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プロフェッショナル・ゼミ

転校生になった日《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:山田あゆみ(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「今日の学級目標は転校生に優しくするに決定します」
 
日直の男の子が元気よく言った。私以外のクラスメイト達の承認の拍手が力強く響く。
小学校2年生の私は、複雑な気持ちでそれを眺めていた。
 
「今日1日、私は何をしたらいいんだろう」
 
その日は私の人生初の転校初日で、それは新しい学校での初めての朝の会だった。
父の仕事の関係で引っ越しをすることになった。2学期のはじめだった。
 
1日に1つ朝の会で目標を決めるのが、このクラスの決まりだった。
目標を書くための小さな黒板に日直の男の子は、でかでかと、丁寧に「てんこうせいにやさしくする」と書いた。
その字を今でも覚えている。
 
あなたは、転校生と聞いて、何を思い浮かべるだろう?
 
私は、少女漫画を思い浮かべる。
たいてい、主人公が恋に落ちるのは、転校生と決まっている。それでなかったら、幼馴染で、それ以外の人々は残念ながら舞台に上がれない。
 
転校生、響きだけで何だかドラマティックだ。
ある日、突然全く知らぬ土地からやってきた転校生は、いつもと同じであったはずのみんなの日常をガラッと変える。
 
私は、特になんて特徴もない転校生だった。
残念ながら、漫画によく出てくる絶世の美女には程遠く、超がつくほどのお嬢様でも、お金持ちでもなく、一般的な庶民である。平凡などこにでもいる小学生でしかなかった。
 
それでも、転校生になった私は、大事にされた。
転校生だというだけで、家に遊びに呼ばれる。可愛いプレゼントをもらう。誕生日でもないのに。
単なる地味で大人しい子どもが、急にスポットライトを当てられる。
 
その世界の変わりようは、凄まじかった。
私は、転校生というラベルを手に入れたことで、急にVIP待遇を受けるようになってしまったのだった。
校長先生には部屋に呼ばれ、頑張ってねと直接声をかけられた。
これまで、校長先生と一対一で、話したことなんてなかったのに。
私は、学級のみんなが気にしなくてはいけない存在になり、優しくされて当たり前の存在となったのだ。
 
転校生になったのは、自分が何かをやったからではない。
たまたま父の職場が他の市になったからである。
だからついて行っただけだ。
私が、努力をしたわけでも、いけないことをしたわけでもない。
結局、自分の力の及ばないところで、私は転校生となり、そのお陰で私は良い思いをたくさんした。
 
ただ、どこかに大きな違和感があった。
 
自分が何かした訳でもないのに、こんな特別扱いを受けていいのだろうか。
私は、転校する前も、した後も同じ私なのに、この扱いの変わりようはどういうことだ。
ありがたいけれど、何だか申し訳ないような気もした。
 
私たちは、接する人々に、ラベルを貼られながら生きている。
その事に人生で、初めて気がついた瞬間が、私にとって転校生になったその日だった。
 
ラベルには沢山の種類がある。「転校生」もラベルだけれど、それ以外にも色々なものがある。
「子ども」のラベル、「大人」のラベル。「友達」のラベル。「長女」のラベル「妹」のラベル。
「親友」とか、「知り合い」とか、「恋人」とか、「ライバル」とか、「苦手な人」とか、いろいろなラベルを貼られたり、剥がされたりする。
 
そしてどんなラベルを貼られるかは、選べないことが多い。
 
好きな人に「恋人」のラベルを貼ってもらえれば最高だが、全ての恋がうまくいくわけではないことは、誰もが知っている通りだし、「友達」だと思っていた人から「知り合い」程度にしか思われていなかったということだって、きっと誰もが経験したことがあるだろう。
 
仕事をする中で、私によく貼られているラベルは、「若い未熟者の女の人」何だと思う。
業界的に女性が少なく、20代でも、30代でも若いと言われる。
私は、このラベルが嫌で仕方がなかった。
舐められるのだ。
どうせ、何も出来ないでしょう。無理に出来ない事をやらなくてもいいよ。
ちょっとでも、難しい仕事を、私もやりたくてなんて言い出すと、笑われるのだ。
「君には、無理だよ」
「彼にやってもらおう」
 
その言葉に、態度に、どれだけ傷ついただろう。
 
やってもいないのに、無理だと思われ、舐められ、馬鹿にされると言うのは、心苦しいものだ。
そんな空気を感じる度に、思っていた。
 
そういうあなたたちだって、昔は未熟で、若かったはずなのに、何でわかってくれないわけ?
イライラしたし、ムカムカした。
勝手に、ラベルを貼って、勝手に決めつけて、勝手に自分の中で完結して。
なんて理不尽なんだろう。
もっと歳をとっていれば、良かった。
もし、男性だったら違ったんじゃないか。
そんな風に思っていた。
 
ただ、最近になって少し、感覚が変わった。
 
自分に貼られるラベルは選べないということに対して、やっと観念したからだ。
人が貼るラベルを、勝手に自分で剥がすことは出来ない。
 
転校生は、転校生のラベルを貼られる。
それに対して、私は転校生だからってそんなに大事にしてもらわなくても大丈夫ですよ、何だか申し訳ないし。
そう言ったところで何か変わるだろうか。恐らく変わらない。
 
人にラベルを貼って、決めつけて何かを語る人のことを私はずっと呪っていた。
勝手に決めつけて! と。
だけど、気がついたのだ。私だって人にラベルを貼りながら生きている。
それも、毎日のように。
 
所属しているサークルに新しく人が入って来た時には、「新入部員」というラベルを貼る。
「新入部員」だから心細いだろう、と勝手に推測して、勝手に気を遣っている。
 
初めて誰かに出会う時、どんな態度で、どう接するかは、その人に貼ったラベルで決めている。
「同年代」の人だったら、例え初対面でも、あまりに他人行儀なのは逆によくないかも、とか。
この人は「上司」だから、いつも以上に丁寧に接しよう、とか。
「偉い人」だから、冗談はあまり言わないでいようとか。
 
そういう風に貼った私のラベルは、もしかしたら見当違いかもしれない。
「新入部員」だからと言って、みんながみんな、気にして欲しいわけではないだろう。鬱陶しいと思う人だってきっといる。そんなラベル、貼らないでよ、と思っているかもしれない。
「同年代」だから、といって最初から砕けた調子で話されることに、憤りを感じる人だっているかもしれない。
 
それを自覚したところで、よし、それじゃあ私はもう人にラベルを貼るのは辞めよう! と決意してみても、それは無理なことに気がつく。
私はラベルを貼らずに生きていくことが出来ない。
ラベルを貼ることで、初対面の人との接し方を選んでいるので、ラベルなしにさぁ、人として向き合いましょう! となると、どんな話し方で、態度で、何を話したらいいのか、どうしたらいいかわからなくなる。
5歳の子どもにも、80歳の老人にも同じ態度で接する事が出来ないように。
ラベルを貼るのは、安全を確保する為の手段なのだ。
この人だったら、こういう接し方でいけば失礼にはならないだろう、こうすれば多分嫌われないだろう、そうやって安心する。
 
何かを勝手に決めつけることに反発ばかりしていたけれど、決めつけないで生きていくことは、出来そうもない。
 
多分、決めつけることそれ自体は、避けようもなくて、そこに執着するのは、おかしいのかもしれない。
決めつけた後が、きっと大事なのだ。
 
その人と、関わり合い、話をして、時を過ごして、ゆっくりだけど「唯一無二のその人」を知ることで、ラベルに頼ったコミュニケーションは、徐々に薄れていく。
 
転校してから、私に貼られた転校生というラベルは、いつの間にか剥がされていったように思う。
それは、私を、私という一個人として周りのみんなが受け止めていってくれたからだと思う。
「転校生」のラベルは、「友達」のラベルや、「クラスメイト」のラベルに変わり、やがて何人かの本当の意味で、コミュニケーションが取れた人には、「山田あゆみ」という世界に1つのラベルを貼ってもらえたんじゃないか、と思う。
 
ラベルは、コミュニケーションによって変わっていくのだ。
 
私に未熟者というラベルを貼っている皆さんは、きっとそうやってこれから起こりうる「問題」とか、「リスク」に備えて、これまでの経験則をもとに、それを貼っている。
そうであれば、それは、間違えじゃない。
そうやって身を守ってきたのだから。
 
きっと、私に必要だったのは、未熟者なんて勝手に決めないでよ! と反発することじゃなかった。
貼られたラベルを受け止めて、その上でそのラベルを変えていってもらえるように、安心を与えられるような働きをすることだった。
チャンスがあれば、コミュニケーションをとる中で、未熟でも、それでもやる気はありますよと、アピールすることだった。そうして徐々に信頼関係を築いていくことだった。
 
そういうことが出来ずに、ただイラついて反発していた時点で、既に私は若くて考える力の足りない愚かな未熟者だったんだろうと思う。
 
これからも、私たちはラベルを人に貼り、貼られて生きていくだろう。
多分きっと、いや、私はそんなラベルは貼られたくないんですけど? と言いたくなることもいっぱいあるだろう。
でも、そうであればそうであるだけ、その先のコミュニケーションを大切にしていきたい。
そして、「唯一無二のその人」のラベルをいっぱい貼っていけるような、そんな毎日を送っていきたい。
 
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