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週刊READING LIFE vol.76

起業という働き方改革《週刊READING LIFE vol.76「私の働き方改革~「働く」のその先へ~」》


記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「ピッピピピッピピ♪」
 
午前2時頃、携帯の着メロが鳴り出した。「ハァ……、また何か有ったのかな」。眠い目をこすりながら電話に出ると、夜勤中の部下がすまなそうな声で話し出す。
 
「遅い時間にすみません。あの、さっき冷却水の圧力が低下して、生産ラインが停止しました」
 
「どのラインが停止したの? ポンプの状態は?」
「○○工程です。ポンプは自動で2台から3台運転に切り替わったんですけど、それでも圧力が上がらなくて。大量に水が漏れたようで、圧力が上がらないんです。このままだとポンプが全部壊れる危険があるので、ポンプを停めてもいいですか?」
「うん、お願い。すぐ行くから、とにかくタンクに水を貯めて」
 
着替えて、車で30分程の勤務先の工場へ向かう。
夜勤は人数が少ない。皆対応に必死な状況で、経過をあれこれ聞く訳にもいかない。それに、電話ではなかなか状況が分からない。従って現場に行った方が手っ取り早いのだ。
 
工場に到着し、部下から詳しい状況を聞き、現場を確認する。状況を判断し、生産部門と何時頃生産再開できそうか、連絡を取り合い、トラブルの発生経過と対応を簡単にまとめ、部長へ一報を入れる。
 
それにしてもだ。何だってこういうトラブルは、真夜中とか休日に限って起きるんだろう。こんなことは、一度や二度ではない。旅行先でも、電話は容赦なくかかってくる。そうなると、楽しい気分どころではなくなってしまう。そんな時、「あー、管理職なんてなりたくなかったな」と思うのだ。
 
突然のトラブルが起きた時ばかりではない。台風が来れば工場で徹夜で待機、地震があれば、点検と復旧のために工場へ駆けつける。
 
さらには、生産が休みの時にしかできない点検があるから、大晦日や元旦は大抵仕事だ。
 
そんな職種を選んだのは自分だから仕方がない。もともと好きな仕事だから、一旦現場に駆けつけてしまえば、「よーし、やってやるぞ」と腕まくりして、テンションは上がるし、無事問題が解決すれば、対応した全員と達成感や連帯感を分かち合える。なんだかんだ言っても、その場に居れば楽しい。
 
けれども、一方でこの24時間365日気の抜けない毎日に疲れていたのも事実だ。おまけに、管理職になってからは、部下との面談、時間外に行われる会議や研修等の業務が増え、帰宅するのは午前0時を回ることなどしょっちゅうだ。休日といえども、当番で出勤しなければならない日があるし、社員同士の交流を深めるためのスポーツ大会があれば、管理職の参加が義務づけられ、自分の時間は奪われてばかり。本当にもう、管理職だって人間なんだぞ! そんな思いをずっと心の底に抱えていた。
 
それから数年して、私は中国の国有企業へ転職した。
 
ばかでかい工場を、通常の工期の半分で完成させるという、前代未聞の目標を前に、がむしゃらに働いた。労働時間だけを見たら、日本に居た時以上に働いたと思う。けれども、日本で働いていた時ほど、疲労感を感じなかった。日本に有りがちな「事前の根回し」、「調整」みたいな「どうでもいい非生産的な仕事」は無く、自分の本来の業務に集中できたからだろう。もともと好きなことにはのめり込むタイプだから、好きな仕事をしていれば疲れなかったのだ。
 
しかし、そうは言っても自分の時間が無いことに変わりはない。中国に渡ってから、週休1日を6年以上続け、日曜日は洗濯と掃除をしたら、もう半日過ぎている。おまけに、日本と比べて法定休日が少なく、長期休暇は春節と国慶節だけ。あとは3連休が年に数回あるだけだ。日本で「プレミアムフライデー」だの「働き方改革」だのといったニュースを見聞きすると、何だか妬ましく思える。もう、そろそろこんな生活スタイルも限界だなと感じていた。
 
趣味に費やす時間だって欲しいし、旅行にも行きたい。自分の時間を自分でコントロールできる生活をしたかった。
 
そんな「時間の自由」を得るために、帰国後、私は独立した。
 
これからは全部自分の時間だ。特別な用事が無ければ、朝は何時まで寝ていたっていいし、突然「定時までにこれをやってくれ」なんて、誰かに命令されることもない。トラブルが起きて呼び出されることも無い。
 
独立してから人に会うと、「以前と比べて、表情がすごく柔らかくなりましたね」と言われるくらい、ストレスから解放されたのだ。
 
そして独立して3ヶ月。私は、この3ヶ月、趣味に時間を割いたのは半日だけ、旅行にも行っていない。だらだら朝寝坊もしていない。朝から晩まで、ほぼ1日パソコンに向かって仕事をしている。気分が乗ってきたら明け方までやってしまう時もある。土日も関係無い。実質労働時間は会社で働いていた時よりも増えている。
 
おまけに、通勤時間という「隙間時間」がなくなったせいで、読書もしていないし、それまで続けていた中国語の勉強もしていない。それまでは、会社で仕事をしている時間と、それ以外の時間が明確に分かれていた。起業したら、その区別が無くなって、ほとんどの時間を仕事に費やすようになった。
 
当たり前のことだが、起業したての頃など、「全部自分の好きに使える時間、のんびりしよう」なんてパラダイスみたいなことがあるわけない。自分が働かなかったら収入は得られないし、働いたからって収入が得られる保証も無い。
 
お客様へサービスを提供する仕事だけでなく、安定した収入を得ていくために集客もしなければいけないし、自己投資をして自分自身の価値を上げていくための勉強も必要だ。もう本当に、やることが多いのだ。
 
幸いにも、私は自分でやると決めた仕事は好きなことだし、こんな私にもお金を払ってくれるお客様がいる。こんなコンテンツを提供したら、役に立つんじゃないかと考えて制作していると、あっという間に時間が過ぎていく。そうなると、集客のための仕事が疎かになる。
 
集客用のwebページを1つ作るのにも時間がかかる。専門のwebデザイナーに外注できるほど収入に余裕が無ければ、まずは自分で作るしかない。ITのちょっとした操作でつまずくと、これがまたあっという間に時間が過ぎる。「色使いはどうしようか?」、「フォントはどうしようか?」等と、内容とは直接関係の無い部分で時間を取られる。
 
自分の思いや自分の商品のことを知ってもらうために、SNS等を使って発信もしなければならない。で、そのための記事を書いていると、これまた時間があっという間に過ぎるのだ。本当にいくら時間があっても足りない。
 
今の私は、間違いなく、独立してからの方が会社員時代よりも長時間労働をしている。けれども、なぜだか心も体も疲れていない。以前のように、「自分の時間」が欲しくてたまらないということもない。仕事が趣味のようになっていると言うのだろうか。もともと仕事は好きなタイプだったが、組織に居れば、やりたくない事もやらなければならない。私はそれが嫌だった。
 
きっと、好きな人とだけ関わって、好きな仕事だけをしているから、1日中仕事をしていても疲れないのだろう。そう思っていた。でも、最近それだけじゃないことに気づいた。
 
お客様と接している時も、集客のための仕事をしている時も、「働いている」という感覚がないのだ。それは、自分が「働く人」から「商品」になったからだ。私という商品を受け取るお客様が望む未来を得られるように、そして、私という商品に気づき、選んでもらえるように、やるべきことをやっている。そんな感覚だ。
 
私は自分の働き方に対して、「起業」という選択肢をとった。仕事をしている時間は会社員時代より増えたし、安定した収入があるわけでもない。起業前に思い描いていたような「時間の自由」を得たわけでもない。それでも、自分自身が商品となり、やっていることの全てが自分自身に跳ね返ってくる今の道を選んだことを後悔していない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
6年前から中国で工場建設の仕事に携わる。中国での仕事を終えたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。
もともと発信することは好きではなかったが、ライティング・ゼミ受講をきっかけに、記事を書いて発信することにハマる。今までは自分の書きたいことを書いてきたが、今後は、テーマに沿って自分の切り口で書くことで、ライターズ・アイを養いたいと考えている。

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2020-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.76

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