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週刊READING LIFE vol.76

壊すことばかり考えていた私を変えた部長からのひと言《週刊READING LIFE vol.76「私の働き方改革~「働く」のその先へ~」》


記事:いちのせ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「いっそのこと、壊してしまおうか」
 
そう思ったことは、一度や二度ではなかった。
IT企業に勤めて3年目になる私は、毎日のように、「壊してやりたい」と思っていた。
何か革命でも起こすつもりだったのか。いいや、違う。そんな大きなことをするつもりなど、微塵もない。
ただ私は、IT企業に勤めている身としては、右手の一部といっても過言ではないノートPCを睨みつけ、本気で「壊してやりたい」と思っていたのだ。
いや、むしろ「壊してやりたい」と、実際に口に零していた。これさえなければ、これさえ壊してしまえば、と。壊れて使い物にならなくなったPCの姿を想像し続けていたのである。
このPCを高く持ち上げ、力の限り振り落としたら、どれだけ気持ちいのかと、想像し続けたのである。
 
気でも狂ったか。
そう思われてもよかった。むしろ、そう思ってくれとさへ願っていた。

 

 

 

その日も私は、「これさえ壊してしまえば」とPCを睨みつけていた。
「どうしたん? そんな怖い顔して」
ちょっと胡散臭く感じる関西弁に顔を上げると、直属の部長が隣に立っていた。部長は、気兼ねなく接することのできる数少ない上司だった。
だから私は、このときの心の声を、包み隠すことなく口にした。
「このPCをどうやって壊そうかと考えていました」
「お前、ちょ、怖いわ!」
「これさえなければ、仕事しなくてもいいのかなって思っただけなんですけど」
「あかん。流石にそれはあかんて!」
ギョッとしながらも、間髪入れずにツッコミを入れた部長に、「じゃあ、どうやってこの怒りを抑えればいいっていうんですか」といいそうになる口をなんとか結んだけれど、思考は憤りに満ちたままだった―――

 

 

 

もともと、私には“働きたい欲”というものがあまり備わっていなかった。それでも、社会で生きるためにはお金が必要で、やむを得ず、といった意気込みでIT企業へと就職したのだった。
もちろん、就職したあとも、「働くのって楽しい!!」と思ったことは一度もなく、こなすべきだからこなす、というスタンスのもとで仕事をこなしてきた。
入った会社は、ブラックとまでは行かずとも、ブラックに片足一歩を踏み入れたグレーな会社だった。
残業は当たり前。終電で家に帰ってもPCの電源を入れて仕事をすることが当たり前。深夜の1時でも上司から電話がかかってきて「すまん、今からこの仕事できる?」と仕事の依頼が入ってくる。(幸いにも、残業代はちゃんと入ってきたため、完全なるブラック企業ではなかった、と思っている)
やむを得ず就職したくせに、元々の猫かぶり気質のせいで、“NO”といえない日本人であった私は、深夜、早朝の仕事依頼でも二つ返事で引き受けていた。
働きたくない、やる気が出ない、と思いながらも、その時の私は、自他ともに認める従順でこきを使いやすい社畜でしかなかった。
 
月の残業時間が100時間を上回ったときもあった。
毎日、深夜4時まで寝ずにシステムの動作確認作業をやっていた時期もあった。
溜まりに溜まった疲労が原因で顔の左半分に炎症ができ、「無理な仕事の仕方はやめてください」とドクターストップがかかったときでさえ、「この日だけだから、お願い!」と、夜勤を1日だけでなく4日間もやったものだ。
終いには、夜勤明け、「具合が悪いので休みます。申し訳ないですが、今日の作業をお願いします」と二日酔いで体調不良になった先輩の作業も引き受けた。
「吐いてでも出社しろよ」と思いながらも、「承知しました。お大事になさってください」と答える自分に嫌気がさした。
もはや、何に怒りを感じるべきかさえわからないほど、当時の私は、腸が煮えくり返っていた―――

 

 

 

「PCは、壊したらあかんからな。ほら、代わりにこれやるから、落ち着いて」
残りカスしか入っていない菓子袋を差し出してきた部長に、「お気持ちだけいただきます」と返した私は、静かに息を吐き捨てた。
本音をいえば、溜まった不満を爆発させたかったが、残念なことに、部長は社内でも有名なワーカーホリック体質であり、従順な社畜の私よりも有能な社畜であったため、怒りを向けるべき相手ではなかったのだった。
「部長は、なんでそんなに働けるんですか」
「んなもん、金のため以外にないわ。世の中、金が全てやろ」
相談する相手を間違えた。
そう思ったが「まぁ、あれや、今度、飯でも食い行こうや」と、気遣ってくれた部長に私は「お肉が食べたいです」といっていた。
 
部長と焼き肉を食べに行った際、私は遠慮なく仕事の不満をぶちまけた。
なんてことはなく、ただただ、肉を焼き、食べ、くだらない話ばかりをしていた。
「貸した金はな、たとえそれが1円であったとしても、返してもらうまでは地の果てでも追いかけるもんや」
「まるでヤクザですね」
「萬田銀次郎がいうてたんや。ミナミの帝王が、俺のバイブルやからな」
ミナミの帝王、と聞いて、強面の男たちが、借金の取り立てをする映像が頭の中に浮かんだ。
「そういえば半年前に立て替えておいた5000円、まだ返してもらっていませんね」
「あー……忘れてると思って黙ってたのに」
「地の果てまで追いかけますよ」
「お、ちゃんと学習しとるな」
もともと、口を開いたらなかなか閉じない、おしゃべり好きな人ではあったが、特にお金の話をしている部長は生き生きとしていた。
本当に、お金のためだけに働いているんだな、と思わずにはいられないほどに。仕事が好きでなくても、お金への執着心が燃え尽きない限り、部長はがむしゃらに働き続けるのだろうな、と容易に想像できた。
「仕事にもお金にも、そこまでの執着心が持てない場合、どう頑張ればいいんですかね」
「プライベートを充実させてみるとか。プライベートに費やす金を稼ぐためと思えば頑張れるんちゃう?」
「仕事が減れば、プライベートを充実させようと思えるんですが」
「これはこれ、それはそれや」
この人、仕事を減らしてくれる気ないな。
優しいようで薄情な部長にジト目を送りながらも、「これはこれ、それはそれ」という言葉は妙に頭に張りついた。
 
これはこれ、それはそれ。
 
プライベートが仕事に侵食されつつある私は、そのころ、プライベートについて考える時間をほとんど持ち合わせていなかった。
「これはこれ、それはそれ」ではなく、「これはこれ、それもこれ」と、全てを仕事のせいにしていた。
抱えているストレスを、仕事のせいにするだけで、どうにかしようとしていなかったのは自分自身だった。
結局、現状が変わらない一番の原因は自分にある。猫を被り続けてきた自分。文句があるのにいえない自分。プライベートに目を向けようとしなかった自分。仕事が嫌いなくせに、仕事ばかりに時間を費やした自分。
PCを壊して一時的に仕事から逃れたところで、自分自身が変わらなければ、再び負のスパイラルに飲み込まれる未来は変えられない。
 
本当は、仕事を好きになることが、一番いいのかもしれない。やりがいを持って、生きがいを持って、仕事を苦にせず、生き生きと働けたら、一番いいのかもしれない。
それでも、誰も彼もが、好きな仕事に就けるわけではない。
やむを得ず仕事をしている人だって、いるのだ。私のように。
だからこそ、仕事で溜まるストレスを、減らす工夫と、吐き出す工夫を、しなければならなかったのだ。
嫌な仕事に、生活を、自分自身を、飲み込まれてはいけない。
まず、私がやるべきなのは、PCを壊すことではなく、自分を守ることなんだ、と。
 
守るためにできることって何だろう? と首をかしげた私は、まずは従順な社畜からの脱却を図るべきだと考えた。「仕事だから」、「こなすべきだから」と言い訳しながら猫を被っている自分が、一番に自分を苦しめていると思ったからだ。
納得し、決意し、頷く私に、部長が思い出したように「せやせや」と胡散臭い関西弁を披露する。
「今、新しい案件が入ってきたんやけど、やらん?」
いつもだったら、余裕があろうとなかろうと、引き受ける以外の選択肢を選ばなかった誘いに、私はニコリと微笑み「嫌です」といっていた。
「ちょ、断わんなや!」
「断ります」
「ちょっとは検討しろや!」
「………引き受けたい気持ちは山々ですが、今、余裕がないので、申し訳ないですが、お断りさせていただきます」
「結局、断んのかい!」
部長の人の良さに漬け込み、仕事を断る私は、心に清々しい風が吹くのを感じていた。
間違っても、部長以外の上司に我儘をぶつける度胸はなかったが、たったひとりでも本音をぶつけられる相手がいるという事実が、なによりも重要だった気がする。
残念なことに、断ることを覚えたあとも、仕事が減ることはなかったが、それでも「嫌だ、無理だ」と本音を吐き出すたびに、呼吸は何倍にもしやすくなった。
 
プライベートに関しても、1日のうち、最低でも1時間は、仕事のことを完全に忘れて自分が好きだと思えることに費やす時間を作った。
仕事量がほとんど減らない状況でプライベートの時間を確保したことで、睡眠時間が減り、体力的にキツく感じることはあったけれども、鬱々としていた気持ちが少しずつ晴れやかになっていくのを感じた。
時々、仕事の昼休憩、昼食を10分ほどで済ませて、残りの休憩時間を会社近くのファッションビルで買い物をして過ごしたりもした。
仕事と仕事の合間に、プライベートの時間を作ると、少し悪いことをしているような、社会に歯向かっているような感覚がして、ちょっとばかし清々しい気分になれた。

 

 

 

怒りや不満ばかりを抱えていると、どうしてか視野は狭くなり、どうしてか現状を打破するために有効な一手を思いつきにくくなる。
PCを壊してやりたい、とばかり考えていた私は、部長の「これはこれ、それはそれ」という些細なひと言で、全てを仕事のせいにしていたことに、ようやく気がつくことにできたのだ。
本当に、小さな気づきを得ることさえできないほどに、怒ってばかりだったのだと、思い知らされたのだ。
会社を退職し、新しい職を得た今でも、「これはこれ、それはそれ」精神を胸に、怒りを減らし、吐き出し、プライベートを確保した生活を送っている。
 
かつて、いつ壊されても可笑しくなかった13インチのノートPCは、今でもキレイな姿のまま家の片隅で眠り続けている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち。
元システムエンジニア。現在、クリエイターとして革小物を中心に制作活動をする日々を送る。

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2020-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.76

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