プロフェッショナル・ゼミ

母親の育児は、必要最低限でいい《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)

母親は、どこまで幼い子どもに手をかけなければいけないのだろうか。
育児はとても大変だ。やるべきことは際限なくあり、自分の思うように動けなくて、予想外のことが次々と発生して、気が抜けなくて。「ああ、疲れた」と座り込むと、どこからか、自分の産んだ子どもでしょ、という声が聞こえてくる。振り返っても誰もいない。私の頭の中から聞こえた声だ。私は仕方なく立ち上がる。
私の母は完璧だった。どこで息抜きをしていたのだろうかと思うくらい、常に私たちのことを考えてくれていた。母が自分の好きなことをやっていた記憶はない。料理も実は嫌いだったなんて思えないくらい、おいしいごはんを作ってくれたし、家の中もきれいにしてくれていた。常に私たちのことを気遣い、私たちのために行動していた。
そういう母も子どもの頃は私のことをかわいがれない、と祖母に泣きついたこともあったらしいけれど、「育てていればかわいくなるから」とたしなめられ、頑張り続けたという。
私は2歳の時からメガネをかけていた。1歳を過ぎたあたりで、近くを見ようとすると目が真ん中に寄ることに母が気付いた。色んな医者をめぐり、まだ検査できないと言われたり、眼鏡をかけるのは早いから意味がないと言われたりしたそうだけれど、最終的には、都内の大学病院で検査して、遠視と斜視であることが分かったという。医師には「お母さん、よく気付きましたね」とほめられた。そして、2歳の時から眼鏡をかけるようになった。
小学校1年生の時には、裸眼で左右共に0.6くらいまで視力が上がり、中学生では、1.2までになった。眼鏡はなくても生活できるけれど、焦点を合わせるのに目が疲れるのでかけ続けている。これだけ視力が良くなったのは、成長期にメガネで矯正できたからで、本当に母のおかげだった。母にとっては、この一件は子育ての自信につながったことのようで、よくこの話をしていた。

こんな風に一生懸命育ててくれた母だけれど、私はある時期から反発を感じ始めた。反抗期というのだったかもしれない。そういう言葉があるくらいで、それは誰にでも起こる成長の過程の一つだと思うけれど、母はそんな風にとってくれなかった。
「あなたはいつもママに反発する」
と言った。そんなつもりはなかったし、譲れないところ以外は従ってきたつもりだったけれど、そんな風に言われた。母の言葉や視線が息苦しかった。
母はいつも何か私が失敗しそうになると助けてくれた。それさえも、「指摘されなければ、自分で気付くことができたかもしれない」と思うような時もあった。「どうせあなたはダメな人間だから、自分では気付けないでしょう」と言われているような気がした。素直に感謝することなんて、どうしてもできなかった。私はもう近くを見ようとすると目が真ん中に寄る1歳の子どもじゃない。
「教えてあげたのに、ありがとうも言わないで、どうして不満げな顔をしているの?」
と訊かれて、私は何も言えなかった。

だから私は、自分は子育てなんて一生懸命にやらないにしようと、心に堅く決めたのだ。そんな風にしても、子どもなんて薄情で、親の思いを理解して感謝したりすることはない。それは決まっている。この親不孝の私自身が証明している。
そのために私は、仕事を絶対に続けようと思った。どんなに大変でも必死で仕事を続けたいと思った。結婚しても、子どもが生まれても、忙しくてつらくて大変でも、自分のために仕事をしたいと思った。自分の好きに使えるお金を持って、自分のためにおしゃれをしたり、勉強したりして投資をしたいと思った。

母親との関係も、結婚して家を出ると、落ち着いた。私の細かなことまでは分からないから、うるさく言われることもなくなった。週に一度、母の色んな話を聞きつつ、夕食をごちそうになるくらいの関係がとても心地良かった。母はスポーツジムに通い始め、そこでのちょっとした事件をイキイキと話してくれた。新しくスポーツウェアを買うと、自慢げに見せてくれた。母が自分の時間を楽しんでいることが、とても嬉しかった。
けれどもそれも長くは続かなかった。私の子どもが産まれると、母は孫見たさに、頻繁に私の家に来るようになった。せっかくのスポーツジムに通うのもやめてしまった。そして私に対して育児の指導を開始した。当然のことながら、私のやり方はおぼつかない。おむつ替えから授乳から沐浴から寝かしつけから、色んなことにダメ出しされた。
「こんな風にやるのよ」
母がそう言いながら抱きかかえると、子どもは落ち着いてぴたりと泣くのをやめる。私はひとりイライラした。
本当は、私自身が母親になるための手助けをしてもらいたかった。「少しずつ慣れていくから大丈夫だよ」と言ってもらいたかっただけだった。
とはいえ、毎日を積み重ねていく中で、少しずつ手際が良くなり、子どもと落ち着いて向き合えるようになった。3人目を育てる時には、我ながら母親になったなあと思えるくらいになった。
子どもが泣いているけれど、今日は体調が悪いから無視して眠ろうなんてことは無理だ。つらくても起き上がって何とかする方が、はるかに気持ちが楽になる。子どもの泣き声はそういう風にできている。泣いたのが夫側に寝ていた子であれば、父親である夫も少し頑張って声をかけたり背中をとんとんしたりしているけれど、うまくいかない。私は他の子を踏まないように気を付けて暗がりを進み、その子のところに行って、声をかけながら背中をとんとんする。すぐに落ち着いて、子どもは泣き止む。私が動き出したことで「後は任せた」という感じで再び寝息を立て始める夫にあきれつつも、自分の声とてのひらの力の威力に悪い気はしない。私は母親なのだ。
でも、私は、「子育てなんて一生懸命にやらないにしよう」と心に決めたことを忘れたわけではない。子育てのモットーは必要最低限の育児だ。少し楽になれば、生まれた余裕に、自分のやりたいことをねじ込む。例えばこうして文章を書いていることもその一つだ。食事の後片付けなんて、後回しにして、子どもたちが起きている間にもっと向き合うべきかなと思うこともあるけれど、自分の気持ちに嘘をつけない。後で文章を書く時間を確保するために、子どもに声をかけつつ、今片付けを済ませてしまうのだ。子どもたちのことを「やらなきゃな」とか「やりたいな」と思う時はやるし、そうでない時は、無理はしない。どこからか「自分の産んだ子どもでしょ」と聞こえてくる。でももう振り返らずに、私は自分のやりたいことをやる。

こんな母親でも、子どもたちは「大好き」と言ってくれる。座って休んでいると、膝に我先にと乗ってくる。そんな私たち親子の様子を見て、母はよく言う。
「愛情不足だねえ」
また批判された、とすぐに思う。けれどこの前、母はこんなことを言ったのだった。
「もっと一生懸命子育てしていたけれど、こんな風には好かれなかったよ」
その一言で、私の中でつかえていたものが、ふっと溶けて小さくなっていくような気がした。母とは違うやり方を、少しだけ認めてもらえたような気がした。同時に、そんな風に言われると、自分が母に甘えられなかったことを申し訳ないと思えてきた。母は私のことをきちんとした大人に育てたいと思っていただけでなくて、甘えたりもして欲しかったのだろうか。
私は母の膝に自分から乗った記憶はほとんどなかった。物心ついた時には弟がいたから遠慮したということもあったかもしれない。いいお姉さんでいようとしていたのかもしれない。でもそれだけではなかった。母親といると安心するという気持ちはあったけれど、弟がそばにいない時でも、自分から手をつなごうとしたり、「大好き」と言ったりした記憶はなかった。私と違って美人で、自慢のお母さんではあったけれど、また何か怒られるんじゃないかと思っていた。もちろん私がいつもぼんやりとしていて、失敗ばかりしていたからなのだけれど。
そしてその一方で、どこか弱さを感じていた。うまく言えないけれど、子どもながらに心配なところがあった。
そういえば、小学校5年生の時に、千葉県東方沖地震があった。初めての大きな地震で、クラスの女の子たちの中には「お母さーん」と泣き出す子までいた。ガラスの割れる音がした。
お昼休みに、万が一の時にとランドセルのポケットの中に持たされていた10円玉を使って、職員室の前の電話から家にかけた。数回コールが鳴った後、いつも通りの母の声が聞こえた。
「大丈夫だった?」
と訊くと、
「大丈夫だったよ。食器とかはたくさん割れちゃったけれどね……もしかして、心配して電話してきてくれたの?」
「うん」
半分は私が安心したかったから電話をかけたのだけれど、そう答えた。
「ありがとう」
いつになく優しそうな母の声が嬉しかったのを覚えている。甘えたりはできなかったけれど、私なりに母のことが好きだったのかもしれない。
だから私は、母親との関係に悩んだ時も「子どもなんて産まないようにしよう」と思ったわけではなくて、「子育てなんて一生懸命にやらないにしよう」と考えたのだろう。母とのつながりがあったから、私は子どもなんていらないとは思わなかったのだ。

子育てのモットーが必要最低限の育児なのは、自分のやりたいことをやりたいからというのもある。でも、それだけじゃない。もし私が完璧に子育てをしようとして、子どもと真剣に向き合い、私が理想と考える人間像に向けて育てたとしたらどうなるのだろう。
もちろん子どもには、イヤイヤ期や反抗期というものが、心や身体が正常に成長するためにプログラムされていて、私の思う通りにならないこともたくさん出てくるだろう。母親の声や手のひらの威力なんて、通用しなくなる日がくる。でも、さらに私が子どもたちの心を操縦できる手法を身につけられたとしたら……? そしてそれに応える力を子どもたちが持っていたとしたら……?
それは彼らの人生ではなく、私の人生になってしまう。私が正しいと思う人生、私が送りたかった人生になってしまう。
この考え方が絶対に正しいと思っているわけではない。ひょっとしたら、娘は私のような母親に育てられて、「小さい頃『かわいいね、大好きだよ』とはたくさん言ってくれたけれど、口ばかりで、気持ちや行動が伴ってなかった、もっと愛情を持って欲しかった」と思いながら、自分の子どもは丁寧に育てようと考えるかもしれない。
でも、それでも、投げ出すのとは違うつもりだけれど、こんな風になって欲しいと思うことは、怖いことのような気がするのだ。
だからこそ、やはり、母親の育児は、必要最低限でいいと思う。毎日「大好きだよ」とハグして、安心できる場所を作ってあげればいい。衣食住の確保は、夫や、両親にも手伝ってもらってみんなで守ってあげればいい。コンビニも家事の外注もありだと思う。ただ、子どもが「私は大丈夫」と思えるようになる下地を作ってあげたい。
そして、保育所や、学校で、地域で、友達や先生、近所の人も含めて、色んな人と関わりを持ちながら、自分はどんな風になればいいのかを見つけていって欲しい。憧れの人は、一人じゃなくて、できるだけたくさん見つけて欲しい。そうやって自分らしさを探っていって欲しい。
そういう私も、本当の意味での、自分らしさ、というのには、まだ辿りつけていない気がする。これからも色んな人と関わって、たくさんの「あんな風になりたい」を見つけながら、最後の日まで子どもたちと一緒に成長を続けたい。
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