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プロフェッショナル・ゼミ

川代ノートはなぜ面白いか《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:増田明(プロフェッショナル・ゼミ)

「う~ん、これは面白い! さすがだ!」

ある日、帰宅途中の電車の中で私はスマホ画面を見ながらつぶやいた。
私が読んでいたのは、「<川代ノート>福岡天狼院新メニュー・元彼が好きだったバターチキンカレー」というWEB記事だった。

「川代ノート」とは、ある界隈の人々の間でたいへん人気がある有名コンテンツだ。

東京池袋に本店をかまえる「天狼院書店」という一風変わった書店がある。
天狼院は書店でありながら、様々なゼミ形式のイベントを開いている。その中で特に人気があるのが「人生を変えるライティングゼミ」だ。
2000字程度の読まれる文章を書けるようになることを目的とするゼミで、全8回の講義と、毎週課題文章を提出し、それにフィードバックを受けることができる。私は今年の二月からそのゼミを受講している。

このゼミで、フィードバック担当をしている川代さん、という若い女性社員がいる。その方が「川代ノート」というコンテンツを書いているのだ。
天狼院のゼミを受けている人で川代さんを知らない人はいないし、「川代ノート」を読んだことがない人もいないだろう。天狼院に川代あり。若くして天狼院のエースとして活躍しているすごい方なのだ。

「川代ノート」はだいたい5000字程度の文章なのだが、毎回とても面白い。例えばその時私が読んでいた「福岡天狼院新メニュー、元彼が好きだったバターチキンカレー」という記事。
福岡天狼院のカフェメニューとして、バターチキンカレーを出します、という新メニュー紹介記事……のはずなのだが、とんでもなく深い話になっていく。

川代さんが学生だったころ。
付き合っていた彼にもっと愛されるため、彼をつなぎとめるため、何をすればいいか。川代さんはひたすら考え、様々な情報を収集し、考えて考えて考えぬいた末に、そうだ! 普通の人には作れない特別おいしいカレーを作れば、彼に愛されるはずだ! との結論に達する。そしてスパイス作りから研究を重ね、普通の人には作れないプロ級の究極のバターチキンカレーをついに完成させる。
彼にはもちろん大好評。ああ、これで彼に愛されるはずだ、よかった……。

しかしその思いもむなしく、彼は川代さんの元から去ってしまう。
なんで? こんなおいしいカレー作ったのに! このカレー大好きだって言ってたのに!
そして川代さんは気が付く。おいしいカレーが作れたからって、それだけで愛が約束されるわけではないんだ。そういうことじゃないんだ。おいしいカレーを作ったからって必ず愛されるはずだなんて、自分は何を考えていたんだ。

ここまで読んで私は、失礼ながらちょっと笑ってしまった。決してバカにしているわけじゃない。なんかすごくわかる気がして、共感出来て笑いたくなってしまったのだ。

私は、川代さんとは性別も年齢も違う三十代の男だ。なのでもちろん、彼氏のために研究を重ねてカレーを作るなんてことをしたことはない。
じゃあいったいどこに共感したのかというと、川代さんが頭でいろいろ考えて考えてたどり着いた答えが、どこか現実からずれてしまっていて、それが現実に跳ね返されてしまう様子。
そして時が経ち、いったい自分はなんであんなこと考えていたんだろう、なんであんなことをやっていたんだろう、と付き物が落ちたように解放される様子。そこにすごく共感してしまうのだ。

他にも特に共感できたコンテンツとして、「悟りを開く系女子の末路」という文章がある。

学生時代、川代さんはいつも世の中の仕組みや人の心理について考え、分析していた。
そのため、世の中がこういう仕組みだからこういうことが起こるんだ、とか、この人はこういう性格でこういう心理だからこういう行動をとるんだ、ということがいつもわかってしまうのだった。すぐにこの世の「真理」を発見し、理解することができてしまうのだった。

そして世の中には、そういうことが「わかる人」と「わからない人」がいると考えていた。
学生時代、周りには「わかる人」がいなかった。同じような話が通じる人がいなかった。そのため、周りがつまらない幼い人達に見え、話しが通じない、分かり合えないことに疎外感、虚無感を感じ苦しんでいた。自分は周りと違っている、自分はおかしいのかもしれないと思っていた。そして「わかる人」をいつも探していた。

しかし大人になってしばらくすると、「わかる人」を探すことをいつのまにかやめていた。そしてあることに気が付く。実は自分が理解していると思っていたこの世の「真理」なんてものは、本当はないんだ。「真理」なんて人の数だけあって、人それぞれなんだ。自分はただ、自分が信じる真理を「わかってくれる人」、自分を「わかってくれる人」を探していただけなのかもしれない。

ここでまたまた私はすごく共感してしまうのだった。

私も大学時代、周りの学生達になじめていなかった。
あいつらはロクに勉強もせずチャラチャラしているくだらない奴らだなんて思っていた。疎外感を感じ、世の中くだらない、世の中おかしいと思っていた。

世の中の仕組みを理解しようと、一人図書館で哲学書や経済学書を読んでいた。そして世の中がいかに間違っているか、ということを説明する理論を頭の中で延々と考えていた。
そして時折その理論を周りにぶちまけてしまい、ますます孤立していく、なんてことをやっていた。
とんでもなく頭でっかちな人間になっていた。周りの学生達を否定しながらも、同時に楽しそうに過ごす彼らを見て激しく劣等感、孤独感を感じ、自分はダメなんじゃないか、自分はおかしいんじゃないか、と悩んでもいた。

しかし四年生になってゼミに入ると、そんな私にもゼミ生達は仲良く接してくれた。おかげで私はその煮詰まった状況から抜け出すことができた。
同時に、今まで自分がずいぶんと変なことを考えていたもんだ、と気が付き、その思考のループから解放され、その後の学生生活を楽しく過ごすことができた。

私と川代さんのケースは、詳細は全然違うと思う。けれど、頭で考えすぎてどこか世の中からずれていってしまい、社会から疎外感を感じ、自分はなんかおかしいんじゃないか、と感じて悩んでいるところ、そこがなんか似ている気がして共感してしまうのだ。

「川代ノート」は多くの人の共感を呼び、人気コンテンツになっている。そのことを考えると、私だけでなく同じようなことを考えて、社会からの疎外感を感じ苦しんでいた時期がある人って、結構たくさんいるんじゃないかと思う。

その煮詰まってしまった状態では、周りの人間は楽しそうに、地に足をつけて、社会に適応して問題なく過ごしているように見える。自分だけがおかしくて、周りに置いてけぼりにされているような気になってしまう。

しかし、一見問題なく過ごしているように見える人も、よくよく深く話を聞いてみると、意外と同じような疎外感を感じていることがある。

川代さんだって、「川代ノート」を書いているからこういうこと考えているんだなってわかるけど、「川代ノート」がなければとても心の中でそんなことを考えているようには見えない。
若くて美人で優秀で、天狼院のエースとして活躍している、社会に適応しているちゃんとした人に見える。

実は多くの人が社会に疎外感を感じ、自分はおかしいんじゃないかと感じている、ということに関して、ある心理学者がとなえているちょっと変わった説を、本で読んだことがある。

その学者は、心理学の父ともいわれる、フロイトという有名な学者だ。フロイトの説では、人間は誰もが多かれ少なかれ、現実に居心地の悪さを感じ、自分と現実の間にズレを感じているらしい。その理由として次のような説明をしている。

人間は、他の動物と違って、本能がうまく機能していないらしい。
本能とは、生まれつき身についている行動形式のことだ。人間以外の動物の行動は、ほとんどが本能によって決められている。食べ物の取り方や、仲間とのコミュニケーションの仕方、子育ての仕方など、ほとんどが生まれつき身についた本能によって、あまり迷うことなく、考えることなく自然とできている。本能によってうまく現実に適応できるのだ。

しかし人間は、どういうわけだか本能がうまく機能しなくなってしまった。
そのため本能の代わりに「自我」というものを作った。「自我」によって現実に適応しようとした。
「自我」とは人間の行動指針のようなもので、生まれつき持っているものではなく、生きていく中でいろいろと学習し考えながら、徐々に作り上げられていくものだ。

生まれつき備わっている本能と違って、後から作られていく「自我」は常に周りに影響され、不安定でグラグラしている。時代や周りの環境によって「自我」はどんな形にもなりうる。これが正しい正常な自我だ、というものはない。人間はその不安定な「自我」を元にいろいろなことを考え、判断し、現実に適応しようとしている。

しかし「自我」は不確かなものなので、よく間違える。現実からズレてしまう。いつも迷い、自分の判断が正しいのか不安になる。そして現実に居心地の悪さを感じる。

どうやらそれは人間にとって当たり前のことらしい。特別におかしい人、特別に劣っている人だけが感じるわけではないらしい。人は誰でもいくらかはそのようなことを感じているらしい。

この話を本で読んだ時、ずいぶんと突飛なぶっとんだ説だな、と思った。けれどなんだか妙な納得感があった。
そうなんだ、自分だけじゃなくて、多くの人が実は現実や社会とのズレ、居心地の悪さを感じているんだ。それって心理学的にもおかしいことじゃないんだ。そう思った。

ライティングゼミでは、他の受講生の書いた文章が読める。いろいろ読んでいると、結構多くの人が、社会から疎外感を感じたり、自分だけがおかしいんじゃないかと思って悩んでいた、という文章を見かける。

楽しそうに問題なく暮らしているように見えて、実はそうじゃないって人は、思ったよりたくさんいるのかもしれない。

そう思うと、悩んでいたのは自分だけじゃないんだって思えて、肩の力が抜けて少し楽になれる。

イタリアに伝わるこんなことわざがある。

「Siamo tutti un po’ pazzi. 我々は皆、どこかおかしい」

この言葉を聞いた時、私は笑ってしまった。

なんていい言葉なんだろう。

我々は皆、どこかおかしい。うん、そのとおり、そのとおりだ。
みんなそれぞれどこかおかしい。けれど、それは当たり前なんだ。それでいいんじゃないかな。
みんなどこかおかしい。だからこそ、世の中面白いんじゃないかな。

***

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