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プロフェッショナル・ゼミ

藍色の世界から教わったこと《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:一宮ルミ(プロフェッショナル・ゼミ)
 
一歩、会場に足を踏み入れて、息を飲んだ。
薄暗く、しんと静まり返った会場の真ん中には、ドーム状に展示された数百枚の藍染の布、私が会場に一歩を踏み入れると、布たちがふわっと揺らめく。
こんな藍染の展示を見たことがない。
薄暗い会場には、数人の観客がいたが、皆、静かなため息をつきながら、展示に見とれている。静まり返っていると思っていたが、耳をすますと、不思議な音色の音がする。静かな空間で、水滴が、水たまりにぽとんと落ちるような、宇宙の響のような不思議な音楽。それは、この空間をより幻想的な雰囲気にしていた。
こんなすごいものを作るなんて。やっぱりすごい人だ。
 
「新しい事業は、今までにない藍染の展示になりますよ」
同僚のIさんが言った。
今までにない展示。藍染の? 一体どんな?
藍染の展示といって私が思い出すのは、過去の藍染の展示イベントだ。煌々と明かりのついた広い会場に、藍染の洋服やストール、ブローチなんかの作品が、ショーケースの中で行儀よく展示されている、まるで小学校か中学校の文化祭のような展示だ。申し訳ないが面白い展示とは言い難いものだった。
 
徳島で藍染といえば、「阿波藍」で染めたものをいう。「阿波藍」は徳島の伝統的な文化。「阿波藍」とはタデ科のタデアイで作った藍染の染料である「すくも」のことを言う。江戸時代に藍の染料の需要が増えたことから、徳島藩はこの「すくも」の生産に力を入れたそうだ。徳島を東西に流れる吉野川が氾濫を繰り返したおかげで藍を栽培するのに適した肥沃な土地を生み、徳島のとても品質のよい染料の「すくも」が生産されたそうだ。当時の徳島藩は吉野川の流域で藍を作ることを奨励した。そのため、吉野川に堤防を造らなかったほどだ。おかげで、徳島藩はとても豊かになり、文化や芸能も盛んになっていった。阿波おどりや人形浄瑠璃が発展したのも、阿波藍のおかげだという。
こんな話も、もう10年近く阿波藍の文化について担当しているIさんから教わった。
阿波藍にとても詳しいIさんが、新たな阿波藍の文化を紹介する事業をするという。どんな事業なのか、ワクワクしていた。
 
Iさんの手には、約35センチ角の正方形の薄くて白い布と、茶色いダンボールでできた箱があった。
「参加者には、この白い布と箱を送るんです。そして徳島県内の藍染の工房で、この布を染めてもらいます」
薄くて白い布は、木綿か何かの天然の素材でできているようだった。そして、白い布と箱は大体同じ大きさだった。箱は賞状や額縁が入るような形の箱で、多分、この白い布をこの箱に入れるんだろうなということは、なんとなくわかった。予想通り、Iさんは言った。
「染めた布を、この箱に入れます。ダンボール箱には、こんな風に穴が空いていて、入れた布がこの穴から、ちょっとだけ見えるようになるでしょ」
ダンボール箱のちょうど真ん中には、直径が10センチほどの丸い穴が空いていた。
Iさんは、すでに阿波藍で染めてある藍色の布を持って来て、箱に入れて見せてくれた。箱の真ん中の穴から藍色の布がのぞいている。
「これをどうするんですか?」
Iさんは続ける。
「このまま、参加者のお家で、数ヶ月間、箱を日光に当ててもらうんです」
「日に当てちゃったら、色が落ちちゃうのでは?」
素朴な疑問をぶつけた。
「それがいいんです。自然の素材の阿波藍で染めた布の、日や空気にさらされた真ん中のところだけ変化している、その状態がいいんです。それを展示するんです」
よく分かったような、分からないような。
でも、今までに見て来た藍染の展示とは違っているのはわかった。なんだか面白そうだ。
さっそく事業の参加者をホームページ、フェイスブックなどのSNSで募集した。新聞にも記事を載せてもらった。すると、あっという間に400人近くの応募があった。県外の方はもちろん、海外からも多くの申し込みが多く寄せられていると聞いて驚いた。
「なんで海外の人が知ってるんですか?」
不思議に思って聞いてみると、
「この事業の監修をしてくれているのが、徳島ですくもの作り方や藍染を学んだアメリカ人アーティストの方なんです。その人のSNSを通じで世界中から申し込みがあるんです」
なるほど。日本の小さな都市で行われるイベントに世界中から申し込みがくるようになるとは、インターネットのある時代はすごい。
Iさんのチームのメンバーは、毎日毎日、白い布と箱を申込者に発送していた。申し込みはインターネットであっという間だけれど、発送はアナログの手作業。何人もが何日もかけて、450枚近い布と箱を発送したと聞いた。
「海外の人が多くて、思ったより送料がかかっちゃいました」
と、嬉しい悲鳴をあげながら。
 
「あ、これ、うちの藍染の箱じゃないですか?」
それから数週間ほどして、インスタグラムに、藍染の布が入ったあの箱がちらほらとアップされているのを見つけた。
出窓に立てかけられている箱、車の後部座席に置かれた箱、海外であろう美しい庭を見つめるように窓に立てかけられた箱、庭の椅子の上に置かれた箱。
藍色の染められた布は、茶色のなんの変哲も無い無機質な箱に入れられ、丸い窓から姿をみせている。どれもその姿は同じだけれど、背景が全部違っていた。
モデルは同じで、撮影場所だけを無限に変えているような感じ。写真をみつめていると、藍染の箱と一緒に自分が世界を旅しているような錯覚に陥った。
私は、新しい写真が日本か世界のどこかからアップされていないかと、毎日のようにインスタグラムを開いてチェックした。写真は、1枚、また1枚と増えていた。
そして、少し後悔もした。
「一宮さんもやりませんか?」
Iさんは、誘ってくれていたのだけれど、申し込みが思った以上に多かったから、課の職員が参加して、一般の方ができないなんてことになれば申し訳ないし、クレームの元になると思い辞退した。やっぱり私もこの事業に参加したかったな。
 
それから、5か月が過ぎた。
発送された布が、参加者のところから続々と送り返されてきた。
その数、約400枚。
Iさんのチームは、送り返されて来た布を、一枚一枚、誰が送り返して来たのかわかるように目印をつけ、展示に向けて準備を始めた。
 
「時間があったら、展示の準備、手伝わせてくださいね」
私はIさんにそう申し出ていた。でも、ちょうどその時、私の仕事の量はピークに達していて毎日、深夜まで残業続きだった。本当はどんなふうにこの布たちが展示されていくのかを、間近でみたかった。
でも残念ながら、そんな時間は1分たりとも見つからなかった。
「なかなか、面白い展示になってたぞ」
展示作業中のイベント会場に、陣中見舞いに行った課長が帰ってきて、意気揚々と語った。
「写真あるから、見るか?」
スマートフォンを取り出し写真を見せてくれたけど、写真が暗くてよくわからなかった。いいや、楽しみは後に取っておこう。
そして、2018年1月、いよいよ展示が公開された。
 
私は、週末が来るのを首を長くして待っていた。やっと土曜日が来て、会場に駆けつけた。
入り口に立った瞬間思った。
「こんなの、今までに見たことがない」
会場は間接照明で照らされていた。
会場の空調が切られ、真冬の会場は冷え冷えとしていた。その張り詰めた空気の中、会場の真ん中に、藍染の布がパネルを並べたように1枚1枚並べて釣られ、まるで、大きなドームのような形ができていた。
釣られた藍染の布は、その1枚1枚が、宙に浮いているようにも見えた。
会場の中へ一歩踏み出した。私が動くと風が生まれる。私の動きに合わせて、布がゆらめく。空調を切っているので、これは私の風が動かしてるのだとはっきりわかる。
 
会場に入ると、Iさんと目があった。
「一宮さん、おすすめのスポットがありますよ」
Iさんは、ドームの外側の床を指差した。
「ここで座って、布を見上げてください。気持ちいいですから」
私はIさんの言う通り、床にペタッと腰を下ろし体育座りをしてみた。
すると見えて来たのは、光と影だった。
照明に照らされた布は藍色をはっきりと浮かび上がらせているが、照明の当たっていない藍色の布は会場の薄暗さと同化し、影のようにも見える。一方で、照明に照らされた布は、床に影を落としている。どこまでが本物の布で、どこまでが影なのか区別がつかない。布が床まで広がっているのか、影が天井まで広がっているのかわからなくなる。
わからないことが、この空間の不思議さを生んでいる。
藍色のドームの中心は強烈な照明が当たっていた。ドームの中の床だけは、オレンジ色。影がなかった。その中に一人の車椅子の男性がいた。男性は照明を浴びて布を透かして浮かび上がって見える。舞台の上で一人孤独な演技をしている俳優のように見えた。
 
人が動くたび、布が揺れる。その自然な揺れはいつまでも見ていたい、心が落ち着くような揺れだ。
 
私は、立ち上がって藍色のドームの中へ入った。
照明がよく当たっているところから見ると、藍染の布は一枚一枚、色の濃さが違うことがわかる。同じものは一つとしてない。そして、Iさんがこだわった、光と空気による色の変化がはっきり見て取れた。ダンボールの箱に開いたあの穴の形くっきりに色が抜けて白くなっているものから、ぼんやりと輪郭がぼやけているもの、全然抜けていないもの。一つも同じものはなかった。一つ一つ全部違っている。それは、この布を手にした一人一人の人生と同じだ。誰一人同じ暮らしをしている人がいないように、その人が染める藍染も、その人と過ごすことで起こる布の変化も、どれもみんな違っている。離れてみればどれも同じに見えるのに、近づいて見ると全部違う。そしてどれもみんな美しい。面白い。
この布の中のどこかの1枚を、展示のために返しに来てくれた、ある方のことを思い出した。
「5か月間、一番日当たりのいいところに置いておいたんですよ。それなのに、ちっとも色が変わってなくて。本当にこんなのでいいんでしょうか? 失敗ですか? 展示してもらえませんか?」
と、応対したIさんに何度も聞いていた方がいた。
「大丈夫です。色が褪せなくてもいいんです。展示はちゃんとされますから、安心してください」
私は、その方の持って来た布を見た。うっすらと色が抜けかけていたが、確かにはっきりとはわからなかった。でも、それでも十分綺麗な藍染の布だった。
 
私は、もう一度、床に座ってぼんやり展示を眺めた。
後ろから聞こえる幻想的な音楽に、耳を傾けながら考えた。
 
私は、この1年、Iさんのように仕事ができるようになりたいと思っていた。
なんとかして、Iさんや課のみんなと同じような人間になりたくて、頑張ったけど、なれなくて、辛くて悔しくて、自分を責めていた。
でも私はIさんにはなれない。ここに展示されている布と同じように、私は私であって、別の人間にはなれない。Iさんのように、いつかこんなすごい事業をやってのけるような人間になりたいと憧れることができたとしても、彼と同じにはなれない。彼にはこれまで培って来た経験と知識と彼自身のひらめきがあって、私には私のやり方とできることがあるんだろう。
色が落ちなかったと心配されていた方と同じように、私も、周りの人と同じようにできてないとダメなのだと思い込んでいた。でもそんなことは必要じゃなかったのだ。私は私のできることを精一杯やればいいんだ。
ふと、ざわついていた自分の心の中が藍の青のような穏やかな気持ちになった。
 
私はすっと立ち上がって、Iさんに、
「ありがとう! いいもの見せてもらいました。これ本当にいい展示ですね」
と言って、会場を後にした。
 
自分を人と比べて辛くなった時、あの幻想的な空間を思い出す。
ああ、人はみんな違って当たり前。良いも悪いもないんだなと思い出す。
 
あの空間をもう一度みたいと思っていた。
先日、フェイスブックをみていたら、
「『藍のけしき』4K映像ができました」
というお知らせが掲載されていた。YouTubeにアップされた映像は、私が見たあの400枚の布のドームを美しく映し出していた。
 
***

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