プロフェッショナル・ゼミ

モラハラ彼氏も体調不良も「まだ大丈夫」なんかじゃなかった《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:中村 英里(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「さいきん胃の調子が悪くて……」
「ここのところ、毎日頭痛がする……肩こりのせいかな」
 
ある日のブログに書いてあった言葉だ。
 
私は五年ほど、ブログを書いている。
ごく個人的な、誰かの役にたつわけでもない内容なので、当然人気ブログでもなんでもないのだが、自分のライフログを書き留めるのがただ好きで、細々と書き続けている。
 
たまに、過去のブログを見返すことがあるのだが、仕事に関する日記に、こんな言葉がたまに混ざってくる。
 
一年がかりのプロジェクトで、外部の協力会社と社内との板挟みでストレスを抱えていて、毎日帰りも遅くて疲れ果てていたとき。
 
期日がどんどんせまる中、何度提案しても企画が通らなくて、上司に毎日のようにダメ出しをくらっていたとき。
 
などなど……具体例はいくらでも挙げられるが、まぁざっくり言うとストレスを抱えていたときに、よく体の不調も起こっていたのだ。
 
ストレスがたまっていることには、薄々気づいてはいた。
だが、我慢できないほどではなかったし、忙しさが落ち着けばまた体調は戻る。
「きっとみんな、こんなものだよね」と思っていた。
 
去年、これまでにない忙しい環境で、体調を本格的に崩して、休職した。
 
そのとき感じた体調不良は、これまで度々起こっていた不調の集大成のような、すべての不調の重症度がアップしたものが、固めてふりかかってきた感じだった。
 
ずっと予兆はあったけど、「まだ大丈夫、まだ大丈夫……」と思っていた。
 
しかし、崖の下にギリギリ落ちないくらいの際のところで、一歩よろければ落ちる場所にいることにまったく気づかずに、スタスタ歩いていただけだった。
 
先日、
「まわりのフリーランスは、体調をくずしたのがきっかけでフリーになった、という人も多い。ということは、私はまだ大丈夫、と思ってギリギリのところで仕事を続けている人は多いのでは」
という内容の記事をアップしたところ、
 
「わかる! 自分ではストレスないしまだがんばれる、と思ってしまうんですよね」
というコメントをいただいた。
 
自分がそうなるまでは、ストレスで体調を崩す=甘え、なんて気持ちが、正直あった。
 
ストレスで体のバランスを崩した会社の人が、体調が悪いので、午前半休をいただきます、なんていうのが続いたとき、本当かな? とか、実はサボりたいだけだったりして? なんて、うがった視線を向けてさえいた。
 
でも、実際大変してみて、そういう問題ではないことを思い知った。
 
もともと、ゴリゴリな体育会系の営業出身ということもあり、ストレスには強いほうだという自負があった。
 
だから、まさか自分がストレスで体調を崩すことになろうとは、まったく思っていなかったのだ。
 
体調を崩していた人に向けていた心ない考えは、ブーメランのようにそのまま自分自身に突き刺さってきた。
 
甘えているだけだとか、サボりたいんじゃないかとか、自分も周りにそう思われているのかも?
あぁ、私は何もわかっていなかった……と、自分の心ない考えを、深く反省した。
 
いま大丈夫な人は、たまたま大丈夫なだけで、何かひとつきっかけがあれば、よろけて崖から足をすべらせる可能性だって、あるんじゃないだろうか。
 
自分はまだ大丈夫。
だって、朝普通に起きて、会社に行けるもの。
熱がさがらなくても、咳がとまらなくても、薬を飲めば会社に行ける。
肩が重いけど、疲れがたまっているだけ。
仕事が落ち着いたら、休めばよくなる。
 
はたから見たら、明らかに「それまずいよ!」というのがわかるような状態でも、いざ自分がその状態になると、気づかないものなのだ。
 
そこでふと、昔付き合ったモラハラな元彼のことを思い出した。
 
およそ10年前。20代前半のころに付き合った人だった。
付き合いはじめは優しかったのだが、一緒に住むようになって、だんだんと見えなかった部分が明らかになっていった。
 
お互い仕事をしていたが、彼の帰りの方が遅かったこともあり、私が毎日の食事の担当だった。
 
ある日、塩の分量を間違えてしまい、しょっぱいオムレツをつくってしまったことがあった。
 
作り直すほどの時間はない。
しょっぱいと言っても、食べられないほどでもない。
まぁ、出す前にひとこと、ちょっとしょっぱいよ、と伝えればいいか……。
 
そう思っていたが、しばらくして彼が帰ってきたとき、そのことをすっかり忘れて、普通にオムレツをテーブルに出した。
 
一口食べた瞬間「うわ! しょっぱい!!」と彼が目をむいた。
 
やば、忘れてた……と思いつつ、「ごめんね、味付け失敗しちゃって」と言いかけたら、彼がお皿を持って立ち上がり、キッチンのゴミ箱へ向かった。
 
そして、声をかける間もなく、バサバサっとゴミ箱に料理を捨てた。
 
一瞬何が起きたのがわからず、固まっていたら「あんなもん食えたもんじゃねーよ」とかなんとかブツブツ言いながら、ほかのおかずで食事を再開した。
 
そんなことをされたことがなかったのであっけにとられたのと、怒るよりも彼のことが好きだったので悲しい気持ちのほうが勝ってしまい、何も言えなかった。
 
そのほかにも、何か失敗をしたときに「使えねぇな」と舌打ちされたり、イライラしたときに物に当たったりと、付き合い始めには見えなかった部分も段々あらわになっていった。
 
しかし、いま思うと自分でも疑問なのだが、そのときは「自分もよくなかったしな」と思ったり、「感情を隠せない正直な人なんだろう」となどと思っていた。
 
とは言え、やはりそんな仕打ちを受け続けていれば、こちらだってストレスがたまる。
 
そこで、久しぶりに会った女友達に「実はいまの彼がこんな様子で」と一部始終を話したところ、「それモラハラでしょ?! 今すぐ別れたほうがいい!!!」と友達が激怒した。
 
「いや、まぁ普段は優しいし、物には当たるけど、直接殴られたりはしてないしね……」なんて言ったら、「物にも人にも当たらない男なんて、くさるほどいるから!」とピシャリと言い切られた。
 
そこで、確かにそうだな、と、スッと頭が冷めて、これまでの彼の行動を思い返してみた。
 
あんなことを言われて傷ついたな、こんなことをされて嫌だった……。
 
マイナスの思い出ばかりが思い出された。
楽しいことだって、たしかにあったはずなのに、ひとつも思い出せない。
 
そこでやっと気づいて、彼と別れた。
 
そんなに恋愛にのめり込むタイプでもなかったし、その前もその先も、そういったモラハラ的な人と付き合うことはなかった。
 
だが、気づかなかったのだ。不思議なことに。
友達が同じ状況になっていたら、簡単に気づけるのに。
 
その彼と別れたしばらくあとに、友達(相談に乗ってくれたのとは別の子)が、どうやらDVもどきの男性と付き合っているらしい、ということが判明した。
 
暴力とまではいかなくても、たまに突き飛ばされたりする、きついことを言ってくることもある、などなど。
 
それ大丈夫なの? と心配して聞いてみたら「でも普段は優しいし、怪我するほどのことをされるわけじゃないから」と言われて、過去の自分の姿が重なった。
 
その子も、恋愛にのめり込むようなタイプでもない、普通の子だった。
でも、自分のことだと、やはり気づけないのだ。
 
DVなんて大げさな。自分がそんな男性を好きになって、付き合うわけない。
「だから、まだ大丈夫」
そう思ってしまっていたのだ、きっと。
 
過去にモラハラ彼氏と付き合っていたときの私が、そうだったように。
そして、仕事に忙殺されて体調を崩しかけていたときの私が、そう思っていたように。
 
自分のことは、自分が一番よくわかっているなんて、本当だろうか?
 
自分に厳しい人はとくに、「まだ大丈夫」のラインをあげすぎてしまっていないだろうか。
 
不調を認めることは、自分の甘さや弱さを認めることなんじゃないか。
そう思って、だましだまし、薬やマッサージで一時的にしのいでいることは、ないだろうか。
 
タイトルは忘れてしまったが、昔とある本に、こんなことが書いてあった。
 

友達が泊まりにきたときに、その部屋着を貸せますか。
貸せない、ともし思ったのなら、その部屋着は捨てましょう。
友達に貸せないようなものを、自分に着せるのは、自分を大切に扱っていないということです。

 
つまりは、こういうことなのだ。
大切な友達にするのと同じように、自分のことも大切に扱えばいい。
 
やるべきことがあふれる日々の中で、譲れないものがたくさんあるのは、幸せなことなんだろう。
 
そうしてついつい、自分で自分のことを追い詰めてしまう。
自分のケアを、おろそかにしてしまう。
 
でも、もし大切な友達が、同じような状況になっていたとしたら、もっと自分のことを大切にしてほしいと思うだろう。
 
だって、友達が無理をしすぎて倒れてしまったら、めちゃくちゃ悲しい。
やりたいことに向かって突き進むのは素晴らしいことだけど、それで潰れてしまうのは嫌だ。
もし何も成し遂げられなかったとしても、それでボロボロになるくらいなら、元気にニコニコしてくれていたほうが嬉しい。
 
自分のことは、自分では意外とわからないものだ。
 
だから、すこしでも「あれ、しんどいかも」と思ったら、「でも、まだ大丈夫」と思う前に、友達に同じ状況をあてはめてみて、考えてみたらいいのかもしれない。
 
私はその子に、「もっとがんばれるはず」と言うだろうか。
「休んだら迷惑がかかるよ」なんて、言えるだろうか。
 
「ちょっと休んだら? 元気になってからまたがんばったほうが、仕事もうまくいくんじゃない?」
 
そう言うだろうな、ともし思うのなら、自分もそうすればいい。
 
「自分」は、この先ずっと、一番近くで人生を一緒に歩んでいく、パートナーなのだ。
 
だからこそ、後回しにしないで、大切にしていきたい。
 
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