週刊READING LIFE Vol.31

ドキドキ10分890円《週刊READING LIFE Vol.31「恋がしたい、恋がしたい、恋がしたい」》


記事:射手座右聴き(READING LIFE編集部公認ライター)
※この記事はフィクションです
 
 
 
 
プーッ。外の大きなクラクションが聞こえて、目が覚めた。
 
いつ、目覚ましは鳴ったのだろうか。8時にかけたはずなのに、
9時を過ぎている。
 
ああ、しまった。どうやら、二度寝してしまったようだ。
 
しかし、慌てることはない。こんなことくらいでは、動揺しない。
10時のアポまでは、1時間ある。とにかく目覚めはよかった。
何から準備すればいいか、通常の3倍のスピードで判断していく。
まるで、ドリブルでディフェンスを切り裂くサッカー選手のような感覚で次々と準備をしていく。
シャワー、歯磨き、着替え、わずか10分。
 
しかし、トラップはあった。
 
家から駅までの距離だ。歩いて15分。電車が来なければ、さらに10分。
タクシーしかない。タクシーなら、10分で2駅先のターミナルまで行ける。
 
車道に向かって、手を上げた瞬間。女性の手がぶつかった。
同じようにタクシーを拾おうとしたのだ。
 
本屋さんで同じ本に手をかける。そんなシーンならロマンチックだ。
パンをくわえて、遅刻遅刻―と、走ってきて、角でぶつかるなら、それはもう、学園の恋の始まりだ。
がしかし、ここは、渋滞気味の2車線道路。先は譲れなかった。
思わず、女性を睨んでしまった。僕のが先だ。と言わんばかりに。
 
一方、女性も強い表情をしていた。大きめのカバンが一層大きく見える。
ほっそりとしたパンツスーツ。長めの髪は束ねられていた。
そんな二人の前に、一台のタクシーが止まった。
 
「すみません。私急いでいるので、乗ります」
 
尖った口は、鮮やか過ぎず、健康的な色だった。キリッとした眉は見事に釣り上がり、
口調は人気ドラマの女医さんのようなクールで愛想がなかった。
 
しかし、こちらも、このタクシーに乗らなければ、間に合わない。
その瞬間、僕の口から思わぬ言葉がでていた。
 
「池袋までですか。一緒に乗りませんか。私も急いでるので」
二度寝でいつもより少しだけきれる頭が反射的に導き出した回答だった。
 
「はあ?」
驚いた声で彼女が言う。
「すみません。お願いです。池袋駅までなので」
僕はすかさず畳み掛ける。拝み倒すしかない。精一杯困っている顔をした。
眉を思いっきり下げて、口を情けなく、への字にして、人畜無害のおじさんの顔をした。
 
「えー。まあ、駅までなら」
眉は定位置に戻り、薄過ぎず、厚すぎない口元から、不機嫌そうな言葉が出てきた。
 
「ありがとうございます」
僕は笑顔でお礼を言ったが、彼女はこちらを向こうともしなかった。
 
しかたなく、運転手さんに声をかける。
「駅まで急いでもらえますか」
こうして、遅刻をかけたカーアクションが始まった。
 
「はい。出しますよ。いいですね?」
タクシーの運転手さんは、少しイライラしたように言う。
無理もない。いきなり、あまり親しくなさそうな男女がいきなり乗ってきて、
お互い完全にそっぽを向いているのだ。
 
「なんで朝から、こんなおっさんと」 彼女はそういう表情を隠さなかった。
 
まったく会話のないまま、タクシーは道を急ぐ。いいのだ。10分弱の我慢だ。
むしろ、その間、ナンパとか思われないように無関心を貫く方が彼女も楽だろう。
 
そう思って、私はスマホでニュースを見始めた。
トップニュースは芸能ニュース。
また、お気に入りの女子アナが結婚すると言う。お相手は一般男性だそうだ。
友だちの紹介、と書いてある。一般男性も友だちも、私の住む世界とは全く違う世界なのだろうな。
と心の中で毒を吐く。
 
ちらっと横目に入る彼女も、スマホを見ている。同じニュースだろうか。
どんな仕事をしているのか。彼氏はどんな人なんだろうか。
さっきのきつい物言いだと、相当穏やかな彼氏さんなんだろうな。
極端な年上か、年下か。そんな感じがした。
 
順調に流れていた車が突然止まった。あ、しまった。
駅へ向かう右折車線に車が20台以上並んでいるのだ。前の信号から渋滞の列ができていた。万事休すか。
 
「えー? ここ渋滞ですか。どうしよう」
彼女は不満そうな声で言った。
 
その瞬間、勝手に私の口が動いた。
 
「とりあえず、信号をまっすぐいってください」
 
「ちょっと、なんですか、いきなり」
彼女が慌てる。
「2つめを右に曲がってください」
 
「ちょっと! 私急いでるんですよ」
さらに語気が強くなる。
「私も急いでますよ。曲がったら、もう一回右です」
道を伝える。
「もう! これ遠回りなんじゃないですか?」
彼女の眉がどんどん釣りあがっていくのが見えた。
 
「もう少しです」
「もう、いい加減にして!」
彼女が声を荒げた時、車は右に曲がった。
 
「あ、ここにでるんですか」
たどり着いたのは、駅の裏だった。
ホッとした顔の彼女に、僕は大きくうなずいた。車は、10分弱で到着した。
 
「こんな裏道もあるんですね。890円です」
運転手さんの口調はさっきよりものんびりだった。
 
「早く行ってください。僕が出します」
 
「えー、私も出しますよ」
 
「いや、相乗りをお願いしたのは、僕ですから。早く行ってください」
 
「えー。じゃ、すみません。甘えます。ありがとう。また今度」
彼女は、満面の笑顔を僕に向けながら、タクシーを降りた。
さっきまでのきつそうな表情が嘘のようだった。瞳はまん丸で、口角は柔らかく上がり、
眉も少し下がっていた。なんだ、可愛いところもあるんじゃん。
 
ちょっと待て! 「また今度」ってなんだよ。
あなたのこと知らないし。10分前に会ったばっかりだし。
もう会うこともないし。
 
寝坊で始まったカーアクションは幕を閉じたが、妙な一言だけが残った。
まるで、パート2の制作が決まっている映画のような一言だ。
ちょっとしたスリルを感じて、彼女も少しは興味を持ってくれたのかな。
 
「また今度」って。
また、あの場所からタクシーに乗ることになったら、なんかドキドキするなあ。
もしかしたら、家が近いのかもしれないし。
もしかしたら。
 
一瞬だが、僕は自分がいい年のおっさんであることを、忘れてしまった。
慌てて僕も駅の改札へと走り出した。
 
あれから1年。彼女と道で会うことはない。
どうやら、この物語に続きはないようだ。
 
でも、自分次第で、朝にときめくことは、できる。

 
 
 

❏ライタープロフィール
射手座右聴き (天狼院公認ライター)

東京生まれ静岡育ち。バツイチ独身。大学卒業後、広告会社でCM制作に携わる。40代半ばで、フリーのクリエイティブディレクターに。退職時のキャリア相談をきっかけに、中高年男性の人生転換期に大きな関心を持つ。本業の合間に、1時間1000円で自分を貸し出す「おっさんレンタル」に登録。4年で300人ほどの相談や依頼を受ける。同じ時期に、某有名WEBライターのイベントでのDJをきっかけにWEBライティングに興味を持ち、天狼院書店ライティングゼミの門を叩く。「人生100年時代の折り返し地点をどう生きるか」「普通のおっさんが、世間から疎まれずに生きていくにはどうするか」 をメインテーマに楽しく元気の出るライティングを志す。天狼院公認ライター。
メディア出演:スマステーション(2015年),スーパーJチャンネル, BBCラジオ(2016年)におっさんレンタルメンバー
として出演
 


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2019-05-06 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.31

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