メディアグランプリ

熱いグラウンドに残してきた青春


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記事:福井裕香(ライティング・ゼミ朝コース)
 
「あんたたちの監督だったM先生、新聞に載ってるよ」
 
ある日、そう言って実家の母がたくさんの差し入れの荷物と共に、一枚の新聞の切り抜きを送ってくれた。
 
「T中学校ソフトボール部の再結成に情熱を傾ける顧問」
 
そんな見出しだった。
 
熱く乾いた砂。滝のように流れる汗。枯れるほど上げた掛け声。監督の怒号。
もうあれから20年以上経つというのに、私の頭の中に当時の景色が鮮やかに蘇ってきた。
私の青春は中学校のグラウンドにあった。
 
入学した地元の中学校は、基本的に全員、部活に入らなければならなかった。小学校からの友人たちとは「バレー部に入学しよっか」と相談していた。でも、新入生に向けた部活動説明会で、その考えはガラリと変わってしまった。
 
ソフトボール部の先輩が見せた、華麗なスライディング。「フットファースト」という足からの滑り込みで、滑ったと同時にスッと立ち上がった。テレビの野球中継で見たことはいくらでもあったが、それを中学生の女子ができることが衝撃だった。
 
3年生10人、2年生4人に対し、すっかりスライディングに魅せられてしまった1年生15人が入部した。
 
それまで、バットどころかボールを握ったこともなかった。野球とほぼ一緒、とはいえ、そもそもの野球の知識はマンガの「タッチ」で覚えたものしかなかった。
3年生が引退する夏までは、ひたすらボール拾い・キャッチボール・素振り・声出し。それを地味でつらい「ライン作業」と感じてしまった数人は、夏を待たずに辞めてしまった。
 
私は絶対に辞めないと決めていた。
 
「3年生が引退した後が本番だよ。2年生は4人だから、残りの5枠を狙いなさい」
 
母の助言の通り、スタッフのようにただのライン作業をしている時間にも、先輩たちのプレーを見て、監督の檄を聞いた。そして何より、1年生の誰よりも目立つべく、人一倍の声を張り上げた。バットを振る手の豆が潰れ、肌は真っ黒に日に焼け、スライディングの練習でジャージの膝にはいくつも穴が空いた。それでも、投げる球の距離は1mずつ長くなり、バッティングが外野まで届くようになっていった。つらさよりも、そんな成長を実感できることがうれしい毎日だった。
 
その夏、県大会まで進めずに3年生が引退した後、秋の大会に向けて本格的なポジション争いが始まった。
私は決して肩が強くなかったし、強打者でもなかった。だから、ゴールへ最短距離で到達するために、監督が指摘してくれるところを意識した。
 
「もっと全身をしなやかに伸ばして捕れ」「バントをもっと磨け」
 
その結果、秋の大会で1番打者・ファーストというポジションを勝ち取った。
デビュー戦、1回表の攻撃。人生で初めての試合で監督から出たサインは、誰も予想しない「先頭打者セーフティバント」だった。信じられなくて、確認しに行ったら「サインの意味がないだろうが!」と怒られた。
 
1年生だった1996年は、アトランタ五輪でソフトボールが正式種目として採用された年でもある。監督の本拠地・理科室のテレビで、オリンピック選手の活躍を目の当たりにした。日本は惜しくも4位だったが、私は選手の姿を目に焼き付け、自分もあんな活躍をしたい、そう思ってさらに練習に打ち込んだ。
 
しかし、2年目の夏、同級生にレギュラーを奪われてしまった。
筋肉がまだ十分についていない成長期に、過度の負担をかけた結果、慢性的な腰痛が発症してしまったのだ。日常生活にも支障が出始めていた。
 
スコアラーをしながら、2大会守ってきたポジションに自分がいない光景を歯がゆく見つめた。自分がいなくても、順当に予選を勝ち上がっていくチームが更に悔しかった。チームが県大会1戦目で負けた時、皆が涙を流す中で、私は泣けなかった。
 
ところが3年生の引退後、私に渡されたのは「2番打者・キャッチャー」というポジションだった。
 
「夏の大会の間、ただ俺の隣にいたわけじゃないだろう?」
 
監督の隣でスコアラーとして過ごした私は、常に監督のサイン、指示を見聞きし、試合展開を「外側から」見ることができるようになっていた。
冷静に試合を見て進めていくというキャッチャーに必要な要素を、夏の大会の間じゅう、監督から叩き込まれていたのだ。
 
レギュラーになれなくて悔し涙を流す私に、スコアラーとしての「15番」を渡した時の監督の表情が憎らしい。してやられた。
 
そんな監督の期待に応え、私たちの学年がメインとなってからは常勝チームになった。県大会での一回戦負けは続いていたけれど、最後の夏の大会では絶対に1勝する、チームメイトと声を掛け合い、必死に練習した。
 
県大会にはある投手がいた。中学生の中で一人飛び抜けて背が高い。その規格外の体格から繰り出されるウィンドミルは、まるでムチのようにしなやかでありながら力強く、素早く相手を仕留める。体感速度は時速100kmを超えていた。初めて見たときに「超人」とはこのことだ、と思った。最後の夏の大会では、1回勝てば対戦できる対戦表だった。
 
しかし、対戦の前に私たちはまた敗れてしまった。
結果は「0ー1」。
あと一歩及ばなかった現実に号泣しながら、戦い抜いた3年間の青春を思った。
 
 
2020年・東京五輪。3大会ぶりにソフトボールが正式種目として復活する。
私はきっと、理科室で見た1年生の時のように、テレビに釘付けになって見るだろう。
オリンピックという素晴らしい舞台で躍動する、今なお、選手として活躍を続ける「超人」の、あのムチのような投球が見られると思うと、今から鳥肌が立つ思いだ。
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2018-08-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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