プロフェッショナル・ゼミ

なぜ毒のある文章を書いてはいけないのか《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:ほしの(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 
《毒のある文章を書いてはいけない》
天狼院でライティング・ゼミ、プロフェッショナル・ゼミを受けた人なら、誰もが胸に刻んでいることだと思う。わたしはこれをはじめて聞いた時、心臓を掴まれたような気持ちになった。わたしには苦い過去がある。
 
「結婚したいんだ」
目の前で好きな男の口がそうつぶやくのを見て、胸がいっぱいになった。
(あぁ、殺してやりたい!)
心の底からそう思った。目の前にいる男はわたしの夫だった。すでに数年前にわたしたちは結婚している。つまり夫は、わたしではない女と「結婚したい」と言っているのだ。ただならない関係をもっていることがわかる女からのメールが、携帯の画面に表示されていた。それは寝ている夫の手元にあった。
それを見た瞬間、頭が真っ白になり体はわなわなと震え、気がつけば夫を叩き起こしていた。
「これなに?! どういうこと?!」
その返事が「結婚したい」だった。
4歳の息子の顔が浮かぶ。わたしのことより、息子を悲しませることを平気で言ってのける夫が許せなかった。
 
そこからの日々は地獄そのものだった。ここ数ヶ月様子がおかしいとは思っていたけれど、今となっては、わたしには秘密で女と会っていただけマシだった。浮気(本人曰く本気)を問い詰めてからは、たがが外れたように日常的に家に帰ってこなくなった。こんなことになるのなら、携帯を見つけた時、見て見ぬ振りをすればよかったという変な後悔と、どちらにせよ裏切られていることには違いないという悲しさと、幸せにすると言ったのに約束が違うじゃないかという怒りが一日中頭の中を支配していた。専業主婦だったわたしには、気がまぎれる時間がなかった。
 
ある時は夜中に出て行こうとする夫に「いかないで」と泣いてすがり、またある時は「ふざけるな!」と掴みかかった。そのどれもが彼の心には響かないどころか、露骨にわたしを忌々しい目で見るようになっていった。息子の前では争っている姿を見せないようにしていたけれど、夫がいない時、気がつけば泣いてばかりいた。
夕飯の準備でキャベツを刻みながら、涙が止まらなくなった。
「どうしたの? 泣いてるの?」
息子がわたしの顔を心配そうに見上げている。
「さっき玉ねぎ切ったからかなぁ」
必死で涙を引っ込めようとしたけれど、どうしてもダメだった。そんな毎日だった。精神的に完全に不安定な状況だったように思う。
もちろん仲のいいママ友にも愚痴を聞いてもらってなんとか自分を保っていたのだけれど、それも真夜中には通用しなくなる。
なにも知らない息子の寝顔を見て、いっそのこと……とよからぬことも考えたこともあった。今こうしている間も、夫はよそで女と会っている。
悔しい。悲しい。許せない。
誰かと話をしていれば気も紛れるけれど、こんな深夜に電話をかけるわけにもいかない。
 
そこでわたしがはじめたのは、当時まだ世に出たばかりの「ブログ」というものに、日々の様子を綴ることだった。
真っ暗な部屋にパソコンの起動音が響く。今感じている思いのたけを、キーボードに叩きつけた。時には泣きながら、時にはやけ食いをしながら、その日にあった出来事や、これからの不安を文字に変えていく。それは体の中の毒を吐き出すような作業だった。
《さっき、夫がわたしのことを突き飛ばして家を出て行った!》
《息子のことをどうするのかと問い詰めたら、自分が引き取ってよその女と育てるなんて言いやがった! ふざけるな!》
すると不思議なことに心が落ち着いてくる。精神科の療法で、日記を書かせるというものがあるらしいが、このブログ効果はそれに近いものだったのだろう。眠れない毎日が続いていたけれど、これをはじめてから書きたいだけ書いた後、少しずつ眠れるようになった。
 
数ヶ月もしないうちに、わたしのブログに変化が起き始めた。コメント欄に応援コメントがつくようになったのだ。
「わたしの夫も浮気してます。フザケンナ!ですよね。がんばりましょう」
「ほしのさんはお子さんのこと大切にしていてえらいと思います。頑張ってください」
リアルな世界のママ友にも支えてもらって感謝はしていたけれど、みんな幸せな家庭に生きている。愚痴をきいてもらっているのに、どこかでこの苦しさはわかってもらえないんだという孤独感は拭えなかった。
けれど、真夜中のブログにコメントをくれる人たちの多くが、わたしと同じ境遇にあった。それが心強くて、嬉しくて、心から感謝しながら返事を書く。ほどなくして、コメントの常連さんも現れ始めた。わたしはブログを書く時、その人たちのことを考えるようになっていた。
 
夫が投げつけたひどい言葉も、面白おかしく
「こんな馬鹿なこと言ってるんですけども!」とネタにした。夫のカバンの中に避妊具を見つけるなんていうエグいエピソードも、ブログネタだと思うと面白おかしく書けてしまう。
ブログに来てくれるたくさんの人たちがわたしと一緒に怒り、泣きながらも笑ってくれる。それは、なんともいえない心強さで、転んでもただでは起きないを体現する日々だった。
 
半年ほどでわたしのブログは、夫婦ネタのジャンルのランキング上位に躍り出た。常にベストスリーあたりをうろうろできるようになり、そのランキングの高さもわたしを愉快な気持ちにさせてくれた。
読者が増えるにつれ、批判的なコメントを寄せる人たちも現れた。
「お前がそんな女だから、浮気されるんだよ」
そんな言葉を見ると、胃がギュッと縮むような感覚に陥る。けれど、それに対して、わたしをかばってくれるコメントも現れる。なんだか嬉しい。
わたしはそんな応援を得て、攻撃してきた人にはとことん反論した。これでもかというほどの正当性で返り討ちにすることに、ひそかな爽快感すら感じていた。
夫に言ってやりたいこと、浮気相手に言ってやりたいこと、それらをコメント欄に叩きつけているような感覚だった。あの頃はそんな言葉はなかったけれど、いわゆる「炎上」という状態だったんだと思う。それでも反響があることも、言いたいことが言えることもわたしを活き活きさせてくれる。こうして次第に元気になるにつれ、同じように夫の浮気でふさぎこんでいる人たちの役に立ちたいと思うようになった。
 
《わたしたちは悪くない。泣いて毎日を過ごすなんてまっぴらじゃないか。負けずに笑って生きようよ!》
気がつけば、わたしのブログはそんなメッセージを発信し、浮気されている妻たちを応援する場所になっていた。
そうだ。この仲間たちと楽しいことをしよう。
 
そこで企画したのが「浮気され妻、縁切りオフ会」だった。
企画の内容は極めてシンプルだ。
みんなで縁切り寺と呼ばれているお寺に行って、夫と浮気相手の縁が切れるように、ガッツリ神様に祈っちゃおう! 
というものだ。かわいく書いても、楽しく書いても、怨念バリバリの企画だったけれど、それでも泣いている妻たちを、お日様の下に連れ出して、みんなで生きることを考えることは愉快だなぁと思った。傷の舐め合いだと言われてもいい。舐め合える仲間がいるなんて幸せなことじゃないか。ついでにみんなで美味しいものを食べて帰ろう。
 
6人ほどのオフ会だったけれど、企画は大成功で終わった。縁切り寺で絵馬を買って、シャレにならないほと本気でペンを握った。
「6人で書けば呪いも強くなりそうですね!」
「いやいやいや、呪いじゃなくて祈りだから!」
全員で笑った。もちろん本気だったけど、笑えばシャレにならないことも、シャレになるような気がした。たぶんまた家に帰れば、わたしたちは泣く。あしたも、あさっても泣くだろう。けれど今は笑っていられる。それはひとときであっても、ちゃんとした幸せだ。それが続けば、嵐は過ぎ去る。そう信じられる気がした。
この日、わたし自身はブログのファンだと言ってくれているみんなへの感謝も直接伝えることができた。ブログをやっていなかったら、みんながいなかったら、わたしは今頃どうなっていただろう。ありがとう。
 
1年ほど経った頃、絵馬が効いたのか夫は浮気相手と別れた。けれどわたしたちの気持ちは元どおりにはならなかった。もともと夫は気の多い人だった。そして不思議とモテる人だった。すぐに違う女ができたのがわかった。もう夫もわたしに隠す気持ちすらあまりないように見えた。
そのおかげでブログのネタは尽きなかった。わたしの毒ブログは膨れ上がり続け、それは生活の一部と化していた。
 
その事件は、突然起きた。
「ただいまー」
部屋の扉を開けた時、息子がパソコンを開いているのが見えた。あわてて画面を閉じるのも見えた。そしてその画面はわたしの書いているブログの表紙であることも見えてしまった。
わたしがブログを書いていることは、息子は知らないはずだった。息子には見られないように、最新の注意を払っていたつもりだった。それがなにかのきっかけで見つかってしまったのだ。
「おかえり」
そう言って息子はそのまま部屋を出て行った。変わった様子はない。それは逆に言えば、もっと前にわたしのブログの存在に気がついて、それを読んでいたことを意味しているのではないか。
 
子どもの前で言い争いはしないようにしていた。夫の悪口も言わないようにしていた。そんな数年の日々をあざわらうかのような一瞬の出来事だった。
彼が読んだページには、夫のやってきたことのすべてと、わたしの憎しみのすべてが刻まれている。目の前が真っ白になった。
わたしが吐き出した毒は、あろうことか、わたしの最愛の息子に降りかかってしまったのだ。息子は母親が父親のことを口汚く罵るのを見て、どれほど傷ついただろう。それは、自分が傷つくよりはるかに苦しい事態だった。浮気されている被害者の顔をして、わたしは知らぬ間に加害者になっていたのだ。母親として失格だと思った。
 
その日の夜、ブログの閉鎖を宣言した。突然の知らせにどうしたのかという問い合わせと、やめないでくれと言ってくれた人たちがいたのは正直嬉しかった。けれどわたしはもう毒を吐くことはできない。わたしは取り返しのつかないことをしてしまったのだから。
ブログをやめてからも、わたしは息子にブログを書いていたことを謝れなかった。わたしのブログの画面を開いていたことは、見なかったことにした。息子もまたわたしになにも言わなかった。お互いに触れてはいけないことだと思っていたのだと思う。
そこから数年後、わたしたち夫婦は離婚し、息子と二人での暮らしが始まった。
 
天狼院のゼミで「毒ネタ取扱注意」の話を聞いた時、わたしはブログ事件を思い出した。身に沁みすぎて、ゼミの課題提出では毒があるテーマには一切手を出さないまま数ヶ月を過ごしてきた。それどころか、息子のエピソードを書くこともできなかった。
 
息子は現在、二十歳だ。わたしはゼミきっかけでその事件を思い出し、今さらながら息子に謝らなければいけないと感じた。謝って済むことではないけれど、「毒」について考えた時、それでも謝っておきたいと思った。
 
「そんなこと気にしてたの? もうそんなもんどうでもいい」
息子はそう言って笑った。
「俺、おしゃべりな母ちゃんの子である時点で、もうプライバシーないと思ってるからさ。どうせライティング講座でも書いてるんだろ?」
失敬な。そんなにわたしはおしゃべりじゃないぞ。君のことも書いてない!
「母ちゃんが好きなように書けばいいよ。いや、嘘は勘弁ね」
ごめんね。そしてありがとう。
夫のことは大嫌いになって別れた。正直、その毒はわたしの体のあちこちにまだ残っている。それでもこの息子を授けてくれたことだけは感謝している。
わたしのすべての毒を解毒できるのは、息子ただひとりなのだから。
 
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