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プロフェッショナル・ゼミ

パズルのピースが消えた時 《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:青木文子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 
「これ、青木さんだよね? 写真出てるの見て、そうかなって思って」
 
突然やってきたメッセージ。
高校1年生で同じクラスだった同級生のF君からだ。
 
20年以上会っていないF君から届いたメッセージ。
高校入学して初めてのクラスコンパのことを思い出した。文化祭の打ち上げでカフェに行った後のカラオケ。高校になるまでカラオケに行ったことがなくて、ドキマギしている私をよそに、手慣れた感じで洋楽を歌ったのがF君だった。英語の発音も流ちょうに歌ったビートルズの「Hey Jude」の歌声が記憶の中から聞こえてくる。
 
数年前だろうか。高校の同級生の一人が高校の同級生つながりでのフェイスブックグループを作ってくれた。グループに入ってみると、卒業以来の懐かしい名前がいくつも並んでいた。私は旧姓から名字が変わっているので、その旨を添えて見覚えのある友人たちに友達申請のメッセージをした。
 
「おお、久しぶり!」
「変わってないね~」
「理系だったよね? なんで司法書士やってるの(笑)?」
 
それぞれに驚いてくれたり、笑ったりしながら同級生たちは友達申請を受けてくれた。F君もその中の一人だった。
 
F君とはフェイスブックで友達になった後、特にやり取りはなかった。
流れてくる彼の投稿をみて、東京で会社を経営している、とか、東京のスタートアップの若者を支援する仕事で活躍している、ということを知った。投稿の写真の中のF君は高校の時より少し歳をとった、でも変わらない人懐っこい笑顔で笑っていた。
 
そんなF君からやってきた突然のフェイスブックメッセージ。
なんだろう? そう思ってそのメッセージを開いた。
 
「これ、青木さんだよね?」
 
そうメッセージははじまっていた。そしてリンクのアドレスが貼られていた。リンクをクリックしてみると、私がとあるスタートアップ企業からインタビューを受けたネット記事だった。
 
「そうそう! 紹介でインタビュー受けないかって言われて。でもF君、よくわかったね。どこでこの記事みつけたの?」
 
「この会社さ、俺が支援している会社のひとつなんだよ。顔写真見て、あ、青木さんだ! って思って。やっぱりそうだよね」
 
その記事は私が専業主婦から司法書士試験の挑戦し、今司法書士になっている半生記をインタビューして書かれた記事だった。
 
「青木さん、卒業してから、いろいろ大変だったんだ」
「でもそういう苦労した経験がある司法書士なら、スタートアップの人達のサポートするのに最高の司法書士だって思うよ」
「東京でも仕事したら? 活躍できるところあると思うよ。なにかあったら声かけさせてよ」
 
高校時代、さして親しくはなかったF君。それでもなぜか仕事をしながら合間時間にやりとりしたメッセージは思いがけず長くやりとりが続いた。
 
それ以来、F君とは折を見てメッセージでやりとりをする間柄になった。高校の3年間を同じ空気の中で過ごしたF君とのやりとりには、気軽さと、価値観がどこか通じ合う感覚があった。
 
「文化祭のクラスコンパの時、F君のビートルズに感激したんだよね」
 
何度目かにやり取りしたメッセージで、印象的だったカラオケの話を書いた。
F君からは「そんなことあったっけ?覚えてないな~(笑)」と(笑)をつけたメッセージが返ってきた。覚えていないのか、照れ隠しなのかは聞きそびれてしまった。
 
「東京来たら連絡してよ、一度お茶でもしよう、会って話そうよ」
いつもメッセージはそう結ばれていた。
 
いつも会っている人、久しぶりに会う人。
最近会っていなくても、SNSでやり取りしていて、いつも会っているような気になる人。人に感じる距離は実際に会っているかどうかとは比例しない。F君とはメッセージのやりとりを続けるうちに実際に会っているように気持ちになっていた。人は人の何をもって、その人と会っている感覚になるのだろうか。人は人の何をもってその人の存在を感じるのだろうか。
 
「いやぁ、久しぶりに会うのに、全然そんな感じしないね」
 
東京でお茶をする機会があったら、F君とは顔をあわせてそんな言葉を交わすに違いない。そう思っていた。
 
この文章のF君とのメッセージのやりとりを、私は今、記憶を辿りながら書いている。なぜなら、彼とのメッセージのやりとりは、消えてしまったから。フェイスブックを開いてもそのメッセージのログはすべて無くなってしまったから。
 
秋も暮れてきたある日の夕方。事務所の机の上の整理しながら帰り支度をしていた。今晩の夕食の献立を何にしようか、冷蔵庫の中には何があったっけ、そんなことを頭の片隅で考えていた。
 
シャットダウンしようとしたパソコンの画面。フェイスブックの地球のマークに、投稿を知らせる赤いマークが「1」と灯った。あ、なにか投稿があるんだ。そのお知らせを何気なくクリックした。表示されたのは高校の同級生の投稿。
 
目に飛び込んできたのは
 
「とても悲しいお知らせをしなければなりません」
 
という文字だった。
 
心臓がドキリ、と鳴った。誰かが亡くなったのだ、と思った。同級生か先生か。予感は当たった。その投稿はF君が亡くなったことを知らせるものだった。
 
私は帰り支度をやめた。椅子に座り直して、マウスを握りしめた。
そして、F君のフェイスブックのメッセージボックスをクリックした。メッセージボックスには、F君と幾度となくやりとりした文章が残されていた。遡ってスクロールしながらそのやりとりを順番に読んだ。メッセージのやりとりの中にF君の存在が残っていた。
 
F君と私は20年以上会っていなかった。お互いの記憶の中にあるのは20年前の姿だ。もしくはフェイスブックでみる最近の自撮りの写真の記憶。リアルでは会っていないままなのに、メッセージのやりとりをするうちに、私の中に新しくF君の像を結ばれていた。メッセージボックスの中にあるやりとりは私が感じるF君の存在そのものだった。
 
読んでいるうちに幾つもの感情が浮かんで、消えた。
なんで会えるうちに合わなかったのだろう。あのやりとりをしてからも何度も東京に行ったのに。連絡しようと思えばできたのに。
「いやぁ、久しぶりに会うのに、全然そんな感じしないね」
そう言い合うはずだったのに。
私が「いつか」とか「また今度」とその機会を先延ばしにしていたせいだ。そう思った。
 
翌日、F君の訃報を知らせるフェイスブック投稿の下にこんなコメントが書かれた。
 
「フェイスブックのアカウントがなくなってる……」
 
高校の同級生達のコメントがいくつも続いた。
 
「ほんとだ。昨日はあったけど」
「twitterは昨日、気付いた時にはなくなってた。昨晩、彼のFBの投稿を見て懐かしんでたんだけどね。もう、それもできないのか」
 
そのコメントを目にして、私は慌ててF君とのメッセージを開いた。つい昨日確認したばかりのメッセージだ。まさか無くなっていることはないだろう。
 
そう思って見たメッセージボックスには、彼のメッセージがもう表示されなかった。幾度となくやりとりしたメッセージは一行残らずすべて消えていた。
 
F君がいなくなった実感があらためて押し寄せてきた。
インターネットで出会いなおして、もう一度私の中に像を結んだF君の姿が、その瞬間、急にかき消されてしまったような感覚だった。
 
それから数日後、近所に住んでいる高校の同級生に会った。彼はF君と同じ部活だった。
 
「フェイスブックグループでさ、Fも入れてのやり取りしているメッセージがあったんだ。でも昨日見たら、Fのコメントの部分だけがまるで消しゴムで消したようにないんだよ」
 
やりとりが続いている中でその人だけの発言が消えている。同級生の友人達は、F君のメッセージや投稿が消えたのを見て何を感じただろうか。
 
以前、友人の一人が私にこんな話を聞かせてくれたことがある。
もし、自分が死んだらどうする? どうやって友人たちに自分の死を知らせてもらおうか、という会話をしていた時のことだ。
 
「もし、自分が死んだらね」その友人が話はじめた。
 
「自分パソコンにはメールのフォルダに「じゃあね」っていうメールフォルダを作ってあって」
「そのフォルダに、友人たちにあてたメールが作ってあったんだ。そこにはそれぞれの友人へのお別れのメッセージが書いてあるんだよ」
「自分が死んだら、家族にそのフォルダをあけて送信ボタンを押してもらうように頼もうかと思ってたんだ。いまはやめちゃったけれど」
 
もしそのメールを私がもらったら、と想像する。
手元に届いた真新しいメール。開くとそこに友人からの文章。その中に私はきっとその友人の存在を感じるに違いない。その友人がこの世に居ないとしても。
 
数年前からフェイスブックでは「追悼アカウント管理人」を設定しておけるようになった。「追悼アカウント管理人」は自分が死んだ後にアカウントを管理するための人だ。
 
私はこの設定ができてすぐに追悼アカウント管理人を設定した。実際に亡くなった知り合いの追悼アカウント管理人が、無くなったことを知らせるようにプロフィール写真を変更したりするのを見たことがある。
 
「追悼アカウント管理人」を設定していない人のページはそのままだ。その人が亡くなっても、更新されないままのそのページはひっそりとそこに残り続ける。その人の写し鏡の存在がそのままそこにあるように。F君のページはきっと追悼アカウント管理人がそのアカウントを消す作業をしたのだろう。
 
喪失感という言葉がある。喪失感とは何かを失ったという感覚。
 
例えば何年も何年も大切に乗っていた車。ある日その車を処分した。処分して感じる喪失感は物質としての車をなくしただけの理由ではない。その車と共にあるあなたの記憶、その車で走った海沿いの風の感覚、その助手席に載せた人との会話の1シーン。その車とともに分かち合ったあなたの世界の一部が一緒に無くなるという感覚。
 
自分が生きている世界は自分だけでできているのではない。あなたの世界は、一緒に生きている誰かや、何かと共に分かち持っているピースの組み合わせできている。その組み合わせで、あなたの、そして私の世界は作られている。
 
メールやフェイスブックにある本人の写し鏡のような存在感。
F君のメッセージのように、本人が居なくなっても時にその写し鏡の存在感が残っていたりする。本人が亡くなった後に、時間差で写し鏡としてのメッセージが消えた。その時、最後の糸が切れるように手から何かが離れていってしまう感覚になった。それはF君との間に分かちもった何かが本当に無くなってしまったという感覚なのだろう。その分かち持った何かは確かに私の一部であったのだ。
 
その人が生きている間はどんなに離れていても、会っていなくても新しい時間の記憶を互いに積み重ねていく可能性が残されている。喪失感とは、その積み重ねがもうその人とできないことへの焦りなのかもしれないとふと思う。そのことに気がついた時に人は立ちすくむのかもしれない。
 
今日もあの知らせがあった日と同じように事務所から帰るために帰り支度をした。シャットダウンする前にみたパソコンのフェイスブック。メッセージボックスには何もメッセージは来ていなかった。エアコンを消して鍵をかけた。道路に出て見上げた空はどんよりと曇っていた。足早に駐車場に向かう道のりをなぜかゆっくりと歩きたくなった。平凡に見える毎日も、どれひとつとっても同じでないパズルのピースの組み合わせなのだ。
 
今日一日、私は誰と時間を分かちもっただろうか。
明日一日、あなたは誰と時間を分かちもつのだろうか。
生きているということは、誰かとそんな時間の記憶を積み上げていくことなのだ。だからこそ、その分かち合う時間をひとつづつ後悔したくない。
 
F君に会いに行けなかったかつての私にそう伝えたい気持ちになった。立ち止まって見上げた曇天の空。この空もまた、今日の私のパズルのピースのひとつなのだ。
 
***

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