゃんの家に、私が遊びに行くことは、ただの一度もなかった。
 仲良くなり始めたころに、何度か佳代ちゃんの家に遊びに行ってもいいか聞いてみたが、「うち、お兄ちゃんいるから」という理由で断られてしまい、私もそれ以上は聞かなかった。
 佳代ちゃんには少し年の離れたお兄さんがいるらしかったが、あまり家族のことは話さなかった。

 中学3年生の2学期。
 進路を決めなければいけない時期に差し掛かっていた。
 ある日、いつものようにうちに来ていた佳代ちゃんが、私に打ち明けた。

「ごめんね、私、転校するねん。親の実家に戻ることになってん」
 
 それからすぐに、佳代ちゃんは転校してしまった。 
 どうやらお兄さん絡みのことらしかったが、深くは聞けなかった。

 実は、それくらいの時期に、ビーイングの音楽事務所に資料請求をしている。歌のレッスン費用を問い合わせたのだ。
 しかし、レッスン費用はめちゃくちゃ高いわけではなかったが、それでも私の家や、おそらく佳代ちゃんの家がポンと出せる金額ではなかった。
 私は薄々感づいていた。私も、そして佳代ちゃんも、音程をとってそれなりに歌うことはできるが、到底プロの歌手としてやっていけるレベルではないということを。

 私は地元の高校へ進学することをやめて、少し自宅から離れた高校へと進学した。
 あまり同じ中学の人がいないところがいいと思った。
 それに、佳代ちゃんがいないのに、地元の高校に行く意味がなかった。

 *

 佳代ちゃんに再会したのは、それから3年後のことだった。

 高校入学後も、私たちは、細々と手紙でのやり取りを続けていた。
 そして高3の秋、佳代ちゃんが地元に立ち寄る機会があり、そのときに会おうと声をかけてくれたのだ。
 せっかくだから、久しぶりにカラオケに行こうということになった。

 ここで私は、人生最大ともいえる過ちを犯してしまう。

「あのな、佳代ちゃん、紹介したい人がおるねん。かーくんって言うんやけど……」

 当時付き合っていた彼氏を、その場に連れてきてしまったのだ。

 高校2年のときに、初めて彼氏ができた。
 地元の高校を離れての高校デビューにも失敗し、自己肯定感というものがとにかく低かった私は、相対的に彼氏への依存度がとにかく高かった。
 彼氏ができたことで、初めて自分を認めてもらえた気がしたのだ。

 高校3年のクラスにまったくなじめなかったのも、彼氏への依存を加速させた一因だ。
 せっかくつくった数少ない友達と同じクラスになりたい一心で、高3の進路を「私大文系進学コース」にしたのに、なぜか自分だけが高2からほぼメンバーが固定の「国公立進学組&就職組」のクラスになってしまったのだ。
 さらに、唯一クラスで仲が良かった就職志望の子が、ビジュアル系バンドの追っかけのやりすぎで出席日数が足りなくなり、高3の2学期で退学。

 ますます私はクラスで孤立し、彼氏に依存していった。
 数少ない友達に「あのさ、少し頭冷やした方がいいよ」と手紙でたしなめられたこともある。それだけ私は彼氏に夢中だった。
 そのときは、確かGLAYの曲の歌詞を引用して今の私の気持ちみたいとか、そんなことを言っていた気がする。曲名は恥ずかしすぎるので伏せるが、大ヒットした有名なラブソングだ。頭冷やせと言われても仕方がない。

 とにかく、佳代ちゃんが連絡してきたのは、そんなバカップルまっしぐら、なタイミングだった。

 佳代ちゃんは、特に嫌そうな態度はしていなかった……と思う。中学の時よりもきれいになっていた佳代ちゃんは、「彼氏できたんだ、よかったね!」というようなことを言っていた。

 そして、「ラブラブな二人に、私が今一番好きな歌をプレゼントするわ」と言って、Jungle Smileの「おなじ星」という曲を歌ってくれた。

 それからも私は彼氏が最優先で、佳代ちゃんへの連絡頻度はどんどん減っていった。

 翌年、彼氏の浮気が原因で別れ、その直後に新しい別の彼氏を作って、別れて……気が付いたときには、佳代ちゃんの連絡先は、わからなくなっていた。

 浅はかな私は、彼氏という一時の快楽を選び、その結果、もしかしたら一生の宝物になるかもしれない、友情を捨ててしまったのだ。

 *

 佳代ちゃんの連絡先は、それから20年たった現在も、わからないままだ。
 mixiにも、Facebookにもいない。少なくとも、実名では。

 私は、なぜあの時、彼氏を連れてきてしまったのだろう。
 そんなことを、時々考える。

 佳代ちゃんに、安心してもらいたかった?
 私はうまくやってるよって、思ってもらいたかった?
 それも、あるかもしれない。 
 佳代ちゃんの手紙からは、その端々で人付き合いの苦手な私を心配していることが読み取れたから。

 でも、もしかしたら、そんな綺麗な理由ではなくて。
 私は佳代ちゃんより、上に立ちたかったのかもしれない。

 佳代ちゃんは、少なくとも私に宛てた手紙によると、彼氏はいなかった。
 そして会った当日も、彼氏はいないと言っていた。
 佳代ちゃんよりも先に、彼氏を作りたかった。
 そして、自慢したかったんだ。
 中学の頃、他の子たちと一緒になって私をバカにした佳代ちゃんより、上に立ちたかった。

 なんてバカだったんだろう。
 私があのとき、佳代ちゃんに取るべき行動は、そうじゃなかった。
 中学3年の2学期に、突然、消えるように転校していった佳代ちゃん。
 きっと、深い事情があったのだろう。
 私がするべき行動は、彼女が抱えていたしんどさに、寄り添うことだった。
 彼女が、あのタイミングで私に会いに来た意味を、もっとちゃんと考えるべきだった。

 *

 当時の同級生にも、彼女の連絡先を知っている人はいなかった。
「わからんわ。そもそも、佳代ちゃんとはあんたが一番仲良かったやん。あんたが知らなかったら、他の子も知らんやろ」
 と言われたときは、その場で泣きそうになった。

 佳代ちゃんと一番仲良かったのは、私。
 周りの目にも、そう映っていたのだ。
 それなのに、何も出来なかった自分を悔やんだ。

 *

 2018年現在、佳代ちゃんが昔歌ってくれた「おなじ星」は、SpotifyやAmazon Music Unlimitedで聴くことができる。
 私はときどきこの曲を聴いて、佳代ちゃんのことを思い出す。
 もしかしたら気づかないだけで、佳代ちゃんと私も、どこかですれ違ったりしているんだろうか……。

 生きていれば、いつか会えるんだろうか。
 そして、謝ることができるんだろうか。

 今、私にできることは、今つながっている友達を大切にすることだ。
 今はFacebookやLINEやTwitterで、彼女たちの近況がわかり、困っているときは手を差し伸べることができる。いい時代だなと思う。
 なお、高校時代に私がGLAYの曲を自分の曲に重ね合わせたことに対し、「頭冷やせ」と手紙を送ってきた彼女とは、お互い子持ちになった現在でも交流が続いている。本当に感謝しかない。

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