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週刊READING LIFE vol.73

記憶から抹殺したいくらい嫌いな人を抹殺できない訳《週刊READING LIFE Vol.73「自分史上、最高の恋」》


記事:琴乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この記事は一部フィクションです。
 
 
20年以上前の出来事だった。
 
夜10時に差し掛かろうとしていたとき、誰かがドアをノックした。
 
私は旅行会社勤務にしていて、仕事で数名のグループの添乗員としてオーストラリアを訪問中で、ホテルの一室にいた。
 
ノックの音が聞こえたその時、私はシャワーを浴びて一日の疲れを落とした後、ベッドの上で業務日誌を書いていたところだった。
 
「こんな時間に誰だろう」
 
不審に思いながらベッドから降りて、ドアの魚眼レンズを覗くと、そこに立っていたのはグループのお客様の一人で父親と同世代の男性Aさんだった。私は半ば不審者じゃなかったことに安堵し、ドアを10センチ程開けた。
 
「なにか問題でもありましたか?」
 
少し間があった後、Aさんは下を向いて後頭部を触りながら言った。
 
「ヘアドライアーが壊れたので貸してもらえませんか」
 
「そんなことくらい、ホテルのフロントに頼めば良いのに」と内心思ったが、添乗員は雑用の仕事も多い。それに、Aさんがきちんとスーツを着ているのに対して私はすっぴんでパジャマを着た無防備の姿がいたたまれなく、とにかく目の前の客が早くその場から立ち去ってほしいという思いで、相手の要求に応えるためにヘアドライアーを取りに行った。
 
頼まれた物を依頼者に渡そうとした時、両肩を掴まれた。次の瞬間にAさんは力任せにその口で私の口を塞いだ。
 
私は何が起こっているのか全く理解できなかった。声を上げようにもその状態では何もできなかった。
 
気が付いたらベッドに押し倒されていた。それまで自分はやわな女ではないと思っていた。中学時代は学校で一番厳しいと言われていた運動部に入っていたし、弟がいたから、体の大きさを抜かされるまでは取っ組み合いの喧嘩もしていた。だから、できる限りの力で反抗し、その男を払い除けようとした。しばらく抵抗を続けていたが、悔しいかな、私の力ではその男をどうすることもできなかった。そしてこの苦痛は私が抵抗をやめない限り終わらないのだということに否応なしに気がつかされた。
 
怒り、恐怖、悔しさ、情けなさ……様々な気持ちが入り混じった。
 
でも絶対涙だけはを見せるものかと思った。どれくらい抵抗して時間が立ったのだろうか。私が力尽きて諦めた時、体は不快感に襲われていたはずのに、複雑な感情は次第に麻痺していき、無感覚になっていった。まるで、頭と体が切断されたかのようだった。
 
私はベッドの上にただ横になって、目を閉じ、男の行為が終わるのを待つことしかできなかった。
 
その間からしばらくの間の私の記憶はない。ただ、ショックで眠ることができなくて朝方まで起きていたことだけは覚えている。

 

 

 

Aさんは朝になる前に自分の部屋に戻った。正直、翌日仕事をする気力なんて残っていなかった。またAさんと顔を合わせるのが嫌だった。だが、Aさんはお客様のため無視することもできなかった。昨日のことを日本の上司にに伝えるべきなのか、考えに考えたが、何をどう話していいのかわからなかった。上司がどう私に指示するのか、それを聞くのも怖かったからだ。言っても恥を晒すだけで無駄なような気がして、誰にもこのことを打ち明けることができなかった。
 
というのも、私はその事件が起こる以前に、駅から自宅までの間に、変質者に背後から抱きつかれたことがあり、翌日最寄りの駅前の交番に届けを出しに行ったことがあった。だが、対応した警察官はニヤけた顔で、
 
「よくあるんですよね」
 
とだけ言って、何もしてくれなかった事があり、それが悔しく忘れられなかった。唯一頼れると思っていた警察も頼りにならない。被害にあったことを口に出すことで自分の恥を晒すだけで、誰も守ってくれないということをその時に思い知ったのだ。
 
他のお客様もいるし、旅程はまだ2日ほど残っていたので、私はずたずたになった体と心を奮い立たせて翌朝普段どおりにスケジュールをこなした。
 
そして、信じられないことに、その日以降私はAさんの彼女になった。

 

 

 

翌日からAさんは、私が自分の彼女のような態度を示し、言葉でもそのようなことを言った。今思えば、あの夜、ショックのあまりに記憶が曖昧の際に、Aさんが私に好意があることを伝えてきて、わたしも何らかの返事をしたのかも知れない。よく覚えていないし思い出したくもない。ただ、私はAさんのそのあまりに自分勝手な解釈に怒りを通り越して呆れ果てていた。そして、私は自暴自棄になった。
 
旅程が終了すれば、相手もほとぼりが冷めるだろう、ただ体だけが目当てだったのだろうと襲われた後は思っていた。私にとって、その夜のことはできることなら記憶からえぐり取りたいくらいの悲惨な出来事だった。だが、その後Aさんは、あの夜の出来事を挽回するかのようなの紳士的な行動を私に示した。
 
襲われた翌日は、仕事上で現地駐在員の男性と夜打ち合わせの予定だったのだが、
 
「駐在員には下心があるかも知れないから、打ち合わせに行くな」
 
とAさんは私に言った。
 
私はどの口が言っているのかと内心呆れながら「仕事ですから、大丈夫です」
と言い残し、駐在員との待ち合わせ場所のレストランへ向かった。打ち合わせが終わり、店を出たときだった。Aさんが忠告したとおり、現地駐在員は、私の手を取って人気のない路地裏へ引き寄せようとしたのだ。私は昨晩のこともあり一瞬恐怖に襲われたが、すぐに駐在員の男の手を払い除けた。
 
現地駐在員は「君もそのつもりで来たんじゃなかったの?」とまるで、全ての女性が行きずりの性行為を望んでいて、自分の行動を正当化するような言葉を吐いた。
 
私は怒りで唇をかみしめて相手を睨みつけ、無言で踵を返し、その場から逃げるようにしてホテルに帰った。私が息を切らしてホテルに着くと、Aさんがホテルのロビーで私を待っていた。私の悲壮な様子を察して、ロビーにあったセルフサービスのハーブティを入れてくれて、話を聞いてくれた。「だから行くなといっただろう」と少し怒った様子だったが、色々話を聞いてもらううちに私の気持ちも落ち着いてきた。昨日襲われた相手に気を許して、今日受けたセクハラを聞いてもらうなんて、どう考えてもありえないことだ。だが、2日連続で自分の知らない土地でこういったことを経験し、精神的に追い詰められてしまうと、昨日の敵は今日の友で、誰でも良いから自分に寄り添ってくれる人に頼りたいと思ってしまったのだ。
 
こうして、気が付いたらAさんの匠な口車に乗せられ、それ以降、私は彼と付き合うことになった。これを読んでいる方は、自分を襲った人を許し好きになるなんてばかじゃないのかと思うかも知れない。しかし、Aさんが私を愛してくれて大切に思ってくれているならば、その夜の出来事がレイプだったと思いたくないと言う、今思えば許せないほど弱い私がいたことも事実だ。
 
Aさんの大人の安定した包容力と優しさ、そして何よりも、私の気持ちを私以上に知っていることに気が付いた時、私は徐々にその人柄に引かれていった。Aさんと話していると、まるで鏡に写った私と話しているような感覚になった。Aさんは私の心の中を見透かしたように、私の潜在意識を言語化した。それまで、私はまともに男性と付き合ったことがほとんどなかったし、付き合いが続くこともなかった。私の今までの付き合いは、子供のままごとのようなものだった。相手に嫌われることを恐れて、本当の自分を出せずに不自然な自分を演じ、結果、3ヶ月ほどで振られるということの繰り返しだった。だが、Aさんは私の悪い部分もひっくるめて私を好きになってくれた。いかなる自分をさらけ出しても彼は私を嫌いになることはなかった。
 
Aさんは、私が短大卒だと知ると、大学に戻って学位を取るように勧めた。私自身も四年生大学に行けばよかったと少し後悔していたときだった。その時、仕事を辞めることは考えていなかったので、通信制の大学の英文学部に編入した。Aさんが授業料の援助をしてくれたこともあった。ビジネスマンとして成功し、経済的にも余裕があったAさんは私にとってあしながおじさんのようでもあった。
 
また、Aさんはアメリカへの留学経験もあり、英語も堪能で博学だったので、大学のレポートなどでわからないところを教えてくれたりもした。
 
Aさんと付き合い出して2年が経った頃だった。私は通信制の大学で四年生の大学の学士の学位を取得した後、30歳を目前にしてイギリスへ留学することにした。イギリスでは大学の聴講などをして1年ほど滞在するという、特にこれと言った目的のない留学だった。しかし、そこで出会った海外の友人達は、私よりも英語力を計るテストでは点数が下だったが、大学院に進む人が多かった。自分が大学院に行くことなど考えたこともなかったが、友人達が大学院に行けるなら、私にもできるかも知れないと思った。急な進路の変更で滞在期間も延長することになったが、両親の理解を得て、私も大学院を受験しイギリス中部の大学の「女性と文学」の大学院のコースに合格した。
 
Aさんにそのことを電話で伝えるととても喜んでくれた。だが、
 
「女性作家の作品を勉強するんだけど、女性学も基礎を学べるみたい」
 
と私が言うと彼はこう答えた。
 
「女性学はあまりのめるこむと嫌がられるぞ」
 
そんなような会話をしたことを今でも覚えている。
Aさんも私が勉強して知的な女性になることを応援してくれていたのに、この場において、勉強する内容によっては嫌がられるとはどういうことなんだろうか。彼自身がフェミニストを嫌っているということなのだろうか。ずっとAさんのその言葉が魚の小骨が喉の奥に引っかかったような感じで不快に心に残った。
 
その後、非常に苦労したが、私は、修士論文を書き上げて、修士課程の学位を取得した。
 
イギリスの大学院で学んだことは、私に新たな視点を与えることになった。英文学をフロイトなどの心理分析者の理論で分析することも学んだが、女性学の視点として、今まで当たり前のように思っていたことが、そうではなかったことをに気が付いたことは大きかった。以前は欧米諸国でも女性は選挙権が認められていなかったり、教育も男性と同じように受けることができなかったり、不当に差別されていた歴史があった。それらの当然である権利を女性が自らの手で勝ち取ってきたのだ。そういう視点で物事を考えると、今まで当たり前に受け入れていた日本社会が、いかに男性中心で回っていて、女性が虐げられてきたのか、そして現在もまだ問題があることに嫌でも気が付かされた。
 
また、女性学を学ぶことは真実を見る目を養うことだと思った。今では信じられない話になるのかも知れないが、留学後、20年前に就職した企業での話だが、クールビズが導入された時期に、社内の設定温度を上げるため、男性は半袖のシャツでボタンを外して首元を涼しくしても良いとされた。一方で女性は制服着用だったが、ボタンは愚か、ネクタイもきっちり巻いておかないといけないというお達しがあった。その男女の対応の差に気が付き、同僚におかしいと話したが、誰一人としてそれに賛同する人はいなかった。これは一例であり、他にも目につく不当な出来事があった。「井戸の中の蛙」という言葉があるが、こういう歪んだ風潮の社会の中で生活していると、女性自身も不当な出来事が起こっていることすら気が付かない事があるのだ。気が付いても、声を挙げた場合にどういった処遇をうけるか考えると、行動に移せないというのもあったのかも知れない。だが、私は一旦井戸の外に出てしまったために、日本の男女の性差別が嫌というほど目についた。

 

 

 

私は日本に帰国した後、Aさんが経営する企業に就職した。帰国後なかなか就職が決まらなかったため、彼の申し出を受け入れしばらくそこで働いた。しかし、私の彼への気持ちは冷めていた。女性学を学んだことで、合意の無い強制的な性行為は、いかなる理由であれ卑劣で許されるべきことではないということを改めて確信したからだ。
 
帰国後、別れ話をしたわけではなかったので、二人だけの空間だと、以前と同じようなのりで、Aさんは私に性的な発言をすることがあった。私の気持は冷めていたので、そういった言葉は不快にしか取れなかった。
 
私は、もう我慢する必要がないのだと自分に言い聞かせ
 
「セクハラで訴えますよ」
 
と冷静にAさんに言った。
 
Aさんはこう答えた。
 
「そんなことをしたらお前を潰す」
 
それを聞いて背筋が凍った。Aさんは反抗する私をパワハラで処理しようとした。私は翌日退職願いを出した。

 

 

 

それ以来私はAさんには会っていない。
 
時々、Aさんとの最初の夜を思い出して死にたくなることがある。思い出すたびにできることならばAさんとAさんに関する記憶を全て抹殺したいと心の底から思う。どうしてあんな人を好きになってしまったのだろうかと今でも自分を責めてしまうことがある。しかし、Aさんとつきあっていなかったら、大学卒の資格を取得することもなく大学院に行くこともなかっただろう。だとすると、今のように真実を見る目、すなわち女性学の観点から物事を見ることはなく、不当な男女差別に気づくこともできず、セクハラや痴漢、パワハラも泣き寝入りするしかないという勝手な持論を抱き、弱者のままで年を重ねることになったのだと思う。真実を見る目は自分のアイデンティティの一部であり、わたしにとって非常に大事なものだ。だから、私は思い出せば嘔吐しそうになるあの日の記憶を未だに捨て去ることができずにいるのだ。
 
 
 
 

◽︎琴乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
昨年8月より天狼院書店のライティング・ゼミに参加。その後、同書店ライターズ倶楽部にて書くことを引き続き学んでいる。

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2020-03-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.73

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