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週刊READING LIFE vol.69

おばあちゃんが死んだ《週刊READING LIFE Vol.69 「とにかく私を泣かせてくれ」》


記事:一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「おばあちゃんが亡くなった」
 
電話を取ると、母親が言った。
 
別に驚くことではなかった。おばあちゃんは、もう95歳だったのだから。
 
30年住んだ千葉県内の賃貸アパートが取り壊しになるという話が浮上したタイミングで「新潟に帰りたい」と言い出して、父親が見つけた新潟県内の老人ホーム(ケアホーム)に、数年前に引っ越した。
 
引っ越したばかりの頃は「要介護1」認定されたとはいえ、90歳とは思えないほど元気で、会いに行くと世間話から施設のグチまで、色々な話をした。
 
「ここ(ケアホーム)は三食食事付きだし掃除もしてもらえるから、家事は何もしなくていいし、24時間エアコンがついてて快適。逆に、窓を開けるのは禁止だし、ちょっと買い物に行くのも一人じゃだめ。これじゃボケちゃうよ」
 
しばらく経つと、おばあゃんは本当にボケ始めた。
 
千葉に住んでいた頃は、訪問すると、
 
「かなちゃん! 元気にしてた?」
 
と私を歓迎して、色々なごはんを食べさせてくれたおばあちゃんは、居なくなってしまった。
 
それは、亡くなる2年ほど前のことだ。
 
父親とともに私がおばあちゃんの住むケアホームの一室を訪問すると、彼女は椅子に腰掛けたまま「これは誰だろう?」と考えている表情で私に目を留めた。言葉もなく、数秒が経過した。
 
父親が「お母さん、今日はかなこも来ましたよ」と声をかけると、ワンテンポ間を置いてから「ああ、かなちゃんね。これはこれは」と、分かったような分からないような目をした。
 
93歳にしてはシッカリしていた。会話のキャッチボールはまあ出来たし、日常生活のあれこれでケアホームの介護員さんの手を煩わせることもほとんどなかった。その日は体調があまり良くないからと外出は控えたが、前月には父親と寿司を食べに行ったという。元気なおばあちゃんだった。
 
あの日、電話口で唐突に、
 
「おばあちゃんが亡くなった」
 
と言われて「そうか、死んじゃったか」としか思わなかったのは、2年前のそんな出来事があったため……だと思う。
 
「年齢も年齢だし、身内だけだから、お通夜はなしで、葬式だけね」
 
電話口の母親は言った。そうだね、と私はうなずきを返す。
 
95歳。女一人で四人の子供を育てて、教師の仕事を60歳で定年退職して35年経って、親しかった友人や親族も、多くは既に鬼籍に入っていた。葬儀に呼ぶべき人は、ほとんどいなかった。
 
年齢も年齢だから。
 
10名にも満たない身内だけで行われた葬儀。その場でも、自然と「よく生きたね。寿命をまっとうしたね」という話になった。誰も泣かなかった。諸々を一手に引き受けていた喪主の父親には疲労の色が見えたが、それ以外の参列者は、みな淡々としていた。
 
おばあちゃんが死んだ。
 
電話口で聞いて「そうか」とあっさり受け止めたその情報は、花に覆われたご遺体を見ても、お坊さんのお経を聞いても変わらず、ただの情報であり続けた。葬儀場から火葬場に場所を移して、ご遺体を火葬して、お骨を拾って骨壷に入れて……。用意された手続きに沿って、私たちは淡々と「最後のお別れ」を進めた。
 
親族として、火葬場まで同行してお骨を拾うのは、私にとって初めての経験だった。
 
40分ほどの火葬が終わると、私のおばあちゃんという一人の人間の存在はこの世から完全に消えて、白い骨が残されていた。不思議な感覚だった。
 
おばあちゃんは、もうこの世界に居ない。
私の存在を無条件に歓迎してくれたあの人は、もう居ない。
 
白い骨を見ながら、私の心にさざ波が立ったのは、そんな思いが頭をよぎったからか。いや、初めて見る人骨のインパクトが大きかったのか。どちらなのか定かではないが、ポッカリと穴が空いたような、とらえどころのない感情が、自分の心を揺らすのを感じた。
 
彼女の魂が入っていた身体という「容れ物」を燃やして残った骨。身体は燃やされて煙になり、天に昇る。たぶん魂も天に召されたのだろう。残った骨は、墓に埋葬され、土に還る。日本で多く行われる「弔い」の儀式について、深い考察をしたことはないけれど、なんとなくそんなふうに理解した。
 
白い骨はその後、私たち親族がひとつずつ拾い、骨壷に納めた。
 
お骨の量は思ったよりもずっと多くて、けっこうな時間を要した。火葬場の人曰く、健康な身体だったことがうかがえる骨の量だったとか。親族同士で「骨壷に入りきるかな」「最後はまとめて入れましょう」なんて会話をしながら、私はようやく「おばあちゃんとのお別れ」をただの情報ではなく、実感を持って受け止め、我が事として引き受けることができた気がした。
 
新潟からの帰り道、新幹線で車窓を眺めながら、何度もおばあちゃんの眠る顔と、お骨の白さを思い出した。もう、生きたおばあちゃんと会うことはできないのだ。そう思うと、胸がぎゅっとなった。
 
そのとき、ようやく気がついた。
 
ああ、私は悲しいのだ。
 
涙は出ないけれど、悲しいのだ。
 
いっそのこと泣いてしまえれば良かったのに、泣いてしまえればきっともっとすんなりと消化できるのに。
 
そんなふうに思っても、涙はやっぱり出なかった。ただ、静かに受け止めるしかない。そう覚悟を決めて、故人の不在に向き合って、思いを巡らせて、悲しんだ。
 
「葬儀や埋葬といった「弔い」は、故人のためというより、残された遺族のためのものだ」
 
葬儀業界で働く友人が昔、そんなことを言っていた。
 
葬儀の帰り道と、翌日以降のしばらくと、四十九日や百カ日などの法事と……、「弔い」の時を重ねるうちに、だんだんと「悲しみ」は私の体に馴染んでいった。胸がぎゅっとなることは、もうない。それでも、静かな悲しみがある。
 
悲しみは時が癒してくれる。そんな時の流れを刻む行為として、弔いごとがある。
弔いごとは、故人のためといより、残された遺族のためのもの……言いえて妙だと思う。
 
弔いを通して、おばあちゃんのことを思い出すことが、なんだか生前よりも増えたような気がする。涙にならない静かな悲しみは、長い時間をかけて、故人との関係性を醸成させていくのだろう。
 
おばあちゃんは死んだ。
 
悲しいけれど、涙は出なかった。

 
 
 
 

◽︎一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
日本で5年働いた後、シンガポール移住。あちらで5年働いた後、日本帰国。たまに東南アジアに帰りたくなりつつ、日本の空を飛んでます。

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2020-02-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.69

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