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プロフェッショナル・ゼミ

ビワの木を庭に植えてはならない《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:Kawahara(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 
私はビワが嫌いだ。
味が嫌いなわけではない。
よそのお宅や外食で出されればいただく。
でも、自分で買うことは決してない。
近所のスーパーの入り口を入ってすぐ右側の果物コーナーに、あの柔らかい産毛に包まれた薄オレンジの丸くて瑞々しいビワの実が並ぶころ、買い物に行くのが少しだけ憂鬱になる。
その光景が、とんでもない悪嫁だった若き日の自分を思い出させるからだ。
 
今は20歳を超えた娘が3歳か4歳のころだった。
当時、夫と娘と3人で住んでいた賃貸マンションから5分ほどの場所に、夫の実家が経営する小さなクリニックがあり、事務長である義父と理事長である義母が毎日出勤してきていた。
私は毎日のように娘を連れて、クリニックに遊びに行っていた。
娘は初孫で、義父母は顔を見るととても喜んでくれた。
そんなにしょっちゅう遊びに行っていたのなら、お姑さんとは仲がよかったんじゃないの、と思われるかもしれない。
確かに表面上、仲は悪くなかった。
 
でも私は義母が苦手だった。
 
息子夫婦の生活にズカズカ入り込んでくるとか、育児に口をだしてくるとかの、よく聞く嫁姑トラブルが原因ではない。
義母はよくできた人で、読書が好きでピアノが上手、クリニックの経営のかたわら家庭裁判所の調停員までこなす、完璧な女性だった。
そして自分自身がお姑さんにいびられ、ストレスのあまり最初の子供を流産したり、足首までしかお湯が残っていないお風呂に入れられたりしてとても苦労したので、「自分がお姑さんになったら、お嫁さんには優しくしようと決めていたの」と言い、私を嫁として可愛がろうとしてくれた。
 
けれど、私はそうした義母からの歩み寄りが重荷だった。
今思うと私はずいぶんと屈折した、とんでもなく不遜な嫁だったと思う。
本来ならば感謝すべき義母のまじりけのない善意や優しさを、素直に受け入れることができなかった。
それどころか、いい人すぎる、善意のかたまりのような義母に、恐怖に近いものを感じていた。
どこかわざとらしく、偽物っぽく感じられて、どうしても心を開くことができなかった。
そして親密になろうとする義母に対して「これ以上近づいてくれるな」と心の中で壁を作り、必死で一定の距離を保ち続けた。
 
今考えてみると、その時期夫とうまくいっていなかったことも、義母を拒絶していた理由のひとつなのかもしれない。
夫に怒っていたけれど、夫に怒りをぶつけることが怖かった。
娘には余計、怒れなかった。
その怒りの矛先が、どういうわけか理不尽にも義母に向かってしまったのだ。
 
それでいながら、一方で私は、しょっちゅうクリニックに娘を連れて行っていた。
理由は、二人きりで子供と向き合うことにひどく疲れていたからだ。
私は公園デビューに失敗していた。
近くに比較的大きくて子供を遊ばせるのにちょうどいい公園が二つあったが、両方ともにでき上ったママ友グループがあって、私はうまく入り損ね、昼間に娘と二人で行く場所がなかった。
クリニックならお昼時にいけば、お蕎麦屋さんの出前をごちそうになれるし、事務室の冷蔵庫には娘の好きなジュースやアイスクリームやお菓子が常備してあった。
つまり私は義父母が喜ぶからではなく、どちらかといえば自分が楽をしたいという打算的な気持ちで娘を連れて行き、便利に彼らを利用していたのだった。
 
クリニックの裏には、古い空き家と、頑張れば車2台ほど止められる患者さん用の駐車場があり、そのさらに奥に、以前庭だったころの土のスペースが申し訳程度に残されていて、何本かの低木と義父が趣味でやっていた家庭菜園があった。
 
またクリニックに遊びに行ったある日、娘と2人で、シャベルで菜園の横の土を掘り、その場所にビワの種を埋めた。
いただきもののビワがあまりに美味しかったので、面白半分に埋めたのだけれど、まさか芽が出るとは思っていなかった。
そのまますっかり忘れていたのだが、埋める現場に居合わせた義父、つまり娘のおじいちゃんが、せっせと水をあげてくれていたらしい。
しばらくして気づくと、すでに20センチほどの高さの、ビワに独特な濃い緑色の葉をつけた幼木になっていた。
 
ビワは丈夫な植物らしい。どんどん大きくなり、みるみるうちに細長くてとんがった葉を茂らせるようになった。
娘が幼稚園の年中さんになると、クリニックに遊びに行く頻度が急に減った。
娘は私の意向で、特色のある保育をしてくれる遠くの幼稚園に通っていたのだが、電車で通いきれなくなり、幼稚園のそばに引っ越したからだ。
遊びに行く間隔が開くと、ビワの木の成長もひどく速く感じられた。
娘は無邪気に喜んで、「早く実がなるくらい大きくならないかな」と楽しみにしていた。
けれども私は、どうにもその木が好きになれなかった。そもそも私はビワの葉っぱのかたちが苦手だった。ギザギザして固い感触も、妙につやのある特徴的な葉の色も。それにちっとも洗練されていないモサモサした枝の広がり方や旺盛な生命力も、どこか攻撃的で神経に突き刺さるような気がした。
 
あるとき、私の実家で、何の気なしにクリニックにビワの木を植えた話をすると、父だったか母だったかが眉をひそめていった。
「ビワの木って、庭に植えると確か縁起が悪いんじゃない?」
「え、そうなの?」私はギョッとした。
調べてみると、確かにビワの木を庭に植えると家に病人が出るとか、商売がすたれるとか、よくない言い伝えが多い。クリニックは純粋に商売とは言えないかもしれないが、病気の人が来るのにあんまり縁起が悪いのもなあ、となんだか申し訳ない気持ちになった。
 
それもあって、しばらくして義父に「日当たりが悪いから、ビワの木を移植しようと思う」と相談されたとき、「どうも縁起が悪いみたいだから、切ってしまってもいいですよ」というようなことを言った。
けれども義父は苦笑いをしただけで、「Yちゃん(私の娘の名前)」が植えた木だからなぁ」と、壁際の別の場所に移植してくれた。
ビワは移植されてもびくともせず、そのまま伸び続けた。
 
娘の卒園が近づいたころ、私と夫の仲も終わりに近づいていた。
もともと、うまくいく予感がしない結婚だった。何度か危機を乗り越え、途中子供が生まれたりして、このままいけるのではないかと希望を持った時期もあったけれど、そろそろ限界だった。
離婚が決まると義父母は仰天した。
実家の父母には少しずつ事情を話していたが、義父母にとっては晴天の霹靂だった。
義母は涙を流し、全力で止めてくれたが、私の決心はゆるがなかった。
 
離婚してからも、義母の私への善意は止まらなかった。
離婚をしても、娘にとって元夫が父親であること、義父母がおじいちゃんおばあちゃんであることには変わりはないので、自由に交流していいことになっていた。会いたいときにはいつでも会えるし、旅行も一緒にしていた。
だが私自身はもう、夫の実家とは交流を断つつもりだった。
 
けれど、義母はしょっちゅう電話をかけてきて私が元気かどうか、暮らしに困っていないかたずね、私の心配をし、私の誕生日に毎年カードを送ってくれた。カードには「少ないけれど」とお金が同封されていた。
これを読んでいる読者はきっと、なんて優しいお姑さんなんだろう、と思うだろう。
でも、驚くなかれ、この期に及んでもまだ、私は義母に感謝できなかった。
私はただ苦しかった。
もういいです。
もうやめてください。
私は嫌な人間です。
お願いだから、これ以上優しくしないでください。
いつも心のなかで叫んでいた。
かかってきた電話では事務的な口調で話し、直接話すのが嫌なあまり、誕生日プレゼントのお礼には手紙を書いた。挨拶状の例文のような、そっけない文面の手紙だった。
 
そうして月日は過ぎていった。
娘は高校生、大学生、社会人と成長するにつれ忙しくなり、祖父母との交流も少なくなった。やがて義父が病気になり、認知症になり、義母も入院して手術を受けた。
もちろん、誕生日カードも来なくなった。
 
去年、義父は施設に入り、後を追って義母も同じ施設に入居した。
クリニックは元夫と、その妹が継いでいる。
今年の春、クリニックの奥の空き家に、まだ自分の私物が残っていることを思い出し、片付けるため、何年振りかでクリニックをたずねた。
いくつかの段ボールを運び出し、ほっとして顔を上げると、例のビワの木が目に入った。
高さは四メートルくらいはあるだろうか。
義妹にたずねると、時々実をつけるが、まずくて食べる気はしないらしい。
 
木は相変わらず、モッサリと立っている。
義父母は、どうしてこの木を切らなかったのだろう。
ぶっきらぼうでぶかっこうで、不味い実をつけ、縁起が悪く、庭に植えるなとさえ言われるこの木を。そもそも最初から、ここに植えるべきではなかった木を。
なぜか、涙が流れた。
私はふと、その木を限りなく憐れんでいる自分に気がついた。
憐れみ、そしていとおしんでいる自分に。
 
木は、私だった。
孤独だった。
でも、一生懸命に生きていた、あのころの私だった。
 
「切ってもいいですよ」と私は言った。
それでも、その木は残されていた。
人を拒絶し、殻に閉じこもり、最後は自ら縁を切って飛びだしていった愚かな私を、遠くからずっと見守ってくれた優しさは、善意は、偽物でもなく見せかけでもなかった。
紛れもない本物だった。
そのことに気づくのに、20年近く、かかってしまった。
 
元夫は再婚して、新しいお嫁さんはとっても優しく献身的に、施設に通って義父母のケアをしてくれていると、風の便りに聞いた。心から、嬉しかった。
 
そんな事情で、もう一度義父母に会うのは、むずかしいかもしれない。
けれど、もしも許されるなら、もう一度会って伝えたい。
月並みだけれど「ごめんなさい」そして「ありがとう」と。
 
 
 
 
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