死にたてのゾンビ

爪の綺麗な死にたてのゾンビの話《死にたてのゾンビ》


記事:たけしま まりは(READING LIFE公認ライター)

※この記事はフィクションです

「染みるお傷はございませんか?」
指先の傷のことを聞かれているのに、わたしは自分の心を覗かれた気がしてドキッとした。
「……特にないです」
ネイルサロンの店員さんはわたしの「間」には気づかないらしく、慣れた手つきでわたしの指を消毒し、ジェルネイルのオフ剤を染み込ませたコットンを素早く巻きつけた。

ジェルネイルとはジェル状の合成樹脂を爪に塗りUVライトで固めるネイルのことだ。
マニキュアを塗るだけだとどうしてもハゲたりヨレたりしてしまうが、ジェルネイルは固めているため強度があり、仕上がりもツヤのある綺麗な指先になる。
ジェルネイルを初めてしてもらったとき、仕上がりのあまりのツヤに驚いた。指先を眺めてはうっとりしていた。爪が綺麗になるとハンドケアも念入りになり、それまで絶えなかったさかむけが無くなった。手先が綺麗になったことで少しだけ自分に自信がついたような気がして、それ以来ネイルサロンには毎月欠かさず通うようになった。

そもそもどうしてジェルネイルを始めたか。
かわいくなりたい、興味があったから、仕事で書類を取り出して先方に説明することが多く手元が綺麗な方がいいかなと思って、などいろんな理由があるが、それは後づけだ。

「爪、綺麗ですね」
そう言ってもらいたかっただけだ。
あのひとに。

最初はなんの感情も抱いていなかった。
あのひととは転職活動の一環として参加した自己啓発ゼミで出会った。
自己啓発ゼミは「人生を変える」と題したゼミで、月に一度講義があり、毎週課題を出してゼミの先生からフィードバックをもらい、自己の成長につなげていくものだった。

ゼミに入った当初は自分のことに精いっぱいで他人を意識する余裕などなかった。
どうして自分の人生はこうも上手くいかないのだろう、とずっと思っていた。
もっとお金があれば、もっと時間があれば……。仕事やプライベートで嫌なことがあるたびに「もっと◯◯だったらよかったのに」と思ってしまう自分の癖を治したくて自己啓発ゼミに参加し、自分の人生を好転させようと思った。

自己啓発ゼミは病院みたいだと思った。病院は身体の違和感や不調を治すためにかけこむものだが、ゼミには「人生」に違和感や不調を感じた人が集まっていた。
しかしゼミは病院と違って人生の違和感や不調を先生が診察し、原因をつきとめて処方箋をくれるわけではない。あくまで自分自身の成長を手伝ってくれるだけだ。
病気じゃないから診察してくれないのは当たり前なのだが、しかし、たまに診察してほしいと猛烈に思うことがある。自分のひねくれた性格による面倒くささにたまに悶絶死しそうになるからだ。

自己啓発ゼミは課題に対してフィードバックと評価がされる。課題は出すも出さないも自由。出せばその分成長速度が上がり、出さなければそのままだ。けっこうな勇気と安くないお金を出して参加したゼミなので、元はとってやるというケチな性根が働いて課題だけはまじめに出し続けた。

「爪は伸びたぶんだけ切ってよろしいでしょうか?」
「はい、あ、もう少し短めにしてください」
しばらくオフ剤を染み込ませたことで爪からジェルが少しだけ浮き上がる。それをこそげ取り、爪を切って形をととのえる。ゴリゴリとジェルが削られていく姿をぼんやり眺めながら、ジェルと一緒に自分の煩悩もこそげ取ってほしいなと思った。

あのひとを意識し始めたのはいつからだろう。
たぶん、ゼミに入って三ヵ月ほど経ったころだと思う。
先生から課題へのフィードバックをもらい、わたしはこういうことが得意なんだ、自信を持っていいんだと思えるようになった。褒めるような言葉があるとさらに嬉しく、舞い上がった。それからさらにやる気が出てきて、もっと成長したい、認められたい、そんな思いでいっぱいになった。

その後もゼミの課題を出し続けて半年ほど経った。人生が好転したとはっきり言えないまでも、なんとなくだができるぞ、やれるぞ、という気持ちが常に芽生えるようになった。
あのひともわたしを褒めてくれた。わたしはわかりやすく浮かれた。
いつまでもこの時間が続けばいいのにと思った。

あまりにも居心地がよかったわたしは、いつのまにか当初の目的を忘れてしまった。
自分の人生を変えるために来たのに、褒められたい、認められたいから、ここにいたい。
そういう気持ちばかりにとらわれてしまった。

「ベースジェルを塗りましたので、手をライトの中にお入れください」
平べったいかまくらのようなUVライトの機械のなかに右手を入れる。数十秒間ライトをあててジェルを固める。爪の表面がじりじり焼かれるような熱さを感じるが、我慢できるくらいの刺激。右手をライトに入れている間、左手にもベースジェルが塗られ、その後入れ替わりに左手をライトに入れる。左手をライトに入れている間に、右手の爪は店員さんの手によって綺麗に彩られてゆく。

ゼミの講義を通してあのひとと何気なく会話をするようになった。
あのひとはわたしのことをたくさん褒めて認めてくれた。すごいですね、とか、本をたくさん読まれるんですね、とか。わたしはひとから褒められるという経験があまりなく、あたふたしてしまってまともな返事をすることができなかったけれど、あのひとからもらった言葉はしんしんと降る雪のように、嬉しい言葉がこんもりと積もっていた。わたしはあのひとの言葉を反芻しては嬉しさに浸った。幸せな気持ちが身体中に染みわたった。

はじめは純粋に嬉しい気持ちしかなかった。
別に、あのひととどうなりたいとか、そういうことを思っていたわけじゃないのだ。
だけどわたしは何かにつけてあわよくば……とつい思ってしまう癖があった。その癖がときおりわたしを暴走させた。
暴走するたびに、わたしはなんていやらしい人間なのだろう……と猛省するのだった。

「左手をライトにお入れください」
右手は完成した。秋なので、べっこう柄のネイルをオーダーした。オレンジとブラウンが絶妙に混ざった色。こういうはっきりしない色が好きだ。仕上がりに惚れ惚れする。
うっとりと右手を見つめているうちに左手も仕上がり「こちらで終了になります」と店員さんの事務的な声が重なる。
「ありがとうございました〜」
ネイルサロンを出て、時間を確認する。18時50分。待ち合わせまであと少しだ。
コンビニのトイレに入り、鏡の前で髪型やメイクのヨレを確認し、ついでに笑顔の練習をした。

「いろいろありまして今日で辞めます。今までお世話になりました。ありがとうございました」
あのひとは、そう言ってゼミから突然いなくなった。
いなくなると知ってから、なんの感情も抱いていないと思っていたけれど思った以上にさみしさを感じている自分がいて、かなり戸惑った。

あのひとは、自分の人生の「いろいろ」を考慮した結果このゼミを離れることになったらしい。
離れるとわかった瞬間に、あのひとから言われた言葉が鮮明に浮かんできた。
今更ながらにそれが嬉しくて、いなくならないで欲しいと勝手に思ってしまう。
さみしさと恋しさがこみ上げてきて、そのまま考えていると涙が出そうになった。

「お疲れさまです~」
スマホをいじりながら完成された綺麗なネイルアートにうっとりしていたらあのひとがやってきた。待ち合わせの5分前だった。
あのひとはゼミの時と同じような柔和な雰囲気でホッとした。けれど、自分の砦には踏み込ませない、最後の扉は誰にも開けさせないというような頑なさを感じた。

わたしはあのひとが辞めると聞いたときに、思い切ってあのひとを飲みに誘った。
最後の思い出づくりがしたかったのだ。
そしてこれまた最後だからと思って、酔った勢いで何かあったのですか、と聞いてしまった。最後の扉をノックしてしまった。
あのひとはいやぁ、と言いながら笑ってごまかした。そのまま口元が固まった。
わたしはあのひとの口元を見た。ずっと見ていると変だからたまに目をそらしたけれど、あのひとの歯並びが綺麗なところにもさらに好感が持てた。
変な空気が続くと困るので、わたしはお酒を頼んだ。純米大吟醸の飲みやすいやつで! と店員さんに叫んだところまでは覚えている。この日はかなり酔っ払ってしまって、その後の記憶がない。
はっきりしているのは翌朝の二日酔いと全身のだるさだった。朝起きて鏡を見ると泣き腫らした目をしていた。

鏡の前の自分はすんごいブサイクな顔をしていた。
例えるなら、死にたてのゾンビだ。しかし爪は変わらず綺麗だった。
2リットルペットボトルの水をラッパ飲みしてしばらくうなだれ、昨日のことを思い浮かべようとして思い出せずに悶絶した。
ああああああ。何を言ってしまったんだろうぅぅ。
怖くてしばらくスマホを見られず、30分ほどしてからスマホを見たら、あのひとからメッセージが入っていた。

「昨日は遅くまでありがとうございました! 楽しかったです! ゼミ頑張ってくださいね!」
当たり障りのないメッセージで、それはわたしの何かのエネルギーをこそげ取った。

わたしは何のために自己啓発ゼミに入ったんだったっけ。
ええと、転職活動の一環ではじめて、それからゼミの課題にハマって……。
で、いまの自分の人生は、なにか進展があるんだろうか?
いや、その、まだ準備中だから……ええと……。
頭の中で自分会議が始まった。自分はかなり劣勢な立場に追いやられている。

いつのまにか、課題を出して褒められることが目的になっていたんじゃないの?
そうかもしれない。
自己の成長とか転職とかはいつのまにか二の次になっていて、誰かに認められたいがためにゼミの課題に夢中になっていたのかもしれない。
しかし、人生は自分で切り開くもので、誰かに開拓してもらうなんてことはありえない。
わたしはいつのまにか楽な道を選んでいたんじゃないだろうか。
ああだこうだと理由をつけて「このままでいいかも」と思考停止して、将来設計など考えないで楽な方へ身をまかせていたんじゃないだろうか。

わたしは、そんな自分のいやらしさに猛烈に恥ずかしくなった。
爪の綺麗さが自分の浅はかさをあらわしているように感じて、すごく恥ずかしかった。

しばらく爪を見ていると、涙が出てきた。あまりにも自分が情けなくて、泣けてきたのだ。
あのひとはわたしがすんごいブサイクな顔をして泣いているなんて、爪の綺麗な死にたてのゾンビになっているなんて思いもよらずに自分の人生を歩んでいるのだろう。

わたしは泣きながらあのひとの言葉を反芻した。
雪みたいな言葉。
わたしはあのひとからもらった言葉をただ溶かすのではなくて、かまくらなり雪だるまなり、自分の中で何かの形にしたいと思った。
振り返ると自分自身の恥ずかしさに悶絶死しそうになるが、悶絶を乗り越えてでも大事にしたいと思った。

昨日は、酔っ払ってしまいすみませんでした。
いろいろ大変だと思いますが、あなたも頑張ってくださいね。
わたしも、初心に返って頑張ります。

なんとかエネルギーを振り絞ってこんなメッセージを返した。
そういえば、爪の綺麗さについては何も言われなかった。

❏ライタープロフィール
たけしま まりは
1990年北海道生まれ。國學院大學文学部日本文学科卒業。高校時代に山田詠美に心酔し「知らない世界を知る」ことの楽しさを学ぶ。近現代文学を専攻し卒業論文で2万字の手書き論文を提出。在学中に住み込みで新聞配達をしながら学費を稼いだ経験から「自立して生きる」を信条とする。卒業後は文芸編集者を目指すも挫折し大手マスコミの営業職を経て秘書業務に従事。
現在、仕事のかたわら文学作品を読み直す「コンプレックス読書会」を主催し、ドストエフスキー、夏目漱石などを読み込む日々を送る。趣味は芥川賞・直木賞予想とランニング。READING LIFE公認ライター。

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2018-10-15 | Posted in 死にたてのゾンビ

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