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プロフェッショナル・ゼミ

2歳の娘を見ていたら、いやなものをいやだと言う自由が欲しくなった。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:櫻井由美子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
半年ほど前、2歳になった頃からだろうか。それまで「わんわん」とか「おかーしゃん」とかほんのいくつかの単語しか話せなかった娘が、急にいろんなことをしゃべるようになった。
それまでも娘は自分なりの言葉にならない言葉で話しかけてきていた。でもそれは大人のわたしが理解出来る日本語ではなかった。娘はすっかりおしゃべり出来ている気持ちでいたようで、全然理解出来ないわたしを見て「なんでこんなに言ってるのに分からないのかしらこのひとは!」とでも言うようないらだった様子を見せていた。
それが急におしゃべりが出来るようになり、わたしも娘の言っている言葉が理解出来るようになって、娘もわたしも視界が開けたような気持ちだった。これでやっと理解し合える! そう思った。
 
たしかに、娘の言っている言葉は理解出来るようになった。意志疎通が図れるというのはとてもうれしかった。
けれど、言っている言葉が理解出来ることと、お互いを理解し合えるということとは別物だった。
そしておしゃべりが出来るようになるということは、はっきりと自己主張が出来るようになるということだった。
 
あるとき夕飯にかぼちゃの煮つけを作った。
娘はおいしいおいしいとかぼちゃを頬張った。
よし! かぼちゃは好きなんだ。そう思って翌日にまたかぼちゃを出したら「いらない」と言う。「かぼちゃだよ。おいしいよ。食べてごらん」というわたしと、「食べない。いらないの」と言い張る娘。お互いに譲らない。
翌日ならまだ「かぼちゃ飽きちゃったのかな?」と思えなくもないけれど、「ごはん、もっとちょうだい」と言われておかわりのごはんをよそって、持っていったら「もういらないの」と言う。ごはんは食べないのに「クッキーちょうだい」とか言ってくる。
 
この半年間、イライラさせられっぱなしだった。
おしゃべりが出来るようになるまでは、話しが出来るようになったら楽しいだろうなぁとそのときを待ち望んでいたはずなのに、娘から出てくる言葉はわたしの神経を逆なでした。地雷が埋まっている野原を無邪気にかけまわって次々に暴発させるような、そんな言葉ばかりだった。
せっかく作ったかぼちゃの煮つけなのにどうして食べないの。昨日はあんなに食べたのにどうして今日は食べないの。あなたがもっと食べるって言ったからおかわりよそってきたのに、持っていったらいらないっていったいどういうつもりなの。どうしてそんなにわがままなの! 
自分の中でイライラが爆発するのとほぼ同時に、イライラしてばかりの自分に対するダメ出しが始まる。
相手はまだ小さい子どもなのに。わたしは大人なんだから、っていうか母親なんだから、もっと大きく構えて心をひろく持って余裕を持って娘に接しなければいけないのに。どうしてわたしはまだ2歳のこの子に腹を立ててばかりいるんだろう。どうしてわたしはこんなに人間が出来ていないんだろう。こんなに器が小さいんだろう。
娘にイライラし、イライラしている自分を責める。そして消耗する。その繰り返しだった。
 
いやだいやだと言えるようになった娘は、欲しいものを「ほしい」ということも覚えた。
お祭りに行く。
わたあめに当てくじ、焼きそばにお好み焼き。色とりどりの屋台の中、お面に吸い寄せられていく。
目を輝かせて「ほしいの」「ちょうだい」という娘を見ていたら、自分がまだ小さかった頃に行った夏祭りを思い出した。
わたしは、記憶に残っている範囲でだけれど、お祭りでお面を買ってもらったことがない。あるとき母親におねだりして「ダメダメ。そんなの買わないわよ」「どうせすぐ飽きるんだからもったいないでしょ!」と母親からそんな風に言われて、いつしかおねだりすることも少なくなっていった。
お祭りで見るいろんなキャラクターのお面はとても魅力的に見えた。でもおねだりしてもどうせ買ってもらえないんでしょ、と悟ったわたしは、おねだりすること自体を放棄してしまった。そんなに欲しいわけじゃないし。どうせすぐあきるし。そう自分を納得させた。
そうこうしているうちに自分のおこづかいで買える年齢になった。でもその頃には、もうお面をつけるにはちょっと大人過ぎるような気がした。そこまで欲しいわけじゃないし。お面におこづかい使うのもったいないし。
そうやってわたしは親になって、娘とお祭りに行く。娘がお面を欲しいと言う。
 
お面っていくらするんだろう?
出店のお姉さんに聞いてみる。
「900円です!」
元気なお姉さんが答えてくれる。900円。これが……900円。
 
「もったいない」と言った母の気持ちもわからなくもないなと思った。これに900円を使うならもっとほかのものに使った方が良いじゃないのと言いたくなる気持ちも。
でも。
お面が欲しいという娘の気持ちも、わかる、と思った。それはまさに幼かった頃に封印したわたし自身の気持ちだったからだ。
どうせ買ってもらえない、と思うことで、なにかを欲しいと思う気持ちにどんどん蓋をしてしまった自分。なにかを欲しいと思う気持ちに蓋をした結果、自分がなにが好きなのかよく分からなくなってしまった自分。そんな自分のことを思い返すと、娘には自分の好きなことや好きなモノを大切にしていってもらいたいと思った。
買ってあげよう。
そう決めて、娘にどれが良いかきいた。あれもこれもといっていたけれど、結局ドキンちゃんのお面に決めた。1000円札をお姉さんに渡して、ドキンちゃんと100円玉を受け取る。人生初のお面に、わたしまでワクワクしてくる。
早速娘のあたまにドキンちゃんのお面をつける。
ゴムがいやなのか、すぐに払いのける娘。
えっ。
せっかく買ったのだから付けて欲しいわたしと、いやがる娘の押し問答。いやいやいやいや、ありえないから。900円だよ? 買ったばっかりだよ? 付けないとかありえないから。そう思うわたしの神経を逆なでするように、「いらないの」という娘。
お面ひとつで自分の過去まで遡ってしんみりしてしまったわたしのこの気持ちはどこに持っていけば良いんだろう。この理不尽な仕打ちはいったい何なんだろう。
つくづく期待に応えてくれない娘を、わたしは持て余していた。
 
食べたくないときは「いらない」「食べない」。
もっと欲しいときは「ほしいの」「ちょうだい」。
着たくない洋服は「いやだ」「きないの」。
お風呂も入りたくない時は「いやだ」「おふろはいないの」。
 
ひとの目を気にしない。
これを言ったら相手にどう思われるだろうとか、お母さんがせっかく作ってくれたんだからこのかぼちゃは食べなくちゃとか、せっかく900円も払って買ってくれたんだからドキンちゃん付けなくちゃとかいうことも考えず、自分が思ったことをただただ言う。かぼちゃを食べなかったらお母さんに怒られるとか、嫌われるとか、ドキンちゃん付けなかったら申し訳ないとかそんなの一切なく、「いやだ」と言う。「いらない」と言う。
 
すごいなと思った。
このひとすごいな。心底そう思った。
 
わたしなら出来ない。
自分のために誰かが作ってくれたごはんを前にして、いりません、食べたくありませんと言う自分を想像出来なかった。たとえちょっとニガテなものであったとしても、おそらくあまり噛まずに飲み込んだりすると思う。美味しかったです、ごちそうさまでしたって言うと思う。だってそれが礼儀でしょ? マナーでしょ? だから娘もわたしが作ったごはんを食べるべきでしょう? そう思った。
けれどもそう思ったとき、なんだか窮屈な感じがした。
ひとの目を気にせず、いらない、食べない、と言う娘は自由だと思った。うらやましいな。そう思っている自分がいた。
 
そうか。
わたしは本当はうらやましかったんだ。
相手の期待なんて物ともせず、そのときの自分の正直な気持ちをはっきりと口にする娘のことが、本当はうらやましかった。
 
わたしだって本当は、嫌いなものは食べたくない。そのときの気分で食べたいものもかわるし、おかわりしてみたら意外とお腹がいっぱいでもういらないなと思うことだって正直ある。
わたしだって本当はひとの目なんて気にしないで、思ったことたれながしたいよ。
 
でも、そんなことをしたらダメだと思っていた。
大人なんだから。
わたしのために作ってくれたんだから。
残したらもったいない。作ってくれたひとに申し訳ない。
そんな風にいろいろ考えているうちに、自分が何が好きなのか、何が嫌いなのかもよくわからなくなってしまった。そうやって自分の好きなもの嫌いなものをあいまいにすることで、どんどん自分の輪郭はあいまいになっていった。
 
本当は、いやなものを嫌だと言うことで自分が相手からどう思われるかが怖いのだ。相手の期待に応えないことで嫌われるのが怖くて仕方ない。だから相手はどういうことを期待しているのかを先回りして、それに応えようと必死なんだ。自分の輪郭をあいまいにすることで、相手の望む形にいつでも変えられるように。自分の思っていることは隠して相手がどう思っているかを先に察知出来るように。
 
わたしが娘に腹が立って仕方がなかったのは、本当はやってみたいけれど自分には出来ないことを、目の前であっさりやってのける娘をみて、うらやましくて仕方がなかったからだった。
娘はわたしの地雷ばかり踏む。やることなすこと腹が立つ。そう思っていたけれど、本当はそうじゃなかった。
娘の言葉は、わたしの本当はやりたかったこと、本当はありたかった自分に気づかせてくれるものだった。まるで宝探しの地図のように、娘にイライラする自分に気づいたら、そこに自分のどんな望みが隠されているんだろうかと考えるようになった。わたしは本当はどうしたいんだろう? わたしは何がうらやましいんだろう? わたしは何を我慢しているんだろう? わたしは本当は何を言いたいんだろう? そんな風に自分に問うようになった。
 
だからといって、傍若無人な娘の態度にイライラしないようになったかと言うとそんなこともなく、今でもイライラすることばかりだ。いやだいやだと叫ばれて、「うるさーい!」と叫び返す毎日だ。子ども相手に何本気で怒ってるのと言われても、わたしは子ども相手でも本気で腹が立ってしまう短気な人間なのだ。この気性の荒さはもう隠しようがない。でも、「わー、すごいイライラしてるなわたし」と気づけるだけで、「イライラしてるってことは何か隠れてるんだろうなー」と思えるだけで、少し客観的に自分を見られる。少し冷静になれる。そんな気がしている。
 
娘のように自由になりたい。
もしわたしがそう願うのだとしたら、わたしは娘の自由も許さなければならないのだろうか。きっとそういうことだよなーと思うと、そんなこと出来るのかなとまだ自信が持てずにいる。
これから続いていく娘との時間の中で、自分のことも、娘のことも、そして夫やまわりのひとたちのことも、自由でいて良いのだと心から思えるようになれたら。それってすごく素敵なことかもしれない。
 
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