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週刊READING LIFE vol.76

集中できる奴隷になって二足のわらじの夢を見る《週刊READING LIFE vol.76「私の働き方改革~「働く」のその先へ~」》


記事:綾 乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
本当のことを言うと、働きたくない。
そう書いてしまうと、身も蓋もないので、言い方を変える。
 
「ローマ時代の貴族のように、労働を奴隷に任せて、詩歌を作って生きてゆきたい」
本気でそう思っている。
 
比喩でも何でもない。会社勤めをしないで、小説を書いて収入を得るのが、私の長年の夢だ。
しかし現実はかなりかけ離れている。
私はサラリーマンを20年以上続けている。
 
そもそも私の場合、就職は「経験」を得るためだった。
 
私は高校生の頃から、小説を書いて食べてゆくことを目指していた。
学生時代に作家デビューする人もいるし、もちろんそれに憧れた。しかし、なかなか作品を書かず、当然デビューなんかできないうちに、大学4年になり、就活の道を選んだ。
社会人としての経験は、今後書いてゆく上で必要になるから修業せねばという、前向きな気持ちだった。
ただ、企業に勤務するということに対しては、斜め横を向いていた。社会勉強をさせてもらったら、さっさと辞める「腰掛け」のつもりだったからだ。
「会社を利用するようで、何だか申し訳ないなぁ」と心の中で詫びながら入社した。
しかし、上手くいかないのが人生である。
 
世の中は就職氷河期だった。
マスコミ志望だったが、大手企業からは軒並み「お祈り」通知が届き、二流とも三流とも判別がつかない広告代理店にどうにか拾ってもらった。
 
もんじゃのまちとして知られる月島(つきしま)に社屋があったその会社は、見た目ののんびり感とは裏腹に、入ってみると忙しかった。
コピー取り、製本、コピー機のトナー入替え、トナー発注、紙発注、紙詰まりの対応、会社で蓄積しているデータの出力と加工、郵便物と購読雑誌の収集と配布、マグカップ洗い、コーヒー豆の買出し、古新聞と古雑誌を束ねて資源ごみ置き場へ運搬する……。
これらの仕事を終わらせた後で、ようやく自分の仕事に取り掛かる。そんな日々だった。
 
調査報告書作成してクライアントに提出し、プレゼンをするという仕事だった。
ちゃんと調査しないと報告書を書けない。客前でいい加減なことを言うこともできない。
世間知らずの新人にとっては、とにかく時間がかかる仕事だった。業務時間内には常に終わらず、知らず知らずのうちに、残業が増えていった。
帰宅はいつも夜遅く、食べて寝るだけになった。
せっかくの20代だったのに、アフターファイブもハナ金もあったものではない。
 
さらに待ちに待った休日も、報告書ができていなければ、当然、出社して続きをやった。
運よく仕事に行かなくてもいい週末は、ふだんの睡眠を取り戻す勢いで、ただただ眠った。
彼氏を作っている暇もなかったので、デートに誘われなかったのはさいわい(?)だったが、まるで廃人だった。
 
そして、小説はどうなったかと言うと、書くことはおろか、読むことさえしなかった。
これでは、会社を利用するどころか、会社に利用されている。そう確信した。
 
「私が小説を書かないのは、書く時間がないのがいけないのだ。やりたいことだけに時間をさける人が羨ましい」と身の不遇を嘆き、果ては、練習に専念できる五輪強化選手や家庭を顧みず訓練に明け暮れる宇宙飛行士候補者を無性に羨んだ。
 
そうして、ローマ時代の貴族のように労働を奴隷に任せて、詩歌を作って生きてゆきたい……とうめいた。
 
そのローマ時代の奴隷は、実は現代のサラリーマンと同じようなものだと言われる。青柳正規東京大学名誉教授がそう言っていた。
奴隷と言うと、手足に枷を嵌められ、重い鎖を引きずりながら重い石を運ぶようなイメージがある。だから、そこまでサラリーマンはひどいのかと衝撃を受けた。
しかし、古代ローマの奴隷はそうではなく、意外に労働環境が整っていた。
奴隷は労働に対して主から住む場所と食べ物を受け取り、子供を作るともできたという。
これを聞くと、「ああ、なるほど」と妙に納得できた。
 
なるほど、などと相槌を打っている場合ではない。
やはり私は奴隷ではないか。貴族どころか、真逆の奴隷として自分の時間を犠牲にして会社に奉仕していたのではないか。くやしい、くやしい。私は貴族になる。会社を辞め、ローマ貴族になって、好きな詩歌を作って食べてゆく。貴族だ、貴族になるんだ!
 
と、そこまで単純ではないものの、ほぼ似たような感情を抱いて、10年以上勤めた会社をすぱっと辞めた。
当時、私がいた会社は業績悪化で人員削減が始まり、個人の業務がどんどん増えていった。激務の終わりが見えず、へこんだのもある。
それに、作家になるのだったら「安定」はよくない。頼りない世界に出てゆき、自分を追い込まなくては駄目だと太宰治が好きな私は無頼に憧れて、築いてきた会社人生をあっさり手放した。
これで思う存分、小説を書ける。すがすがしい気持ちでいっぱいだった。
 
だが、そうはならなかった。
退職した時期がいけなかった。真夏だった。クーラーが効いたオフィスに慣れていた私は、真夏の家の暑さを甘く見ていた。
暑すぎて、機械の前に座る気がしなかった。話を作ろうなどという気になれなかった。家でも冷房を入れればいいものを、もったいないのと冷房を好きではないのとで、使わなかった。
それに、失業保険の給付もあるし、もらうものを頂いてからでもいいかなと変な余裕まで出てきた。
 
そうして、1枚も書かないうちに秋が来て、冬が来た。年末になり、年が明けた。
それまでいい加減に就職活動をしていた私に、失業保険の給付が切れる日が近づいてきた。
仕方がないので、真面目に勤務先を探し始めた。
しかしまたしても時期が悪かった。世の中は、リーマンショックで不景気になり、求人は大幅に減った。条件がいいものをほとんど目にしなくなっていた。
それでも、どこかで働かないことには、給料がもらえない。必死になって求職活動をした。
そうして、もらっていた失業保険の金額とほぼ同額のしょぼい給料の会社で妥協せざるを得なくなっていた。
 
自由を得ておきながら、サラリーマンに戻った。奴隷に戻ってしまったのだ。
結局、サラリーマンが楽なのだ。
ローマ時代、奴隷は10年間程度、真面目に労働すれば、主から自由にしてもらえたと言う。それを勝ち取るために、一所懸命働いた。
けれども、年季明けだと言い渡されても、そのまま奴隷としてぬくぬくと一生を終えた人も多かったのではないか……。そんな風に考える。
 
今の会社に勤務してから、早くも10年が過ぎた。
相変わらず、時間がないだの、書くことに集中したいだの、五輪強化選手が羨ましいだのと、進歩がないことを口にする日も多い。
しかし、その一方で小説を書く癖をぼつぼつと、どうにか身に着け始めている。
 
私の場合、小説1本に絞るより、会社勤務をしながらの方が、集中して書けるようだ。いや、私だけでなく、大概の人がそうなのかもしれない。
何かをしながら他のことをするというのは、時間的制約ができるから集中力が高まり、効率があがる。文武両道という言葉は、そのことを上手く表現している。進学校の部活加入率は高く、文化祭と体育祭は盛り上がるものだ。
副業も、相互の集中力を高めるために、理にかなった働き方と言える。
 
反対に、1つのことだけに集中してできるのは、天才だと思う。
才能があるから集中できる環境を手に入れられるのか、集中の天才だから才能を開花することができるのか、それはわからない。
 
いずれにしても、私に集中の才能はない。私は会社勤めをしながらの方が、書いている。
限られた時間で集中できるのももちろんだが、それだけではない。
会社は刺激を与え、世相を見せてくれる。
 
空想の世界ではなく、生きた現場で働くということは、それだけで刺激になる。さらに、仲間と仕事をやり遂げたり、クライアントから感謝されたりすることは、励みにもなる。
そして生きた人間を接することで、今世間の人たちが何を考え、求めているのかを縮図的に知ることができる。会社勤務は、私にとって世の中とアクセスできる大切な鍵だ。
 
仕事をすることは、植物を育てるのに似ていると思う。
土をならし整えて、下準備をする。種を植え、水をまく。毎日こつこつと時間をかけて、手をかける。
会社勤めが食べてゆくための野菜づくりだとすると、私にとって小説を書くことは、花を育てることだ。
食べることはできないけれど、いつか芽を出し、つぼみをつけて、見たこともない大きな花を咲かせてくれると信じて、こちらもこつこつと手をかける。
少しでもサボると、根腐れをおこして枯れてしまう。
小説も仕事もこつこつやることが大切だと、私は思っている。
 
ただ、そのためには時間を作らなければならない。そのために今、私がやっているのは「本質を見抜く」ことだ。
必要なことのみをやり、無駄なことをしない。
硬質な表現をするとこうなるが、ぐにゃっとした言い方をすると、つまんないことはやらない、楽しいことのみをやる、となる。
これで、仕事や日常の物事に優先順位をつけて、どうにか時間のやりくりをして、花の種に水をやっている。
 
偉そうに書いてしまったが、それが二足のわらじを履くために正しいのかどうか、成功していない私にはわからない。でも、ただひとつ言えるのは、楽しいことのみをやるというのは、とてもはかどるし、ストレスがほとんどないということだ。
 
新型コロナウィルスのこれ以上の感染拡大を防ぐために出された緊急事態宣言のおかげで、一番やりたくなかった通勤から解放された。
これを機にテレワークは、事態が収束してもある程度は続くのではないかと思う。
無駄なことはまだまだ排除できる、そんな気がする。

 
 
 
 

□ライターズプロフィール
綾 乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

小説家を夢見る広島生まれの東京在住者。
毎年、3月31日締切(当日消印有効)のとある新人賞に応募するのを目標としているが、書き終わるのはいつもぎりぎり。
今年も日付が変わるほんの少し前に、郵便局の「ゆうゆう窓口」に駆け込んだ。
しかし新型コロナウィルスの流行による営業時間短縮で窓口はとうに終了。こんなところで被害を受けようとは夢にも思わず、無念のまま帰宅。

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2020-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.76

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