プロフェッショナル・ゼミ

バカなわたしが決めたことと、その後遺症について。《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:ほしの(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「胃ガン……。でしたら消化器内科ですが」
「じゃあそれでお願いします」と、大学病院の受付のお姉さんに健康保険証を手渡した。ここ数日、とにかく胃の具合が悪かった。薬を飲んでも全く改善の兆しがない。
わたしの家族はいわゆるガン家系だ。父方の祖母は存命だが乳がんを患った。
祖父を大腸ガン、母方の祖母は胃がんで亡くしている。
それにしてもわたしはまだ24歳、こういう場合ガンの進行は早いんだよなぁと混み合った診察室でうつむきながら名前を呼ばれるのを待った。
 
随分と長い間待ったわりに、診察はあっという間に終わろうとしていた。
「うーん」
若い医師はそう言いながらカルテに何かをサクサクっと記入した。
「産婦人科に行っていただけますかね」
「え?」
連日続く吐き気に胃薬が効かなかった理由が判明した。わたしは胃ガンではなかった。
 
「妊娠していますね」
産婦人科でのこういうシーンはドラマでよく見ていたが、その時のわたしはどんな敏腕女優でも容易にはできないような顔をしていたと思う。
胃がんで死ぬかもしれないと思っていたので、そうではないことを知りホッとした。と同時に妊娠していることに気がつかず、胃がんだと思い込んで消化器内科を受診したことを思うと恥ずかしかった。いや、というか、妊娠って! 
「どうしたらいいでしょうか」
わたしの口からとっさに出た言葉は、医師も予想していなかったと思われる。
「どうしたら、というと?」
そう聞き返されて、わたしはなにを言いたいのかわからなくなってしまった。
「ご結婚されてますよね」
医師にそう確認された。わたしは結婚していた。問診票にも既婚に丸印をつけた。そうか。子供ができて困る状況の人というのは少なからずいて、わたしもそのひとりとして対応されているのだなと思った。ぼんやりしながら、次に病院に来るべきタイミングなどの説明を受けた。この病院ではいわゆる赤ちゃんをおろすという手術はしていないことも聞かされた。そこまで具体的なことは考えていなかったけれど、そういう選択もあるのだなぁと思った。結婚してまだ半年しか経っていない。夫はこの知らせを聞いたらなんていうだろう。
 
「そうなんだー」
と夫はニコニコというか、ニヤニヤしながらそう言った。子供ができたという知らせは彼にとって悪いものではなかったらしい。かといって、バンザイするようなテンションでもなく、わたしが母親になるというニュースを聞いてオモシロがっているように見えた。君が母親になるなんてね、と言わんばかりの顔をしていた。
おい、お前が父親だぞ。
 
わたし自身は正直、この予期せぬ妊娠に戸惑っていた。当時、シナリオライターになるべく勉強をしていて、やっとプロになれるきっかけと人脈を手に入れた矢先だったからだ。今ここでこのひどいつわりを受け入れ、出産することを優先したら、シナリオライターとしてのプロの道は振り出しに戻ってしまう。売れっ子のライターなら産休もありだけど、駆け出しで勉強をさせてもらおうという身で、産休なんてありえない。
 
そしてわたしは何より、子供が嫌いだった。特に赤ちゃんが嫌いだった。赤ちゃんをみて可愛いと思ったことがなかったのだ。ベロベロとヨダレを垂らし、ぎゃーぎゃーと泣き叫ぶ存在のどこが可愛いのか理解ができない。街角で犬を見かけてあまりの可愛さに撫で回してしまうことはあるけれど、赤ちゃんを見て撫で回したり抱っこしたりしたくはならない。
もちろんこんなことを言うと男ウケは悪いので、デートの時は赤ちゃんをみて「かわいいねー」なんて言ったりしていたが、それは全部嘘だった。(元彼のみなさんごめんなさい)
 
自分の夢が絶たれる。そもそも赤ちゃんが嫌い。
この2点で産まないという選択肢が出てくるのは必然だった。その一方でお腹の中に命があるという不思議にこころを動かされている自分もいた。
 
「どうしたらいいだろう」
医師にそう言ったように、夫にも同じことを言った。
「僕は産んでくれたらいいと思うけど、最後は自分で決めたらいいよ」
わたしに対しての答えとしては、多分正しい。
ここで、
「俺の子を絶対に産んでくれよ!」と言われたら、あまのじゃくなので、
「それはわたしが決めることですから」と突っぱねてしまいかねない。
自分で決めること。
そう言われて、納得しながらも悩みは続いた。
そんなわたしの事情を知ってか知らずか、つわりのひどさは尋常ではなかった。とにかく毎日吐きまくった。胃に優しいものをと思って、最初の頃はすりおろしリンゴなんかを食べていたが、そんな努力なんてお構い無しに吐きたくなる。立ち上がればめまいがするので、ベッドに横になるのだが、そこは太平洋沖かと思うほどに波を打つ。船に乗っているかのような目の回る感覚に襲われた。
つわりの経験のない方は、ひどい二日酔いが寝ても覚めても朝から晩までずーーーーーっと続くと考えていただければいいと思う。
この状態から逃れられるなら、産まないというのもアリかもしれない。つわりが出産の直前まで続く人もいるなんて恐ろしい話も聞いてしまった。10ヶ月これが続いたら死んでしまう。それくらいの気持ち悪さだった。
 
「どうしたらいいだろう」
久しぶりに電話をかけ、母親にも同じ問いかけをした。母とは仲が悪いわけではないけれど、特別仲良し親子という関係でもなかった。それでもこういう時はやはり父ではなく母の声が聞きたかった。母はわたしの子供嫌いも知っている。
「そりゃあなたが決めることだけど、でもせっかく授かったのだから……」
授かったという表現も、わたしのこころに重くのしかかった。子供は神様からの授かりもの。特別な信仰をもっているわけではないけれど、やはり命の尊さを思わないわけにはいかない。わたしを産んでくれた人からのアドバイス。もし母がわたしを産んでくれなかったら、わたしはここにいない。当たり前の不思議を思った。
 
「心配かもしれないけれど、そこらじゅうのおばさんたちがやってることなんだから、きっと大丈夫よ」
そう言われて、はじめて自分が子供を産んで育てることを不安に思っているのだなと感じた。出産も、子育ても、わたしはきっと怖かったのだと思う。そこらへんのお母さんたちみんなができていること。それは多分あなたにもできることだ、という励ましは、わたしを勇気付けてくれた。
 
最後まで頭を離れなかったのはシナリオライターの夢を諦めることだった。赤子を抱いて、夜中の打ち合わせに駆けつけるなんてできっこない。けれどそれを断ったら、わたし以外のライターに声がかかるのは必然だ。
テレビも映画も大好きで、いつか同じように誰かに素晴らしいと思ってもらえる作品を届けたいと願っていた。自分だけにしかできない表現を探したい。ずっとそう思っていた。
この時、「自分だけにしかできないこと」を考えてひとつの思いが浮かんだ。わたしのお腹の中に宿った命を、この世界に生み出すこともまた、わたしにしかできないことじゃないか。とたんに、わたしのお腹の中の生命は、どんなシナリオを書くより貴重で、出産がクリエイティブな作業に思えた。
シナリオは子供を産んで、母親を体験してからでも書けるじゃないか。むしろ人生経験を積んでよりよいものが書けるかもしれない。
それに子供が嫌いでも、産めばかわいくなるという話もよく聞く。
よし、この子を産もう。それがわたしの最初の大きなクリエイティブだ。
 
若いというのはバカだなぁとつくづく思う。もし産んでから可愛いと思えなかったらどうするつもりなのだろう。かわいくないからやっぱりお腹に帰ってもらうなんてことはできないのに。
出産がクリエイティブだなんて。それからの子育てこそ大切なのだ。しかもそこにはじぶんの子どもであっても、別のひとりの人間の人生なんだぞ。
今のわたしなら、たぶんそうじぶんに突っ込むだろう。
 
つわりは結局半年くらいまで強く続いてしまい、妊娠中期のころは吐きすぎて喉から血が出たりする辛い日々ではあったものの、出産予定日から数日遅れて生まれてきたのは元気な男の子だった。
自然分娩でわたしの意識もしっかりしていたため、出産後の血まみれエイリアンのような我が子を見せられた時は、触っていいものかどうか一瞬焦ったけれど、それはそんな姿をしていても愛おしさのかたまりだった。
どういう種類かわからない涙が、ドバッとあふれ出た。
じぶんの子供は可愛いというのは本当だった。
産んでよかった。この子に会えてよかった。
 
その気持ちは、子育て中、特に反抗期には「バカやろうっ!」と、瞬間的に揺らいだりもするのだが、基本的には20年経った今でも変わらない。
そして、出産と育児は思わぬ後遺症を残していた。
今では、街に出ると、赤ちゃんはもちろんのこと、よその子供たちがかわいく見えるのだ。犬の足裏の肉球をつんつんしたくなるように、赤ちゃんのほっぺをつんつんしたくなってしまうことがある。世界に愛しいと思えるものが増えたということは、幸せが増えたということかもしれない。
 
一方、我が息子は、今や大学生である。台風が近づいてきているというのに今夜は飲み会らしい。勉強しないと、就活しないと大変だぞと母としてやきもきしているのに、本人はおかまいなしに遊びまわっている。
若いってバカだよなぁとつくづく思う。でもバカだからできることもあるのだ。
バカは時にチカラとなる。
「これでいいのだ」
たぶん……。心配になる。これもまた出産と育児の後遺症かもしれない。
 
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