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プロフェッショナル・ゼミ

母の臀部の物語《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:関谷 智紀(プロフェッショナル・ゼミ)
 
母の右のお尻には大きなくぼみが2つあった。
 
鋭利なナイフで肉がえぐられた部分がなんとか塞がったような状態だった。皮膚には切られた後に時間がかかって癒着したような、ケロイド状の赤い盛り上がりがあった。
 
小学校に上がる前、一緒にお風呂に入っていた僕は、何の気なしに母に尋ねた。
「お母さん、何でこんな所に大きなくぼみが開いているの?」
 
「そうだね。智紀には話しておかないといけないね。これは、私が若い頃に大けがをした痕なんだよ」
 
「ふーん。痛かった?」
 
「そりゃあ、痛かったさ。でもね、このキズのおかげで、今、智紀に出会えているのかもしれないねぇ」
 
母はまだ若かった。色白の母のうなじに、水滴がつつっと上から下に動いていく様子をよく覚えている。
母は、僕に向かって微笑んでから、浴槽に一緒に浸かる僕に向けて、ゆっくりと話しを始めた。
 
 
母・春子は、現在JR山手線が走っている駒込駅と田端駅の丁度中間くらいの地域に住んでいた。
母の家の近くには、当時、省線電車と呼ばれていた山手線の線路が走っていて、子どもの頃はよく、チョコレート色の電車を追いかけて手を振り、乗客達が手を振り返してくれるかどうかを楽しみにしていたらしい。
 
母の父に当たる人は、大きな繊維会社の重要な仕事をしていたとかで、比較的家庭的には裕福だったらしい。その頃の暮らしぶりを聞くと、「女中さんとかもいて、いろいろ面倒見てもらったり、買い物に一緒にいったりして楽しかったよ」と母は言う。
 
しかし、段々と、人々の幸せな暮らしにも影が忍び寄ってくる。
戦争だ。
太平洋戦争の戦局は悪化し、当時少女だった母は疎開を余儀なくされた。
 
もともと都会生まれ都会育ちの母の家庭は、田舎の親戚を頼ると言っても東北や北陸に親戚はおらず、せいぜい埼玉県に済む伯父のところへ身を寄せるのが精一杯だったという。
 
母は、埼玉県の浦和市付近に疎開することとなった。
 
そこで、母は列車に乗ろうと駅まで歩いている道すがら、ある航空機がプロペラの音をうならせながらこちらに近づいているのを見た。
その飛行機は、機体を陽に光らせながら猛スピードで走行中の電車に向けて近づくと、ふわっと浮き上がり、突然「ダダダダダダ」という轟音を発して、機関銃を電車に向けて撃ち始めたそうだ。
アメリカの戦闘機、グラマンだった。
 
とっさに母は身をかがめつつ、電柱の陰に隠れようと走った。
しかし、砂利道に何本かの土煙があがった直後、母の臀部から血がしたたっているのに気付いたという。
機銃弾の1発が母の右腰前から臀部までを貫いていた。
 
その時は、痛いと言うよりも何が起きたか分からないショックで、母はその場に倒れ込んだ。
近くにいた人たちに助けられ、母は病院へと連れていってはもらったが、当時は戦時中のこと。医療物資も人手も足りず、銃撃によって壊死した肉と骨の一部の削り取り、ガーゼで押さえてあとは時間の経過を待つという治療法しか選択肢無かったそうだ。そのため、母の右腰には前側に直径3センチほど、臀部後ろ側に直径8センチほどのくぼみが残ったという。
「前の穴からガーゼを入れて、血を吸わせてね。それを取り出すときが本当に痛くてね、もう脂汗を流しながら歯を食いしばってガーゼを引き抜いていたんだよ」
 
幸い、半年ほどでキズは塞がったそうだが、実は心に大きな穴が開いていた。
骨までえぐったせいで、右足がうまく動かないのだ。
他の女の子達のように動けない、ことは重荷だった。
中学生、高校生年代の多感な時期を、母は右足を引きずりながら過ごしていくうちに、積極性や元気さといった取り柄をどんどん失っていった。
さらに、そのケガが原因となって、女学校ではなく、障害者向けの職業訓練校に進学せざるを得なかったことも、母をより消極的にさせた。
 
私を生んでからも、母のそんな性格が随所に現れることがあった。
とにかく、絶対に人と争わず、自己主張をせず、目立つことをよしとしないのだ。
知り合いに何か言われても、「はい、そうですね」としか言わず極力波風を立てない生き方を選択していた。
「母さん、なんでそんなに我慢してるの」と私が聞いても
「私はね、びっこをひいてるから、人様のことをとやかく言う資格はないんだよ。とにかく、お父さんも車椅子だし、障害者家庭は人様に迷惑を掛けるようなワガママを言っちゃいけないんだよ」
というのが常だった。
 
車椅子の父と母は、その職業訓練校で知り合った。
訓練校は浦和にあり、男女別に寄宿舎で暮らす全寮制の学校だった。
母は、そこで洋裁を学んでいた。
父は、4歳の時に患った小児麻痺のせいで足が動かなくなり、子どもの頃から車椅子生活だった。生きていくためには、職人になるほかなく、時計職人を目指してその学校で修業していた。
母も父も生きるために必死だったはずだが、そこで恋が芽生えた、らしい。
その時のなれそめは今となって何度尋ねてもはぐらかされてしまうが、学校を卒業後しばらくして、父が故郷に小さな時計店を開業するタイミングで結婚することとなり、母が埼玉県の西の果てまで嫁いできた、ということだ。
「お父さんの実家の隣にお店兼用のおうちを建ててね。そこの6畳間で親戚を集めて結婚式をしたんだよ。ずっと都会暮らしの私は、まあとんでもない田舎にきちゃったなぁって思った。だって、周りは茶畑と豚小屋ばっかりで、ハエがわんさか飛んできて、アンタの顔に30匹くらい止まってたんだから」
 
「ふーん。イヤじゃなかった?」
 
「そうだね、不思議といやじゃなかったね。ここがお父さんの生まれた場所なんだぁ、今日からここで生きていくんだぁって、なんかちょっと楽しい気分だったよ」
母はそう言って笑っていた。
「その1年後だよ。お前が生まれたのは」
 
 
母と父はわずか8坪ほどの小さな店を切り盛りしながら、慎ましく暮らしつつ、私と5つ下の妹を産み育ててきた。
無口な父は、昔のことをあまり話したがらない。しかし、仕事でもそうでないときでも常に顔を合わせ続けてきた母に対して、いまでも文句も言わず、大きな喧嘩もしないし、仲良くおなじ布団で一緒に寝ているというと言うことは、きっと60年近く経った今でも、夫婦として何か通じる物があるのだろう。
 
 
突然こんなことを思い出したのは、先日、実家の風呂場で母と孫の栄輔が話しているのを立ち聞きしてしまったからだ。
 
実家は、脱衣場の隣にトイレがあり、私はそこにこもっていた。
するととなりの風呂場の脱衣場から、栄輔の大きな声が聞こえてきたのだ。
「おばあちゃん、ねえねえ。何でお尻に大きなへっこみがあるの?」
「あら、見つかっちゃったかい。それはね、まあいろいろあったんだよ」
「どうしちゃったの? 誰かに刺されたの?」
「なに言ってんだい、そんなことないよ。じゃあ、お風呂入りながら少し昔の話をしようかね」
「うん。おばあちゃん、背中洗ってあげるね」
「ありがとう。後でおじいさんも洗ってあげてね」
 
そう言って、風呂場に入っていった2人。楽しげに話している声が聞こえてくる。
「おーい、栄輔。俺も入るぞ」
という父の声がして、ガラガラッと風呂場の扉が開く音がした。
ザバーンと流れるお湯の音、その後に栄輔がキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてきた。
 
 
その幸せそうな「音」を聞いているうちに、私にとっても40年以上前の記憶が蘇ってきたのだ。
 
あの時、母は確かにこうも言っていた。
「もし、私がグラマンに撃たれていなかったら、また別の人生があったかもしれないねえ。
でもね、小さな家だけど貧乏だけど、あたしはお父さんに出会えてよかったし、お前にも出会えたんだよ。ほんとうに、何が起こるかは分からないもんだねぇ。ありがとうね」
 
 
その後、私が思春期に差し掛かったときには大きくぶつかったときもあったし、「このクソババア」なんて罵声を浴びせたこともあった。
しかし、月日がすべてを洗ってくれる。
ようやくだが、心の底から母、そして父のことを誇りに思える日がきたのかもしれない。
 
 
母はもう80歳に近くなった。
私が母と一緒にお風呂に入ることはきっとないだろう。
でも、こうやって「小さな歴史」は街の片隅で語り継がれていく。
栄輔は、母の物語をどんな思いで受け止め、いつか彼の子どもたちに伝えていってくれるだろうか。
 
***

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