プロフェッショナル・ゼミ

彼と別々にお風呂に入った日《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:牧 美帆(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「先輩、彼女とのデートで温泉に行くんすか? もしかして混浴すか?」
「いや、普通に男湯と女湯に分かれてるけど」
「えー、俺には理解できないっすわ。別々とか無理。なあ、ミホもそう思わん?」
 
 なじみの居酒屋で、彼は私の方をちらちらと見ながら話す。
 私も、合わせてうなずく。思わず顔が赤くなる。
 
 それを見て、先輩は「君らはわかってへんなぁ」と微笑ましそうに笑った。
 
 2005年。調理師をしている彼と付き合って半年くらい。
 
 付き合ってすぐ、一人暮らしをしていた私のワンルームマンションに彼が転がり込んできて、同棲生活を始めた。
 
 お互い給料は少ないけど、毎日いっしょにいるだけで楽しかった。
 彼は「ミホが死んだら俺も死ぬわ」とよく言っていた。
 狭いバスタブにぎゅうぎゅうになりながら一緒にお風呂に入り、その日の出来事を話し合うのが日課だった。
 わざわざ別々に分かれて、温泉に浸かるなんて、何が楽しいのだろうと本気で思ってた。
 
 先輩は、彼と同じアルバイト先だった人。彼がキッチンで、先輩がカウンター。
 ちょうどお店がオープンしたときのメンバーということもあり、結束が固かったそうだ。先輩はどちらかというと内向的な彼のことを、何かと気にかけてくれていた。
 先輩には、かれこれ5年くらい付き合っている彼女がいた。
 それくらい長く付き合ったら、もしかしたら温泉に行こうという気持ちにもなるのかもしれないなぁ。そもそもそんなに長く誰かと付き合ったことの無い私には、未知の世界だった。
 
 私達はその翌年に結婚した。
 調理師の彼は相変わらず給料は少なく、ほとんど仕事を休めず、新婚旅行も行くことができなかった。
 彼は土日も仕事で、私は土日休み。
 やることがないので、彼が実家から持ってきたゲームをして過ごす。
 それでも、朝早く彼がこの家を出て、そしてまた夜に帰ってくる。
 一緒に御飯を食べて、晩酌をして、一緒に眠る。それだけで楽しかった。
 
 子供が生まれる準備として、私達はワンルームマンションを離れ、新しい広い家を借りた。
 しかし、残念ながら、私達は子供に恵まれなかった。
 子供がいなくても、うまくやっていけると思っていた。
 でも、そこから、少しずつ関係がぎくしゃくとしてきた。
 いつの間にか、一緒にお風呂に入ることも、なくなってしまった。
 
 そして、急に彼の仕事が忙しくなった。
 人が一気に辞めて、現場の責任者を任されるようになった。
 人手が足りないと彼はいつも言っていた。
 朝から晩まで仕事、月に1日休めればいい方だった。
 
 始発で出かけ、終電までに仕事が終わらず、職場に泊まり込むことも増えていった。
 そして一緒にいる時間が減り、二人の会話もどんどん減っていった。
 
 2009年6月。
 昼休み。私は職場で壁に掛けられたカレンダーを眺めている。
 もうすぐ、私の誕生日だ。
 一昨年は、私がショウウインドーでほしいとつぶやいただけの鞄を、わざわざ買ってきてくれたっけ。
 しかし今年は、そもそも誕生日を覚えてくれているのかすら、怪しい。
 
 私は彼と仲直りしたかった。関係を修復したかった。
 旅行に行ったら、いつもと違う環境に身を置いたら、前と同じように……とまではいかないけど、少しは仲良くなれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた。
 
 夜、仕事から帰ってきた彼に話しかけた。
「お願いがあるんやけど」
「何?」
 彼は眠そうな顔をこちらに向ける。
「もうすぐ、私の誕生日やんね」
「……そうやな」
 少しの間。
「何かほしいのあるんか?」
「旅行に行きたいねん」
「旅行?」
 こいつは何を言ってるんだ? とでも言いたげな顔で彼は私を見下ろす。
「お前、俺が仕事休まれへんの、知ってるやろ?」
「でもさ、1日くらいなら、なんとかならへん? 例えば仕事終わってから直行して、泊まって、翌日少し観光してまわったりとかも、楽しいかなって思うんやけど」
「……そんな都合いいとこあるかなぁ。まあお前に任せるわ」
 
 私が提案したのは、「武田尾温泉」というところだった。
 武田尾温泉は、神戸や大阪から30分でいける観光地。
 当時私達が住んでいる場所からも近かった。
 
 車だけでなく、JRが通っているので電車で行けるのも魅力的だ。
 私達は車を所有する余裕もなく、そもそも私は免許すら持っておらず、電車で行けるというのは必須条件だった。
 
 6月はちょうど蛍の舞う時期で、蛍鑑賞つきのプランがあった。
 一緒に蛍を眺めたり、温泉に入るのは楽しそうだなと思った。
 
 また、武田尾には廃線跡という観光スポットがある。
 電気のない真っ暗なトンネルを歩くというスリルが味わえるハイキングコースだ。
 翌日はおしゃべりをしながら、一緒にそこを歩こうと考えていた。
 奮発して、部屋にお風呂のある、一番良い部屋を予約した。
 
 夕方、彼の職場の最寄り駅で待ち合わせて、一緒に武田尾駅へ向かった。
 武田尾駅から赤い吊橋を渡り、数分歩くと、木々に囲まれた、昔ながらの佇まいを残した旅館が現れた。100年近く続いている老舗だ。
 私は彼の手をぐいっと引いて、一緒に中に入った。
 
 部屋で鮎の塩焼きを一緒に食べ、それから蛍狩りのために外に出る。
  
 
 ふわふわと飛んできた蛍を手のひらで包み、「ほら」と私に見せる彼。思わず叫びそうな声を抑える私。その姿を見て彼は笑った。少しだけ、
 しかし蛍は彼の手の中で、光るのをやめてしまった。
「あーあ」彼が手を広げると、ふらふらと弱い光を放ちながら、また群れの中へ帰っていった。
「蛍、綺麗だね」
「でも、すぐに死んじゃうんだよなぁ」
「そうだね……」
 それから無言のまま、しばらく二人で蛍を眺めていた。
 
 蛍狩りのあとは、二人で、部屋風呂の湯船に浸かった。
 備え付けられたお風呂は、二人で入ってもまだ少し余裕があった。
 でも私は、二人でぎゅうぎゅうになりながら小さな湯船に入るのが幸せだった。
 
 翌日、朝ごはんを食べながら、彼が言った。
「やっぱりさ、お昼から仕事に行こうと思うねん」
「ハイキング、行きたかったのに……」
「……ごめんな」
 しばし、沈黙。
 
「あのさ」
 再び、彼が話を切り出す。
「せっかく温泉に来たんだからさ、部屋のお風呂もいいけど、大浴場の方も行ってみないか? まだチェックアウトまで、少し時間もあるし」
「……うん」
 私達は、部屋に戻り、それぞれお風呂の支度をした。
 おそらく彼の方が部屋に戻るのは早いだろうということで、彼が鍵を持つことにした。
「じゃあ、30分くらいかな」
「そうだね」
「じゃあ、またあとで」
 彼は男湯の黒いのれん、私は女湯の赤いのれんをくぐる。
 服を脱ぎ、脱衣場を抜ける。
 ガラガラと扉を開け、私は
「うわあ」
 と思わず感嘆の声を上げた。
 眼の前には、一面の緑と、洞穴のような岩風呂。広い。
 平日なのもあり、そこには私しかいなかった。
 景色を眺めるだけで、疲れが癒されそうだ。
 かけ湯をし、お湯に浸かる。
 手足をいっぱい伸ばす。
 全身に血の巡りを感じる。
 彼と一緒にお風呂に入っていた頃は、こんなに手足を延ばして、お風呂に入れなかった。
 一人で温泉に入ることが、こんなに気持ちよかったとは。
 この岩の向こうに、彼がいる。
 彼は今頃、一人でのびのびと過ごしているのだろう。
 ずっと二人で一緒にいて、一緒に何かをすることが当たり前だったけど。
 でも、これからは、一人での楽しみ方を、見つけないといけないのかもしれない……。
 
 浴場の片隅にある看板に、温泉の効能が書いてある。疲労回復や冷え性など。でも冷えきってしまった恋には、もう効かないのかもしれない。
 涙がひとつぶ、ふたつぶと、湯船の中に溶けていった。
 でもどこか、ほっとした気持ちもあった……。
 
 温泉を出て、彼と顔を合わせる。
「お風呂、よかったな」
「そうだね」
「帰ろうか」
「そうだね」
 と、声を掛け合う。
 ほとんど言葉を交わさないまま電車に揺られ、彼の職場の最寄り駅で別れる。
 
 彼が他に好きな人がいるのがわかったのは、それからしばらくしてだった。
 同じ職場の人だった。
 
 そして私は、彼と離婚した。
  
 
 それから数年後、いろいろあって、私は彼の「先輩」と結婚した。
 一度赤外線で携帯メールを交換しており、そのことを思い出して、「離婚しました。今までお世話になりました」と、メールを出したのだ。離婚に至った経緯を知っていた先輩は、私の話に耳を傾けてくれた。
 
 それは彼と最初に過ごしたときのような、ベタベタした恋ではなかった。
 
 先輩の薦めもあって、私は車の免許を取った。
 車に乗れるようになって、私の行動範囲は格段に広がった。
 そして、休日は温泉めぐりを楽しんでいる。
 湯船にゆっくりつかりながら、仕事のこと、読んだ本のこと、子供のこと、彼のこと、そして自分のことを考える時間を、大切にしたい。
 
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